妻撮り続けて20日目、好きな人の写真を撮るツラさ
妻を毎日撮り始めてよーやく20日が経ちました
毎日毎日行き当たりばったり
前日にこんな写真を明日は撮ろう!なんて計画することはなく、少しでもマシな写真を限られた時間でパパっと撮影することしかできていません
それなのに、それまでとはちがう写真を撮らなくてはなんて思ってしまいます
自分の引き出しなんか既に開けきっていって
それまでにない引き出しを試していくような毎日です
たとえばある日なんか
もう日付も変わりそうだし、妻はメイク落としてるし、同じ時間帯の室内写真はもう何日か前にも撮ったしという感じで追い詰められた挙句
写真アプリのsnowを試してみたり、、、
趣味が写真の人で交換レンズなんて買ってる人はsnowとか使わない、なんとなく避けているっていうイメージがあるんですけどデジタルネイティブの子たちとかだとちがうのかな?
写真を撮ってる時も選んでる時も
自分の心の狭さを感じることがあります
好きな人のいろんな表情に明確に優劣をつけていることが自分でわかるからです
理想としては、どんな妻もいいね!なんですけど
現実はぜんぜんその境地には至れていない
それを思い知らされる日々を送っています
それはクリエイター的に当たり前なのでは?って見方があることも知っています
でも美意識と許容力?みたいなものって同居可能だと思っていて、むしろなにを許容できるのかみたいなところに真髄があるような気すらします
たとえば桜がスキって普通ですけれど、ゴミ捨て場がスキって普通じゃないですよね
ゴミ捨て場というシチュエーションを許容できる人の方が人とちがった作品を生み出せるんじゃないかなと思うんですよね
妻の写真でクリエイティブを発揮しよう!なんて思っているわけじゃないので、ちょっと話がズレてしまったかなとは思うんですけど
妻の表情に対して許容することを通じて
妻の在り方に対しても幅広く受け止められるような夫になりたいなとは感じます
※理想です
妻はオシャレ好きなので美意識が一般より少し高めなのかな?と思うんですが
同時に自分への許容も持っています
今の髪型も美容院で失敗されて
お直しをお願いしてもうまくいかなかったのに
写真を撮らせてくれるし
すっぴんで撮影して肌荒れが写っても
修正してよ!とかではなく
ま、これが3◯才の現実よね!とひと言
妻を喜ばせようとして毎日撮影をしているのに
いつのまにか写真の方が目的になってしまう日もありました
妻といい時間を過ごすことよりも
妻でいい写真を撮ることが目的になり
あ、ちがう!そうじゃない!もっとこうして!
みたいなことを心の中で思うだけでなく
つい口に出してしまったり、、、
これはイカンと反省しました
自分が長く続けてきたということもあり
ちょっと油断すると写真のことは熱くなりがち
好きな人の写真を撮ることで自分のダメなところをちょいちょい感じるのはツラいから
妻を撮ることから遠ざかっていたんでしょうね
身近な人だからこそカメラを向けないみたいな人もいるんじゃないかなー?わからんけど。
まだ20日目だから先のこと想像しても仕方ないけれど、1年後の結婚記念日には少しでも心が広くなっていけるよう妻を撮っていくことを忘れないようにします
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