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【小説】甘い尿のような香り

私は小さな頃から戦争映画が好きだった。休日に母親と兄がスーパーに買い出しに行くと、決まって父親の部屋を訪ねた。ドアを開けると父は決まってベランダでタバコを吸っていた。部屋に入ったことに気づくと、おう、とだけ言って火を消して隣に座る。父をタバコ臭いと感じたことはなかった。だが、決まって体温で揮発した香ばしい匂いがしていた。ほのかに甘い尿のような香りに包まれるのは落ち着きはしないが嫌いではなかった。

ある日、部屋に入ると埃まみれの迷彩服をきたアメリカ人が銃を打ちながら叫んでいた。『ブラックホークダウン』というソマリアとアメリカ軍の戦争の映画だった。しばらくみているとアメリカ兵が太ももを撃たれた。血がびゅくびゅくと漏れ出て、顔は液体まみれだった。衛生兵が緊急手術をするがつまみ出した動脈はぬるりと指の間をすり抜け体に戻っていった。音楽はなく僕と父の間にも気まずい空気が流れた。手術は成功したのか?と負傷した兵士がいう。少し間を置いて、ああ成功した、と他の兵士がつぶやくと彼は意識を失った。
「助かってよかったね」
父の顔を見て無邪気にいうと、父は僕の頭を撫でた。
そうこうしていると母と兄が帰ってきた。母は父が息子に戦争映画を見せている現場を目撃すると、僕に兄と遊ぶように言い父の部屋に入り扉をしめた。

僕は悪いことをした気分になりつつ、子供っぽい振る舞いができていなかったのかと不安になった。兄を誘い二人で『プレデター』を見た。母はいつの間にはリビングに戻り僕たちを後から眺めていたがしばらくすると料理を始めた。

大学に入ると、僕は父の趣味を真似するようになった。シングルモルトのウイスキーを毎晩飲み行きつけのバーを作った。父の趣味といえばお酒と映画以外思い浮かばなかった。あの戦争映画も見て勝手に大人になった気分を味わっていた。他にも小さな頃に父に見せてもらった『ガンダム』や『攻殻機動隊』を見返して酒を飲む日々が続いた。そして、行きつけにしたバーに通ってマスターに感想を話した。

新幹線に乗っていると、そんなことを思い出していた。地元の九州に毎月のように帰っていたからかもしれない。今は仙台の出張から東京の自宅に帰っている途中だ。仕事を始めて10年が経ち、全く映画なんて見なくなっていた。東京駅に着くとわざわざ山手線に乗った。学生時代によく行っていた秋葉原の景色を横目で見ながら、上野、池袋、と経由して新宿で降りた。自宅は新宿にある。人気のいない路地に入りタバコを吸いながら家に帰りつきドアノブに手をかける。鍵が空いていた。ドアの隙間は真っ暗で人がいる気配はない。ただいまー、と言ったがやはり返事はなかった。電気をつけて自室のドアを開けると懐かしい香りがした。ほのかに甘い尿のような香りだ。荷物をベッドに放り投げると、バフっと埃が立ち一層匂いが強くなった。妻に怒られるのは面倒だとベランダの窓を開けると香り達はじんわりと外に出ていった。代わりに湿気た土の冷たい香りが部屋に入ってくる。思わずあとを追うようにベランダに出た後、タバコに火をつけた。部屋の生暖かい空気が背中を通って外に散っていった。スマホを開きYoutubeで『ブラックホークダウン』と検索する。アップロードされている動画は30年前のものだった。ヘリコプターが火を吹いて撃墜されている。ぼーっと眺めているうちに妻が帰ってきた。
「部屋臭くてごめん。今換気してるから。」
僕は妻に平謝りすると、
「じゃあもっと部屋を臭くしよう」
と言って手に持った紙袋を突き出してきた。マクドナルドの香りが鼻の奥に広がり思わず涎が出た。

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