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「東京の空の下 ~当節猫又余話~」第六章

四月二十七日 月曜日

「しょうがないだろ」
 高樹が言った。

 休み時間、教室での事だ。
 俺は相当嫌そうな顔をしていたらしい。
 高樹からしたら嫌なのはお互い様だと言いたいだろう。
 というか、マムシに剣術を教わったり天狗に空の飛び方を教わったりしなければいけない分、高樹の方が迷惑しているのは間違いない。
 なんの得にもならない化生退治などやりたくないに決まっている。

 それはともかく――。
 高樹がクラスメイトから聞いてきた話によると、例の公園でまた神隠しが起きているらしい。

「あれ、間違いなく退治したよな?」
「消えるとこ見たけどな」
「綾さんも退治に失敗したとは言ってなかったけど……」
 俺の問いに高樹と秀が答えた。

「仕方ない、とりあえず祖母ちゃんに聞いてみよう」
 俺は溜息をいた。
「けど、高樹君、すごいね。いつもいつも色んな噂話聞き付けてきて」
 秀が感心したように言った。

 そう言えばそうだ。
 愛想良あいそよさそうには見えないのに……。

「何故か女子が報告しに来るんだ」
 高樹自身不思議そうに首を傾げた。
 理由は分からないが情報が集まってくるのは有難い。
「しかし、ついこの前まで神隠しが起きてた公園を通り抜けようなんてよく考えるな」
 俺は呆れた。
「普通は神隠しなんて信じないから」
「そもそも近所の人じゃなければ神隠しの噂も聞かないし」
「入口から出口が見えるからな」

 大して広くない公園で目隠しになる大きな樹も生えてないから人がいるかどうかは一目で分かる。
 問題は目には見えない化生なのだが、普通の人には見えないし信じてないから「いなくなった」と言われても失踪したか誘拐されたと思うのだろう。
 失踪なら自分の意志だし、誘拐の場合、周囲に人がいなければさらわれる心配があるとは思わない。
 それで近道として通り抜けに使ってしまうのだ。

「雪桜は絶対入るなよ」
 俺は雪桜に言った。
 雪桜が素直に頷く。
 俺達は化生がいれば〝見える〟から近付かないようにする事も出来るが雪桜は見えないから何かがいても分からない。
 捕まれば見えるようになると言っても、捕まった時は喰われる時なのだ。

 放課後、俺達が校門から外に出ると門柱に隠れるようにして女子が立っていた。

「あ、鈴木さんだ。鈴……」
「東!」
 高樹が慌てて雪桜を遮ると腕を掴んで引きっていく。
 俺と秀は顔を見合わせると急いで跡を追った。
「高樹、どうしたんだよ」
「東が鈴木に声を掛けようとしたから。あれ、偶然の振りして青山を待ち伏せしてたんだ」

 なるほど……。

 雪桜が鈴木と話している間に青山が通り過ぎてしまったら偶然の振りで一緒に帰ろうと声を掛けられなくなる。

「え、鈴木さんって青山君のこと好きだったんだ」
 どうやら鈴木と青山は雪桜や高樹と同じD組らしい。

 そうか、家が近くなければその手が使えるのか……。

 俺と雪桜のように家がすぐ側で毎日一緒に帰っていると偶然の振りは出来ない。
 まぁ、そんな事をするまでもなく一緒に登下校してるから必要ないのだが。

 中央公園に着くと、祖母ちゃんが待っていた。

「綾さん!」
 秀は祖母ちゃんに駆け寄った。
「いいなぁ。私も彼氏欲しいなぁ」

 雪桜が、ちらっとこちらを見たように思えたのは気のせいか?

「あいつ見てるとそう思うよな」
 高樹がそう言うと、
「高樹君、繊月丸はどう?」
 何も知らない雪桜が言った。

 冗談でも彼女に立候補するとは言わずに繊月丸を勧めてるって事は雪桜は高樹の事なんとも思ってないと考えていいのか?

「繊月丸は子供だ」
 高樹が答える。
「子供に化けてるだけだろ。高校生にだって化けられるんじゃないか?」
「いや、俺は人間がいい」

 高樹のヤツ、まさか雪桜を狙ってるんじゃないだろうな。

 早く告白しないと……。

 しかし二人きりになるチャンスがない。
 何とかして二人だけで出掛けられないだろうか。

 祖母ちゃんと合流してファーストフード店に向かおうとした時、
「雨月」
 女性の声がした。
 振り返ると綺麗な女性が立っていた。

 が――。
 祖母ちゃんを『雨月』と読んだと言う事は人間ではないのだ。

「おいで、どうかした?」
尾裂おさきがこの辺に来てる。早めに追い払わないと王子稲荷がうるさいわよ」
 お出はそう言うと立ち去った。

 どこから突っ込めばいいのだろうか……。

 俺は思わず考え込んだ。

 祖母ちゃんはそれに構わず肩を竦め、
「行きましょ」
 と言って俺達を促すと歩き出した。

 俺達はいつものファーストフード店に入った。

「さっきのは誰だったんだ?」
「狐よ。昔、真崎明神まさきみょうじんの近くに住んでたのよ。今はどこにいるのか知らないけど」
「おさきさんって言うのは……」
尾裂おさきは個別の名前じゃなくて狐の種類。江戸より北に住んでるのは尾裂狐おさきぎつねって言う狐が多かったのよ」

 尾裂狐というのは玉藻前たまものまえという狐が退治されて殺生石せっしょうせきになった時、その破片から生まれた狐で尾が割れてるから尾裂と言うらしい。
 しかし江戸は王子稲荷の支配なので原則として尾裂は入れない。
 ただ時々尾裂が侵入してくる事があるらしい。

