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誰散暮文

 

 先生、お久しぶりです。
 本来ならばご自宅の方に直接送るべきでしょうが、住所が分からなかったのでやむなく高校に宛てることにしました。お気を悪くしたならば申し訳ありません。

 こうして筆を走らせている今でも、私は先生と肩を並べて歩いた桜並木の美しさを鮮明に思い出すことができます。卒業式のためにわざわざ新調したと仰っていたぴかぴかのスーツ、その肩に舞い落ちてきた桜色の花びらを払いのけようとせずにすっと視線を落とした先生は、あの日の陽気のように朗らかな笑みを浮かべておられました。私はそれまでも、その温かな表情に幾度となく救われていたのです。

 私は高二の頃まで、自分の声が大嫌いでした。地味な容姿とはあまりにも不釣り合いな高い声。周囲からはウケ狙いと看做されて笑われることもあり(先生は心配してくださっていましたが、あれはイジメじゃないですよ)、外では努めて低い声を出そうとした結果喉を痛めたこともありました。

 三年の新学期が始まって三日目。国語の授業中にいきなり先生に指名された(中島敦についてでしたね)私は、うっかり地声で発言してしまいました。当然笑い出すクラスメイト。それでも、先生は周囲のそれとは違う優しい笑みを浮かべて、「声優さんに向いているんじゃないかな」と仰ってくださいました。
 まさに、青天の霹靂でした。自分の欠点が逆にプラスに捉えられるなんて、それまで考えてもみなかったことです。しかし、衝撃を受けながらも、先生が決して口から出まかせを言ったわけではないことだけは理解できました。以来、眼前に新しく現れた声優という選択肢を真剣に検討しながら、その道を示してくれた先生をお慕いしておりました(likeの意味ですよ、勿論)。

 卒業した私は、予定通り上京して専門学校に入りました。声優コースの私のクラスはおよそ20人。声質も出身もバラバラでしたが、夢に対する熱意だけは同じだ。当時の私は慣れない環境に緊張しながらも、そんな能天気な思考を膨らませていました。

 あれから、四年が経ちました。
 惰性で入学した人たちは卒業後はほかの業界へとすっぱり切り替え、熱意と才能迸る何人かは表舞台で仕事を増やしつつあるなか、私は養成所に通い続けています。
 必要な才能はなにひとつなく、あるのは中途半端な熱意だけ。いや、もう夢を追いかけようとするひたむきさなんて残っていないでしょう。安くない学費と生活費のために週六は近くのスーパーで働く私は、自分が声優として一人前になれるなんてもうこれっぽっちも思ってないのです。ただ他に目指すものがないから、友だちなんて一人もいないこの都会で溺れるのが怖いから、ただ必死に縋りついているだけなのです。

 念のため申し上げておきますと、先生は悪くありません。私に新たな可能性を見出してくれていたのには今でも感謝していますし、そもそもこの道を進むと決めたのは自分自身です。ただ私には足りないものが多すぎただけ、悲劇でも喜劇でもないありふれた失敗談の一つにすぎません。

 それでも、私は先生について一つだけ、怖くて尋ねられないことがあります。
 先生は、私のことを思い出せるでしょうか?
 特に整ってもいない顔なんて、覚えていなくて当然です。さして珍しくもない苗字ですし、他の誰かと名前を間違えられても構いません。
 ただ私の声を、先生が褒めてくださったこの声が忘れられていないか、たまらなく不安なのです。中途半端な技術は身に付いたものの、自分の声はあの頃と殆ど変わっていません。それでも、この声を聴いた先生がどのような反応をするのかと考えると、震えが止まらなくなってしまいます。それはきっと、答えに薄々気付いてしまっているからでしょう。

 お会いすることは二度とないでしょう。

 ご自愛ください。さようなら。

 あなたの教え子より

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