東京都の木造住宅密集地域の防災対策は大丈夫か?:千葉利宏
2024年1月1日に能登半島地震が発生して1か月が経過した。被災地の支援や復旧復興については今後、地元住民の意見を幅広く聞きながら進めていくことになるが、同時に今回の震災を踏まえて各地域において災害対策を検証することが必要だろう。その時に重要なのは災害を「自分事」として考えて、被災リスクをどう回避するのかを想像することだと筆者は考えている。想定されるリスクをできる限り洗い出して対策を考えておくことが命を守ることにつながるはずである。
■首都直下地震で同時多発的に火災が発生したら
能登半島地震では、輪島市で大規模な火災が発生した。かつては輪島市で最も賑わっていた朝市通り周辺の建物約300棟が、跡形もなく焼け落ちていた。その惨状をテレビなどの映像で見て、真っ先に想像したのが、首都直下地震で首都圏の木造住宅密集地域での火災発生のリスクである。
筆者は10年前の2014年1月28日付けで、古巣のフジサンケイビジネス・アイ(日本工業新聞:2021年6月休刊)に「木造不燃化へ7000ヘクタール大改造―首都防災、密集地域特区で建て替え第1弾」という記事を書いた。市街地の延焼による焼失率がほぼゼロになるとされる「不燃領域率70%」の目標に向けて2012年に東京都がスタートした「木密地域不燃化10年プロジェクト」を紹介した。
首都圏の木造住宅密集地域は、都心から約10kmの外周を通っている東京都道318号環状7号線、通称「環七」の周辺に点在し、都心部を取り囲むように残っている。同プロジェクトでは、耐火・耐震性能が低い木造住宅を鉄筋コンクリート造のマンションなどに建て替えて空地を増やし道路幅も拡張する対策で、木密地域の不燃化を実現しようという取り組みだ。しかし、私有財産である住宅の建て替えはそう簡単には進まない。2021年3年にいったんプロジェクトは終了したが、目標が達成できずに5年延長されて、現在も進行中である。
過去10年間の成果を見ると、2006年時点では56.2%だった不燃領域率は2021年では65.5%と、15年かけて10ポイントほど高まった。しかし、地域別にみると、世田谷区の北沢地域、杉並区の阿佐谷・高円寺周辺地域、北区の十条・赤羽西地域、江戸川区の南小岩地域など50%台のエリアが多く残っている。政府の推計では首都直下地震での建物の焼失は最大41.2万棟、倒壊と合わせて最大61万棟と想定している。
輪島市では、延焼による火災が拡大したのは朝市通り周辺だけだったが、首都直下地震では火災が同時多発的に発生する可能性が高い。単発的な火災であれば、今の消火能力で延焼を防ぐことは十分にできるかもしれないが、同時多発的に火災が発生したらどうなるか。現場周辺は大混乱に陥り、通常の消火活動が困難になることが心配される。
■地震に強い都心部で発生する大量の帰宅困難者
日本不動産ジャーナリスト会議では、2022年5月に跡見学園女子大学教授でマンションライフ継続支援協会副理事長も務める鍵屋一氏、2023年2月にビル減災研究所の田中純一理事長を招いて「首都直下地震と防災」をテーマに研修会を開いた。2023年で関東大震災から100年となるのを機に、専門家から首都圏における防災対策をテーマに話を伺った。
鍵屋教授も田中理事長も、首都直下地震によって木密地域での火災発生リスクについて言及したが、田中氏は帰宅困難者問題の視点から、筆者もこれまで想像したことがないリスクが発生する可能性を指摘した。災害が発生した時には、誰もが家族や自宅が心配になって帰宅しようとする。とくに家族と連絡が取れずに安否確認できない事態になれば、交通機関が止まっていようが、歩いてでも帰宅しようとするだろう。それが原因となって問題が生じるというのだ。
昼間に仕事や買い物などで多くの人が集まる都心5区は、都市再開発によって建物の耐震化・不燃化が進み、首都直下地震が発生しても建物の倒壊や火災などによる被害はかなり防げると考えられる。政府の首都直下地震の被害想定地図=図参照=を見ても、都心部は被害棟数が少ない水色、青色となっている。
森ビルでは「地震発生時にも逃げ込める街」を掲げて、ビルの震災対策に取り組んできた。昨年11月にオープンしたばかりの麻布台ヒルズのエリアは、もともと木造住宅が密集していたが、再開発によって地域が抱えていた防災対策を解決した事例と言える。
一方で、再開発によって都心5区の過密化が一段と進んでいる。三菱地所が開発してきた丸の内エリア(大手町・丸の内・有楽町)約120ヘクタールで働く就業者数は、2021年の経済センサス活動調査をもとに計算すると約35万人で、7年間で2割増えた。加えて、買い物や食事、観光・宿泊などの来街者も増えており、災害発生時にはそうした人たちに関連情報を広く提供しなければならない。同社と千代田区では、災害時の情報共有や避難者・帰宅困難者向け情報の収集・発信を行う情報連携プラットフォーム「災害ダッシュボード」を2月から運用開始したところだ。
千代田区の人口6.8万人に対して、就業や通学で訪れる人たちを集計した昼間人口は90万人。丸の内エリアの就業者35万人の大半は千代田区に住んでいないと思われるので、災害発生時にはそれぞれの会社施設に一時避難することになる。それ以外に来街者として同エリアに居た人たちが行き場のない帰宅困難者となる。その数は、丸の内エリアだけで約4.2万人と推定している。
これら帰宅困難者のために丸の内エリアでは千代田区と民間事業者との協定締結施設と非公開施設を加えた推計で約2.5万人の受け入れ施設を用意している。森ビルでも麻布台ヒルズを含む運営施設全体で約1.4万人の帰宅困難者を受け入れるために約36万食を備蓄しており、行き場のない帰宅困難者への対策を進めてきた。
■徒歩帰宅者の行く手を「火災」が阻む?