「どうすんだ?」
「別に」
 祖母ちゃんが肩をすくめた。
「どこにいるかも分からないんじゃどうしようもないでしょ」
 それもそうだ。
 それより今はもっと大きな問題がある。
 俺達は公園の神隠しの話をした。

「ああ、あの牛鬼ぎゅうきね」
「この前のは仕留しとめたんだよな?」
「そうよ」
「じゃあ、その牛鬼って言うのは新しいヤツか?」
「新しいって言うのかしらね。死んだのは江戸の頃だし」
「え……お化けなのか!?」

 お化けは怖いんだが……。

「鬼の正体って幽霊なんですか?」
「鬼っていうか……鬼に限らず元々怪異に人間が名前を付けただけだから」
 つまり角が生えていて虎皮の腰巻きという典型的な鬼というものが存在しているのではなく、怪異(の一部)を人間が勝手に『鬼』と言っているだけという事か。

「河童と川獺かわうそなんかもごっちゃにされてるし」

 河童と川獺では大分見た目が違う気がするのだが……。

 いや、よく考えたら大抵の人には化生の姿は見えないのだから、よく見掛ける絵は想像図なのだ。
 海伯の本当の姿も想像図の河童とは全く違う見た目なのかもしれない。

「今までは残ってただけだったんだけど」

 実体化してないから幽霊ではなかったって事か?
 てか幽霊は〝実体〟なのか?

「この辺りには結構一杯いるわよ」
「この辺って心霊スポットが沢山あるらしいよ」
 祖母ちゃんと秀が言った。
 俺は顔から血が引くのが分かった。

 そんなにお化けの多い場所なのか……。

 妖奇征討軍の儀式で実体化したのか。
 なんで退治出来ないのに変な儀式するんだよ……。

「どうする? 今夜行くか?」
「そうだな。夜中に行こう」
 俺達は待ち合わせ場所を決めた。
 近所の公園なのだから万が一、公園から出てきたりしたら秀や雪桜や俺の家族――言うまでもなく秀や雪桜の家族も――が喰われてしまうのかもしれないのだ。
 早く対処しなければならない。

 行くのは夜中だが、それまで祖母ちゃんが公園を見えないようにして人間が中に入れないようにしてくれるという事だった。
 そして戦いの最中、万が一通報されて警察官が来てしまったら祖母ちゃんに化かしてもらう事になった。

 ファーストフード店を出ると秀と祖母ちゃんは二人で帰っていき、高樹とは方向が違うので自然と俺と雪桜の二人になった。

「なんで女子は高樹に噂話の報告するんだろうな」
 俺がそう言うと、雪桜が、以前高樹が化生に関する話に興味を示して以来ちょっとした噂でも女子が報告してくるようになったと教えてくれた。
「D組の女子って随分親切なんだな」
 B組の女子はこっちから聞かない限り噂話を教えてくれたりしないのに。

「高樹君の気を引くためだよ」
「え!?」
「高樹君ってモテるんだよ」
「そうなのか!?」
「気付いてなかったの? 高樹君って格好良かっこいいでしょ」
「…………!」
 俺は雪桜の言葉に衝撃を受けた。
 動揺した俺の頭の中が真っ白になる。

 雪桜は高樹が好きだったのか?
 繊月丸を勧めたのは恥ずかしくて打ち明けられなかったからだったのか?

「噂話は話し掛ける口実だよ。噂話を教えてあげた時だけは話聞いてくれるし、高樹君の方からも質問してくれたりするからお喋り出来るでしょ」
 絶句している俺に気付かないまま雪桜が話を続ける。
「だからB組の女子もわざわざ高樹君に報告しに来るんだよ。秀ちゃんもモテてたんだけど、彼女出来ちゃったでしょ」

 秀もモテてた……。
 じゃあ、俺だけ……。

 俺は衝撃と同時に精神的なダメージも受けた。

 モテないのは俺だけ……。

 俺は雪桜以外の女子から話し掛けられた事がほとんどない。

 用がなければ話したいとは思われないような男だったのか……。
 雪桜は幼馴染みだから相手にしてくれていると言うだけで、そうでなければ相手にされていなかったのかもしれないのか……。
 高校二年にもなって女っ気が全く無いのはモテないからだったなんて……。
 今夜はショックで眠れないかもしれない……。

 家に帰ると拓真が遊びに来ていた。

「あ、大森君」
「拓真君、ホントに帰るの? うちで夕食食べていけばいいじゃない」
 母さんは帰ろうとしている拓真を引き留めているところだった。
「いえ、家で母が用意してますから。どうも有難うございます」
 拓真は丁寧にお辞儀をすると帰っていった。

「拓真君は本当に礼儀正しいわねぇ」
 母さんが感心したように言った。
「あんたも見習いなさいよ」
 母さんはそう言うと台所へ行ってしまった。

 深夜――。

 待ち合わせの時間にアーチェリーのケースと矢を持った俺は公園に向かった。
 祖母ちゃんが公園の入口に立っている。
 おそらく公園を見えなくしているのだろう。
 三人とも近所なのでほぼ同時に入口に付いた。

 今日の夕方から誰も入ってきていなかったせいか俺達が足を踏み入れた途端、どこかから現れた鬼が飛び掛かってきた。

「繊月丸!」
 高樹が日本刀に姿を変えた繊月丸を掴んで鬼に斬り掛かった。
「すまん、高樹! すぐ用意する」
 俺は慌ててアーチェリーのケースを開いた。

 アーチェリーは弓の形で持ち歩くわけにはいかないので仕度したくをしなければならない分、日本刀の高城より出遅れてしまう。
 繊月丸は化生だからさやを抜く必要すらないので尚更だ。

