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なぜみゆ3は絶望的に入浴ができないのか

〈2110字〉

「風呂キャンセル界隈」という言葉がSNS上で爆誕し、しばらく経過しました。ご存じの方はご存じでしょうが、まさしく私はその界隈の人間だと言えると思います。過去にはあまりに風呂キャンセル癖が付きすぎて、日常に罰ゲームを設けたこともありました。それでも根本的解決に至ることはなく、毎日葛藤したり、諦めたりしています。

どうして、スムーズに入浴を済ませることが出来ないのでしょうか?

シンプルに面倒くさいというのが最も大きな理由でしょうが、「入らなくても誰かに迷惑がかかることがない」ということも、かなりのウエイトを占めているのではないかと考えています。

私自身も、入らないよりは入った方がいいと理解しています。けれど、いつのタイミングで入浴実行スイッチを入れればいいのか、分からなくなってしまうのです。夜が深まれば深まるほど、そのスイッチは闇に埋もれたように見えにくくなります。誰かがスイッチを押してくれることを無意味に期待してしまうし、スイッチを押せるきっかけを無意味に探し続けてしまいます。本来きっかけなどなくても動くべきであるという事実に、背を向け続けています。

こういう話はきっと、「風呂キャンセル界隈」の人々になら共感してもらえる話なんだろうなぁと考えているし、むしろ私がSNS上の風呂キャンセル界隈の人々の声に共感していたりもします。

しかし今まで、入浴をキャンセルしたせいで後悔した回数は数え切れません。風呂に入るべきだから家には風呂がついているのです。当然です。「誰かに迷惑がかかることがない」というのは厳密には嘘で、明日の自分は自身の行動を顧みて呪います。

ところで。
私は風呂キャンセル界隈の一員として毎晩こんなに苦しんでいるわけですが、この界隈とは全く縁もなく、入浴を当然の習慣として日々を過ごしている人もいるらしいじゃないですか。(当たり前)

些細なきっかけがありました。そこでなんとなく、正規の時間に入浴をしてみる気になりました。偶然にも、「スイッチ」を押せる環境下に身を置けたのです。

そうして私はシャワーを浴びて、風呂を済ませようとしました。
あとはタオルを手に取って身体の水分をふき取り、脱衣所に行けばいいという段階でなぜだか苦しくなりました。ぼんやり考え事をしましたが、ここでいくら考えてもすぐ忘れるだろうし、思考を残せないと思い、重い頭をもたげて動きました。

スマホで動画を見ながら、髪を乾かしました。
なんだかしんどくなってしまって、そのまま床に座り込みました。

おかしいな。「風呂キャンセル界隈」は、結局風呂に入ることができれば清々しい気持ちになると理解している人の集まりだと思っていたのだけれど。

私は、自身が絶望的に入浴できない理由を「先延ばし癖があるから」「面倒くさいから」みたいなものだと思っていて、その問題は気合次第で解決できるものだと、ある意味楽観的に考えていました。違いました。

つまり問題は、「風呂をキャンセルしてしまうこと」ではなく、「風呂にちゃんと入れる自分を自分として受け入れられないこと」なんだと思います。ここからの話は、きっと世の中の「風呂キャンセル界隈」の方々にもあまり共感していただけない話になるかと思います。

もはや私の中で、「私という人間は、風呂に入れない存在なんだ」という最悪なアイデンティティが深く深く根を張っていて、入浴を遂行した自分自身の存在を、心が否定したがっている。そんな感覚がして非常に苦しいのです。もう今となっては、行動に起こせば全部解決するほど生易しい問題ではなくなっていたみたいです。

この事実に気付いてしまった時、絶望しそうになりました。
頑張って風呂に入った先にあるのがこういう苦しさだと理解してしまうほど、残酷なことはないでしょう。何か自己肯定感のようなもの(「基礎肯定感」とでも言いましょうか)が、圧倒的に不足しているのでしょう。

そしてもう一つ、普段この時間に抱いているはずの「風呂に入らなければ、でもめんどくさい」という、本来あるはずの負の感情が消えてしまったことで、いらない喪失感が生まれています。いつもより心が不安定な気がします。例えば、SNSの言葉に触れると簡単に心が沈んでしまいます。極端な言い方をすれば、「風呂キャンセル」は私にとっておそらく一種の自傷に近い行為だったのでしょう。

このままでは、「頑張った先が闇」であるという記憶によって一瞬で風呂キャンセル界隈に戻り、より自傷が激しくなってしまうような気がします。気合だけで自己をコントロールしようとするのは危険に思えます。行動を矯正する前に、自身のマインドコントロールをしなければ、結局いたちごっこです。

まあ今これを書いている時に何か具体的な解決策が浮かんでいるわけでは全くないし、結局マインドセットと行動の改善は同時並行でやっていくべきであろうことも理解しているつもりではいます。

とにかく、「自分は風呂に入れないことが当たり前なんだ」という思いこみによる自傷と、「風呂がめんどくさい」とただ考え続ける夜中の自傷をしてしまう癖が自分にはあると正しく自覚していけたらいいなと、ゆらゆら考えています。


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