僕だけが話せない

小学1年生で自分の喋り方がおかしいと自覚してから、人前で話す機会を不安に思うようになりました。

小学2年生、九九のテスト。
九九を全部覚えた人から担任の先生や校長先生に九九を全て言えるかチェックしてもらう。
僕はいち早く九九を覚えた。
でも中々校長先生のチェックにいけなかった。
吃って九九を言えなくなるのが不安だったから。
案の定、校長先生の前で吃って詰まってしまった。
なぜ自分はみんなと同じように話せないのか、ずっと不思議だった。
どうにかして脱したかった。

他の人は誰もこんなふうに話さないし、
言葉が出てこないのは自分だけなんだとショックだった。
もっとみんなと同じように話したいのに。
普通じゃないんだ。明日も喋り方で笑われるのかな。
そう思うと学校に行くのが嫌になった。


僕の場合、今でも苦手なのは「決まりきった言葉」を話すこと。
ある程度吃音が酷くなると、多くの吃音者が「言い換え」のテクニックを習得します。
言いにくい言葉や詰まりそうになった言葉を、似た意味の他の言葉に言い換える、という意味です。普通の会話ならこれでどうにかなることも多いのですが、言い換えがきかない挨拶や自分の名前、原稿などはどうしようもできなくなります。

だから、登校中の「おはようございます」や自己紹介、教科書の音読、クラスの劇なんかは、本当に辛かった。

特に地域の人を呼んでクラスごとに劇を披露する行事はかなりしんどかった。
自分のセリフが決まっているし、
言えないと劇が進まないからクラスの皆に迷惑がかかる。
大勢の地域の人たちが見ている。
セリフも覚えている。早く言わないと。
でもセリフが言えない。沈黙が続く。
地域の人も笑い始める。会場がザワザワし始める。

ああ、いなくなりたい。

毎年毎年、この劇のシーズンになると学校に行きたくなくなった。

早く治らないかなあと思ってはいたけれど、親にも恥ずかしくて中々相談できないでいた。

ここから先、堕ちていくばかりで救われないです、暗くてすみません。
もう文章も文体もぐちゃぐちゃですけど許してください(笑)

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