 仕度が出来ると、俺はアーチェリーに矢をつがえた。

 高樹が振り下ろした繊月丸を鬼が爪で弾く。
 弾かれた刃を返す刀で横に払う。
 鬼が後ろに飛び退いた。
 と思った瞬間、鬼は前のめりに突っ込んでいった。
 巨体に似合わぬ素早さだ。

 俺が矢を放つ。
 矢が鬼の肩をかすめる。
 わずかに肩の肉がえぐれた。
 鬼が吠える。
 高樹が大きく踏み込んで逆袈裟に斬り上げた。
 鬼が脇にけたが切っ先がかすった。
 掠めたのはほんの僅かだったはずだが、ごそっと脇腹が削れる。

 すげぇな、繊月丸……。

 再び鬼が吠える。
 鬼が高樹に向かって行く。
 高樹は鬼が横に払った腕を頭を下げて避けると繊月丸を斬り上げた。
 鬼が斜め後ろに跳んだ。
 追いすがろうとした高樹を鬼が蹴り上げる。
 高樹がった。
 あと少しで足の爪先つまさきが高樹に届くという時、黒い影が鬼に飛び掛かった。

 鬼が後ろに倒れ足の爪が高樹かられる。
 飛び掛かったのは巨大化したミケだった。

「ミケ!」
 ミケが鬼の首にみ付いている。
 人間なら死んでいるところだが鬼にはなんでもないらしくミケを力尽くで引き離すと放り投げた。

 ミケが空中で身体をひねって着地する。
 その瞬間を狙って鬼がミケを蹴り上げる。
 ミケが後ろに飛び退く。
 ぎりぎりのところを鬼の足がかすめる。

 その隙に高樹が鬼に駆け寄って繊月丸を横に払った。
 鬼の片足が斬り落とされる。
 片足になった鬼が倒れた。
 すかさず高樹が鬼の首を斬り落とす。
 安心して気を抜き掛けた瞬間、鬼の首が高樹に飛び掛かった。

「高樹!」
 俺が叫ぶ。
 高樹が咄嗟とっさに自分の前に繊月丸を立てて防ぐ。
 鬼の首が繊月丸に食らい付いた。
 繊月丸は折れたりしていないようだが、鬼の首が噛み砕こうとしているらしい。

 がちがちとやいばを噛んでいる音が聞こえてくる。

「おい! これ、どうしたらいいんだ!」
 高樹が困惑した表情で助けを求めるように祖母ちゃんに声を掛ける。
「孝司の矢で射れば消えるかもしれないけど……」
 祖母ちゃんもどうしたらいか分からないらしい。
 頭のような小さい的となるとすぐ側まで行かないと当てられない。

 万が一首が飛び掛かってきた時に備えて、俺は弓を構えたまま近付いていった。
 弦を引き切った状態で歩くのは容易ではない。
 俺に気付いた鬼の首が宙に舞い上がり、俺に向かってくる。

 俺は矢を放った。
 神泉で清められた矢に貫かれた鬼の頭がちりになって消える。
 矢がそのまま飛んでいく。
 その先を人が通り掛かった。

 マズい!
 このままでは矢が当たってしまう!

 俺が声を上げようとした瞬間、矢が木の葉に変わって舞い落ちる。
 俺は安堵の溜息をいた。

 そういえば矢は木の葉を変えたものだったな……。

「助かっ……」
 ミケに礼を言い掛けた高樹が口をつぐんで辺りを見回した。
 ミケはもう姿を消してしまっていた。
「あれ、学校に出たヤツとそっくりだったね」
 秀が言った。

「溺死した人間が牛鬼になるから」
「この辺に溺れるような場所あるか?」
「淀橋って言う地名はこの近くを流れてた川にかってた橋の名前よ。それに弁天池って大きな池もあったから溺れて死んだ人は大勢いるわよ」
 祖母ちゃんが答える。
 成仏出来なかったものの、ただとどまっていただけの者達が鬼になってしまったようだ。

 妖奇征討軍め……。

「とりあえず早く帰ろうぜ」
 高城の言葉に俺達は解散した。

四月二十八日 火曜日

 朝、登校途中で雪桜と合流した。

「こーちゃん、秀ちゃん、高樹君の予定聞いてる?」

 ぐはっ……。
 朝、開口一番で高樹の話題……。
 そうなのか!?
 やっぱり雪桜は高樹が好きなのか?
 俺の事は眼中にないのか?

「聞いてないよ。高樹君に直接聞いたら?」
 秀が答えた。
 そうだ、雪桜は同じクラスだから予定が知りたいならいつでも聞けるのだ。

 恥ずかしくて口も聞けないくらい好きなのか!?
 今まで普通に喋っていたが、それは皆が一緒だったからなのか!?

 ショックのあまり落ち込んでいると、雪桜が、
「高樹君じゃなくて、秀ちゃん達がいつも通りか知りたいだけだよ」
 と言った。

 雪桜の言葉に俺は安堵の溜息をいた。
 内藤家、東家、大森家はゴールデンウィークには出掛けない。
 だから俺達は毎年三人で遊んでいた。
 秀の家にはゲーム機があるから大抵は秀の家に集まってゲームをしていた。

 だが今年は秀が祖母ちゃんと付き合い始めたからどうするのか確かめたかったようだ。
 そう言えば、秀が祖母ちゃんとデートするって言うなら「秀はデートだから今年は二人で……」と言って雪桜を誘う事が出来るのか。

「秀ちゃんはデートとか行くの?」
 雪桜が俺より先に訊ねた。

 もしかしてこれは俺を誘うための前振りか!?
 そうなのか!?