都心5区の人口は住民基本台帳ベースで約110万人、昼間人口は筆者がネットで調べた範囲で約420万人だった。平日には300万人以上が通勤・通学で都心5区に来ている計算だ。これに加えて、買い物やレジャーなどで訪れている人たちや、コロナ明けで増えている外国人観光客が入ってくる。
2012年に東京都が策定した帰宅困難者対策実施計画では、行き場のない帰宅困難者は東京都全体で92万人と想定していた。内訳は10km以遠に住む人75万人+日帰り行楽客・観光客17万人で、宿泊者や商用客は「行き場あり」にカウントしている。これに会社や学校などに所属する避難者を加えて517万人の帰宅困難者が発生するとしていた。
帰宅困難者の大半は都心5区で発生すると考えられる。東京都が2022年に見直した新想定では、64万人減って453万人となったが、いずれにしても都心5区の昼間人口を上回る400万人以上の人たちが帰宅困難に陥る可能性があるわけだ。問題は、その人たちが災害発生時にどのような行動を起こすのかである。
三菱地所が丸の内エリアの就業者に対して行った災害発生時の帰宅意思に関するWEBアンケート調査によると、「ただちに徒歩で帰宅する」が23%、「ただちに徒歩で自宅以外に移動する」9%、「条件次第で、ただちに徒歩で帰宅する」23%となり、徒歩での帰宅意思が55%と半数を超えた。回答には勤務先で災害対応に従事する要員が12%含まれているので、実質6割以上は「いざとなれば徒歩でも帰宅する」という結果になった。
企業や学校では、災害に備えて従業員や学生のために非常食を含めて一時避難できる準備は行っており、避難できる場所は確保されているはずである。それでも帰宅意思が強いのはやはり家族や自宅が心配だからだろう。行き場の無い帰宅困難者も、受け入れ施設の存在が知らなかったり、受け入れてもらえなかったりすれば、余程の遠方でない限り、同様に徒歩で帰宅しようとするのではないだろうか。
徒歩帰宅者たちが一斉に郊外に向かって歩き出したときに立ちはだかるのが「火災」である。都心部を取り囲むように同時多発的に火災が発生して行く手を阻むことは十分に想定されるだろう。次々に徒歩帰宅者たちが、火災が発生していない幹線道路を目指して集中すれば、最悪の場合、群衆雪崩が発生する危険もある。
ビル減災研究所の田中理事長が帰宅困難者問題の視点から指摘したリスクとは、このことである。東京都では、首都直下地震が発生した場合には、近くの安全な場所に留まって移動しないように呼び掛けているが、法的な拘束力はないので徒歩帰宅者を止めることは難しい。発災後すぐに家族の安否確認ができ、公共交通機関の運行再開見通しが分かれば、冷静に対応してもらえるかもしれないが、何が起こるのかは想定が難しい。
首都直下地震が発生したとき、過密化した都心部で一斉避難が始まり、そこにフェイク情報などが流れてパニックが起こって群衆雪崩が発生することを予想する防災研究者は他にもいる。関東大震災が発生した100年前と比べて、建物の耐震化・不燃化は大きく進歩したが、人口や都市構造は大きく変化している。それがどのようなリスクをもたらすのかを検証しておく必要がありそうだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?