 俺は期待を込めた視線を雪桜に向けた。

「孝司と雪桜ちゃんが良ければ綾さんと一緒にみんなで孝司の家に遊びに行きたいんだけど」
「そんなのいちいち断る必要あるか?」
 俺達三人はお互いの家の鍵を持ってるくらいしょっちゅう往き来している。
 遊びに行くのにわざわざ構わないかどうか聞いたりした事はない。
「いや、皆で遊ぶからって言えば綾さんも一緒に来てくれるでしょ」
「祖母ちゃんと過ごしたいなら……」
「そうじゃなくて……綾さん、おじさん達の元気な姿、見たいかなって思って」

 あっ……!
 そうか……。

 失踪直後から祖母ちゃんがこの辺をいつもうろうろしていたのは昔から住んでいるからと言うより家族の様子を見るためだ。
 そして俺が秀に彼女として紹介されるまで見た事がなかったのは俺達の前に姿を現さないようにしていたからだ。

 だが、ずっと見守っていたくらいである。
 家族で過ごしているところを見て、言葉を交わしたいかもしれない。
 いつも互いの家に集まって遊んでいる事は様子を見ていたなら知っているだろうから俺の家で遊ぼうと誘うのは不自然ではない。
 まして高樹も来るのなら「毎年の恒例行事」と考えるだろう。

「そういうことなら祖母ちゃんがいいって言えば構わないぜ」
 ゴールデンウィーク中、父さんも母さんも家にいる。
 姉ちゃんは友達と出掛けてしまうかもしれないが泊まり掛けの旅行の話は聞いてないから毎日来ていれば会えるだろう。
 ただ祖母ちゃんがえて姿を見せないようにしていたのだとしたら会いには来たくないかもしれない。
 俺の家は亡くなった元夫の家でもある。

 ……よく考えてみたら亡くなった祖父ちゃんは秀の彼女の元彼って事か。

「何して遊ぶの?」
 雪桜の問いに、
「え?」
 俺は意味が分からずに聞き返した。
 ゲーム機を持ってる秀の家ならともかく、雪桜や俺の家で遊ぶ時は単にお喋りか、せいぜい宿題で分からないところを教え合う程度だ。

「繊月丸ちゃんにも出来る遊びなら一緒にどうかなって思って」
 どうやら雪桜は繊月丸と話がしたいらしい。
 学校やファーストフード店では姿を消さなければいけない事もあって繊月丸は常に見えない状態でいるようだ。
 そうなると秀と高樹と俺はともかく雪桜は話が出来ない。
 だから雪桜は繊月丸とはほとんど話をした事がないのだ。
 しかし女の子同士で話したい事もあるのだろう。

「別に遊びじゃなくても繊月丸を呼べばいいだろ」
 繊月丸は見た目が小学生くらいだから化生の話をしていても子供の空想に付き合っていると思って誰も変な目では見ないはずだ。
 本人の意志で見た目を変えられるならもう少し幼い見た目にしてもらえば幼児の微笑ましいお伽噺とぎばなしにしか聞こえないだろう。

 全部事実だけどな……。

「じゃあ、繊月丸ちゃんも来られるね」
 雪桜が嬉しそうに言った。
 その言葉に近くに来ていた繊月丸が不思議そうな顔で首を傾げた。
「繊月丸、姿を現してくれ」
 俺がそう言うと見えるようになったらしい。
「あ、繊月丸ちゃん、おはよう」
 雪桜が挨拶した。

 雪桜は早速繊月丸にゴールデンウィークの話を始めた。
 学校が近付くと繊月丸は再び姿を消した――らしい。
 雪桜が残念そうな表情を浮かべた。

 校門のところで東雲が繊月丸を待っていた。

「繊月丸、東雲しののめは来られないのか?」
 俺がそう訊ねると、
「東雲が離れたら学校が潰れちゃうから……」
 繊月丸が答えた。

「そ、そうか……」
 廃校が決まっても実際に無くなるのは今年の一年生が卒業する年だろうが母校が無くなるのは勘弁して欲しい。
 長期休暇の度に独りぼっちになってしまうのは可哀想だと思うが。

 休み時間、雪桜と高樹が俺達の教室にやってきた。
 俺は高樹の顔を凝視ぎょうしした。

 男の顔など気にした事はなかったが、そう言われてみれば割と……というか、かなり良い方だな。
 しかも背が高い。

 痩せすぎてひょろひょろなわけでもなく、圧迫感や威圧感を与えるようながっちりとした体格でもない。
 これなら女子に人気があっても不思議はない。

「俺の顔になんか付いてるか?」
 高樹が顔を触りながら訊ねてきた。
「あ、すまん。何も付いてない」
「そうか。東からゴールデンウィークの話を聞いたんだが……」
 高樹が言った。

「都合が悪いのか?」
「そうじゃなくて……また神隠しが起きてるから」
「またか……」
「だから、そう嫌そうな顔するな」
 俺のうんざりした顔を見た高樹が顔をしかめる。

 高城によると、この高校からそれほど遠くない場所で神隠しが起きているらしい。
 例の如く化生を見た者はいない。
 GPSで居場所を探すとその場所の近くでスマホだけが発見されるらしい。

「仕方ない、祖母ちゃんに聞こう」
 俺は溜息をいた。

 放課後――。

 祖母ちゃんと落ち合うと秀が、
「綾さん、明日、皆で遊ぼうって話になったんだけど綾さんの都合は?」
 と訊ねた。
いてるわよ」
「じゃあ、明日、孝司の家に集合ね」
 秀が言った。

「繊月丸、俺の家知ってるか?」
 俺の問いに繊月丸が頷いた。
「なら、明日は姿を現して来いよ。でないと雪桜には声が聞こえないからな」
 俺がそう言うと繊月丸は再度頷いた。
「繊月丸ちゃん、明日が楽しみだね」
 雪桜が嬉しそうに言った。
 繊月丸も表情からすると楽しみらしい。

 ファーストフード店に入ったところで俺達が神隠しの噂を祖母ちゃんに報告すると、
「ああ、蜘蛛くもの」
 祖母ちゃんが頷いた。

 これも祖母ちゃんは知っていたようだ。
 他にもあるのかもしれないが祖母ちゃんは聞かない限り教えてくれないから噂が耳に入らないものは俺達には知りようがない。
 とはいえ、俺達も暇ではないから退治する必要のある化生の話を大量にされても困るのだが。

「蜘蛛の井?」

 聞いた事があるような……。

「私もまだ生まれてなかった頃だけど、大蜘蛛がいて退治されたのよ。子孫が残ってたのね」
「祖母ちゃんは知らないのか?」
「例の儀式のせいで普通の蜘蛛として生きてきてた子孫が大蜘蛛になっちゃったんでしょ」
「退治されたのに子孫が残ってたのか?」
「蜘蛛は子供が多いから。オオカミだって草が一本揺れたらその影に千匹いるって言うでしょ」
 祖母ちゃんが当たり前のように言った。

「千匹!? ゴキブリでさえ三十匹なのに!?」
「オオカミは群れで行動する動物だから。沢山いるって意味でしょ」
「けど、この辺でオオカミの伝説ってあんまり聞かないよな?」
「あれは山の動物だから」
 平地にはいないのだ。

 そう言われてみれば江戸やその近郊には山がない。
 一番近くでも高尾山だろう。
 天狗や河童のような想像上の生き物(実際には存在するのだが)はともかく、実在の動物の場合は生息地でなければ言い伝えなども残らないようだ。
 そう言えば見ればクマやカモシカの昔話も聞いたことがない。
 クマやカモシカは生息していないからだ。
 ちなみにシカとイノシシはいたので骨が出土しているらしい。

「けど蜘蛛ってそんなに大量に卵産むのか?」
「蜘蛛の子を散らすって言葉があるくらいだし沢山産むんじゃないの?」
 秀が言った。
「で、どうする? もし頻繁ひんぱんに人が消えてるなら早い方がいいよな」

 明日は祝日だが、真っ昼間に路上でアーチェリーを使うわけにはいかない。
 祖母ちゃんに誤魔化してもらうにしても矢が通り掛かった人に当たってしまう危険がある。
 矢は木の葉だから祖母ちゃんが葉っぱに戻せるとはいえ間に合わなければケガをさせてしまうのだ。
 となると夜、人通りと人目の少ない時間に行くしかない。
 俺達は待ち合わせの時間を決めた。

 夕食の席で、
「姉ちゃん、明日はうちにいるか?」
 俺は姉ちゃんに訊ねた。
「なんで?」
「いや、別に……」
「明日は拓真君が来るからミケと一緒にお茶を飲むのよ」
 母さんが姉ちゃんの代わりに答えた。

 ミケはお茶は飲まないだろ……。

 まぁミケを囲んで母さんと姉ちゃんが拓真とお茶をするというなら家にいるという事だ。

「父さんも家にいるんだよな?」
「ああ、それがどうかしたか?」
「あ、いや、明日は秀達が来るからうるさいと思うかなって」
「秀君達が来るのはいつもの事だろ」
「新しい友達も一緒だから」
 俺がそう言うと父さんは別に構わないと言うように頷いた。
 これなら祖母ちゃんは全員の姿を見られそうだ。

 深夜――。

 俺達は寺の前に向かった。
 近くまで行った時、悲鳴が聞こえた。
 俺達が駆け出す。
 角を曲がると寺の門の上に巨大な蜘蛛がいた。
 今まさに人を喰ってるところだった。

「げっ……」

 気持ち悪い……。

 別に蜘蛛の見た目が苦手なわけではないが、それでもあれだけ大きいと流石に気持ちが悪い。
 しかも人が喰われているのだ。

「繊月丸!」
 日本刀の姿になった繊月丸を高樹が手に取った。
 高樹が蜘蛛に向かって駆け出す。
 門の上では繊月丸では届かないのではないかと思ったら高城は翼を出して飛び上がった。

「すごい……」
 秀が呆気に取られたように言った。
 以前にも飛んでる姿は見たが、それでも驚いてしまう。

 服の上から羽が生えてる事に。

 高樹が蜘蛛に斬り付ける。
 蜘蛛が巨体からは想像も付かない速さでけると門の向こうに消えた。
 俺は急いでアーチェリーのケースを開いた。
 アーチェリーに弦を張って矢を掴むと門に駆け寄る。

「高樹、こっちに来るようにしてくれ!」
 俺は矢をつがえながら高樹に声を掛けた。
 いくら神泉で清めた矢とは言っても壁や門を突き抜ける事は出来ない。
 と言うか、それ以前に見えなければ狙いを付けられない。

「大森、門から離れろ!」
 高樹の声に俺が門から離れるのと蜘蛛が飛び出してくるのは同時だった。
 俺がたった今までいた場所に蜘蛛が着地した。

 俺は反転して蜘蛛に向かって弓を構えた。
 蜘蛛が俺に向かって突進してくる。
 予想以上の速さに弦を引ききる事が出来ない。

 ヤバい!

 そう思った瞬間、高樹が蜘蛛を後ろから斬り付けた。
 どうやら切っ先が届いたらしい。
 蜘蛛が怒って身をひるがえすと高樹に向かっていく。

 俺はその後ろ姿目掛けて矢を放った。
 矢が蜘蛛の身体を貫く。
 だが致命傷ではなかったらしい。
 蜘蛛がこちらを向こうとした。
 すかさず高樹が蜘蛛に斬り付けようとする。
 蜘蛛が後ろに飛び退く。
 そのまま蜘蛛は塀を跳び越えようとした。

 高樹が蜘蛛の退路をふさぐように塀との間に割って入り繊月丸を振る。
 切っ先は届かなかったようだがそれでも蜘蛛の前脚の先が潰れた。

 流石さすが骨喰ほねばみ」と呼ばれるだけはあるな……。

 俺は矢をつがえて蜘蛛に狙いを定めようとしたが、巨体の割りに素早い。
 もっと小さかった鬼の方が遅いくらいだ。
 蜘蛛は道路に跳びさすると、俺達の方を向いて牙をがちがち鳴らす。
 俺は思わずたじろいだ。
 あの牙でついさっき人を喰っていたのだ。
 と思った時には蜘蛛が目の前に来ていた。
 蜘蛛が足を振りかぶる。

 しまった!

「孝司!」
「大森!」
 秀と高樹が同時に叫んだ。
 振り下ろされた足を見て覚悟を決めた瞬間、何かが蜘蛛の足にぶつかった。
 足の先がごくわずかにズレて俺をかすめ脇に突き立った。

「ミケ! すまん! 助かった!」
 動きの止まった蜘蛛目掛けて高樹が急降下した。
 蜘蛛が飛び退き、ぎりぎりのところで繊月丸の切っ先は届かなかった。
 高樹はすぐに身を翻すと蜘蛛に向かって繊月丸を振った。
 届いていなくても蜘蛛の牙の片方が吹き飛ぶ。

「ーーーーー!」
 蜘蛛が声にならない怒りの声を上げた瞬間、俺は矢を放った。
 矢が蜘蛛の頭を貫く。
 頭部が消えた蜘蛛の身体がその場に倒れた。
 やがて蜘蛛の身体が消えた。
 俺達は安堵の溜息をいた。

「孝司、早く弓をしまって。車が立ち往生してるから幻覚解くわよ」
 祖母ちゃんの言葉に慌ててアーチェリーをケースにしまった。
 蓋を閉めると同時に渋滞していた車が走り始める。

 同時に妖奇征討軍の二人もやってきた。
 狐につままれたような表情で辺りを見回している。

 ミケは祖母ちゃんの幻覚の中に入ってこられたのに妖奇征討軍こいつらは入れなかったのか……。

 俺は呆れて妖奇征討軍を見てから慌ててミケの方に目を向けた。
 ミケはとっくに姿を消していた。
 俺達は顔を見合わせると妖奇征討軍に構わず家路にいた。

四月二十九日 水曜日

 昼過ぎ、秀達が俺のうちに遊びに来た。
 大して広くない家だから祖母ちゃんが父さん達に初対面の振りをして挨拶した後、秀達を俺の部屋に連れていこうと思ったのだが、繊月丸を見た母さんと姉ちゃんがここにいろと勧めるので雪桜と繊月丸は居間に残り、俺は秀と高樹、それに祖母ちゃんと共に部屋に向かった。
 拓真はミケに何やら話をしていた。

四月三十日 木曜日

 休み時間になると高樹がやってきた。

「またか……て言うか、増えてないか? 儀式跡は浄化されたのになんで増えてるんだ?」

 もしかして、あいつらまたやったんじゃ……。

「高樹君、化生の話の時だけは相手にしてくれるから」
 雪桜が俺の耳元で小声で囁いた。

 ああ、なるほど……。
 女子は口実探しに血眼ちまなこになってるのか……。

 雪桜とはそんな事をするまでもなく普通に話せるし、なんなら雪桜の方から話し掛けてくるからネタを探そうなんて考えた事がなかったので思い付かなかった。
 高樹と話が出来るからと言う事で、今までなら聞き流していたような噂まで報告してくるようになったのだ。

 そこまで必死になって見付けてこなくてもいんだが……。

「それで? 今度は?」
「また神田川だそうだ」
 おそらくこの前と同じ場所だろう。
 水のある場所ならどこにでもいたと言うからトイレに出てこないだけでもマシと言う事か。

 俺達は女子トイレに入るわけにいかないしな……。

 ていうか昔は厠にもいたって事は、トイレの花子さんってもしかして河童なのか?

「なら今日の放課後、祖母ちゃんに聞いてみよう」

 学校が終わって中央公園に行くと祖母ちゃんと一緒に白狐がいた。

 俺達が話をすると、白狐が、
「それは大ナマズだな」
 と言った。
「ナマズ!? 地震を起こすって言うあれか!?」
「いや、地震を起こせるほどの大物ではない」

 大物なら起こせるって事なのか?

「ナマズが地震を起こすってホントだったんだ……」
「ナマズが起こすというか、ナマズにも可能だという方が正しいな」

 ナマズにもって、ナマズ以外にも起こせるヤツがいるのか……。

「この前と同じ辺りか?」
「多分ね」
 祖母ちゃんがどうでも良さそうに答える。
「どうする? 高樹も水にはもぐれないだろ」

 弓で射るにしても必ずしも川沿いに道が続いているわけではない。
 道や橋から離れすぎていたら矢が届かない。
 高樹は(今のところ)弓は使えないから上空から狙い撃つというわけにはいかない。

「海伯が帰っちゃったのは痛いな」
「頼んでみる?」
「出来るのか?」
 俺が訊ねると祖母ちゃんはスマホを取り出した。

 祖母ちゃん、スマホ持ってたのか……。

「とりあえず海伯の知り合いに言伝ことづて送っておいたわ。陸から離れたところにいたらすぐには届かないかもしれないけど」
「海伯以外に河童の知り合いはいないのか?」
「いないわけじゃないけど……」
「なら……」
「人間に協力的な化生ばかりじゃないから」

 そうか……。
 そう言や河童は人を喰うって言ってたな……。

 となると後は連絡が取れるのを待つしかない。
 ナマズに関しては今はこれ以上出来ることはないので、俺達は一旦ナマズの事は忘れてゴールデンウィークの予定を話し合った。

「秀ちゃん、お祖母さんとデートしないの?」
「デートするにしてもゴールデンウィークはちょっとね」
 祖母ちゃんが言った。
 確かにどこに行くにしろ日帰り出来る場所なら遠方から人が来るゴールデンウィークより連休ではない土日の方が空いている。
 あえて混雑しているゴールデンウィークに行く理由がないのだ。
 かといって秀はまだ未成年だから彼女と泊まり掛けの旅行は親が許してくれないだろう。

 その時、祖母ちゃんのスマホが振動した。
 祖母ちゃんがスマホ画面をタップした。

「ちっす」
 スマホ画面の向こうで海伯が言った。
「今は遠く離れてても話せるなんてな~。便利な世になったな~」
「海伯、ネットが使えるようになったのか?」
「これはむじなの〝すまほ〟とやらだ」

 狢がスマホ……。
 そういえばSNSで山田が海伯を探していると教えたのが狢だったな……。

「海伯は持ってないのか?」
「防水でも海の水にけたらダメみたいでなぁ」

 そう言や海伯は海の・・河童だった……。

「で、何の用だ?」
 海伯の問いに俺達が事情を話した。
「そうか~、じゃあ、明日にでもそっち行くよ」
「え!? そんなにすぐに!?」
「いや~、実は急ぎの用でそっちに行かないといけないんでな~。ついでだから」
 海伯が答えた。

「そ、そうか。助かるよ」
「ウェ~イ」
 そう言って通話は切れた。
 とりあえずナマズの事は海伯が来てからと言う事で話は決まった。
 ふと顔を上げると祖母ちゃんが深刻そうな表情を浮かべていた。

「祖母ちゃん? どうかしたのか?」
「別に……あんた達とは関係ない事よ」
 祖母ちゃんはそう言ってスマホを仕舞しまった。

五月一日 金曜日

 放課後、中央公園には祖母ちゃんと白狐、海伯の他にもう一人新顔がいた。

「えっと……」
 俺が訊ねるように祖母ちゃんを見ると、
「古い猫又ねこまたよ」
 と紹介した。

 もうちょっと他に言いようはないのか……。

「あんたに会いたいって言うから」
 と祖母ちゃんが言った。
「俺に?」
「この前猫又になった猫を拾ってくれただろう。最期さいごに礼を言いたくてな」

 ミケのことか。

「あ、別に礼を言われるような事じゃ……ていうか、最期って……」
「儂はもう天命がきる」
「え……」
「儂は近々ネズミに殺される」
「えっ!?」

 猫がネズミに!?

「猫より強いネズミもおるのだ」

 どんなネズミだよ……。

「分かってるなら逃げるとか仲間を集めて戦うとか……」
「ダメなのだ」
 海伯が苦い表情を浮かべる。
「天命だけは変えられぬのだよ。けても逃げても命は尽きる」
 猫又が言った。
 罠にしろ攻撃にしろ、死因が分かっていても回避出来ないのだという。

「さて、これで思い残す事はない。ミケあやつを頼んだ」
 猫又はそう言うと踵を返して去っていった。
「……もしかして、海伯の用事って……」
「うむ、あやつとは古い付き合いだったのでな。別れを言いにな」
「化生にも寿命があるのか」
 高樹が呟くように言った。
 その言葉にハッとした俺は祖母ちゃんの方を振り返った。

「祖母ちゃん……」
「心配しなくても、あんたの知り合いの化生は全員あんた達より後よ」
「あやつは白狐よりも年だからな」
「白狐って確か千年越えてた気が……」
 高樹が言った。

「千年って……猫って仏教伝来の時に渡ってきたんじゃなかった?」
「仏教伝来は千五百年くらい前でしょ」
 雪桜の疑問に秀が答えた。
 さすが二人とも成績がいだけあるな。

「動物の猫が日本に来たのは二千年くらい前だな。猫又の記録は平安時代の日記に残ってるぞ」
 白狐が言った。

〝動物の猫〟って事は化猫はもっと前なのか?

 ていうか平安時代、既に猫又になるような年の猫がいたのか……。

 どれくらい生きたら猫又になるのかは知らないが。
 千年くらいが普通なのだとしたらまだ四百年程度の祖母ちゃんは心配なさそうだ。

 そういや白狐が今千年くらいであと百年とか言ってたな……。

 それはともかく、海伯が来てくれたのでナマズ退治に行く事になった。
 俺達は待ち合わせの時間と場所を決めた。

五月二日 土曜日

「またここでいと思うか?」
 明け方、俺達は神田川沿いの小道にいた。

 街灯は川面かわもは照らさないから夜では姿が見えない。
 直接斬り掛かる高樹はともかく、俺は目視もくし出来なければ狙いが付けられない。
 どうせ祖母ちゃんが目眩めくらましをしてくれるのだからと言う事で日の出直前のこの時間帯に来たのだ。

「いいんじゃないか? っていうより、ナマズって事は川沿いじゃないとダメなんだろ。空が飛べる高樹はともかく、俺はあんまり離れた場所からじゃ手も足も出ないぞ」
 俺の言葉に、
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ」
 海伯はそう言うと川に飛び込んだ。

 また……!

 準備が終わってからにしてくれよ。
 俺は心の中でボヤきながらアーチェリーのケースを開いた。

 弓の用意が出来ると同時に神田川の川面かわもに大きな黒い影が浮かんできた。
 こちらに真っ直ぐに進んでくる。

「祖母ちゃん、あれどっちだ?」
 俺は大きな影を見ながら訊ねた。
 間違えて海伯を攻撃してしまったら大変だ。
「大ナマズ」
 祖母ちゃんの答えに俺はアーチェリーで黒い影に狙いを付けた。
 高樹が空を飛んで、向かってくる影の前方に回り込む。

 高樹が前方から影に斬り付けると、影が止まった。
 俺がすかさず矢を放つ。
 水面に飛び込んだ矢が影の脇腹を掠める。
 影の一部が抉れた。
 身を翻そうとした影に高樹が斬り付ける。
 影が素早く前進する。
 少し小さめの影が阻止するように前に回り込んだ。
 影同士がぶつかる。

 動きの止まった影に高樹が斬り付けるのと俺が矢を放つのは同時だった。
 前後左右どこにけてもどちらかの攻撃は当たる、と思った瞬間、影が水から飛び出し――。

 ナマズが空を飛んだ!

「待て!」
 高樹が飛んで追い掛ける。
「ナマズが飛んでる!?」
 俺は驚いて声を上げた。
「驚くような事?」
「当たり前だろ!」
「綾さん、普通はナマズが飛んでたらびっくりするよ」
 と秀が平然として言った。

 なんでお前は冷静なんだよ……。

 と、突っ込みたかったが今はそれどころではない。

 ナマズに狙いを定めようとした瞬間、朝日で目が眩んだ。

「高樹! 東に回り込んでくれ!」
 俺がそう言った理由を悟ったらしい。
 高樹がナマズの下を通って東側に移動する。
 ナマズが西へ飛んでいく。
 あまり離れてしまっても矢が届かない。
 俺は急いでナマズに狙いを付けた。
 ぎりぎりまで矢を引き絞ってからナマズ目掛けて矢を放つ。
 ナマズの尾が消える。
 しかし射程外に出られてしまった。
 高樹が追い掛ける。
 不意に川の水面から水柱が立ってナマズを弾き飛ばした。

 後ろに飛ばされたナマズを高樹が斬り付ける。
 ナマズが際どいところでける。
 高樹はナマズの前に回って俺の方に追い込むように斬り付けた。
 ナマズはそれをけると川に飛び込んだ。
 黒い影がこちらに泳いでくる。
 俺は狙いを定めると矢を放った。
 矢が水面に突き立った瞬間、黒い影が水面から飛び上がる。
 待ち構えていた高樹が影に斬り付けた。
 影が水飛沫を上げて川に落ちる。

 一拍おいて大きな魚のようなものが浮いてきた。
 見た目は確かにナマズっぽい。

仕留しとめたわね。早く弓をしまって」
 祖母ちゃんの言葉に俺は急いでアーチェリーをケースにしまった。
「早く帰ろう。学校に遅刻する」
 高樹が言った。

 そうだ……。

 今日は平日だから学校がある。
 俺達は急いで家に向かった。
 神田川はうちから遠いからこれ以上川にむ化生は出てこないでくれ、と祈りながら。

 放課後、俺達はファーストフード店にいた。
 近くまで来ていたとかで白狐も一緒だった。

「今朝は時間がなくてちゃんと礼を言えなかったが助かったよ」
 俺は海伯に礼を言った。
「気にすんなって。ウェ~イ」
「しかしナマズが空を飛ぶとはな」
 今朝は余裕がなかったが高樹も驚いてはいたらしい。

「魚のナマズと同じだと思うから驚くのだ」
「つまり魚が年をたとかじゃないって事なのか?」
「そういうのもいるがな。今でこそ別物とされているが昔は龍とナマズはほぼ同一視されていたからな」
「龍!?」
 俺達は驚いて声を上げた。

「ナマズも龍と同じく天変地異を起こせるのだ。地震もそのうちの一つと言うだけで地震しか起こせぬ訳ではない」
「大雨や雷なんかも起こす事が出来るんだよね~」
「雨はともかく、雷なんか落とされてたらヤバかったな。それに地震も」
 高樹は空を飛んでいるから普通以上に雷が落ちやすいだろうし、地震で地面が揺れていたら俺も矢で狙いを付ける事など出来ない。

「あれはそんな大物じゃなかったね~」
「天変地異を起こせるような大物となると化生と言うより神だからな。ろくに修行もしてないような未熟な人間では呼び出す事はあたわぬ」
「大物じゃなくても十分手子摺てこずってるんだが……」
 俺はげんなりして言った。

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