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無職の近況


ど〜も!無職です。
名前より先に職の話をしてしまう、それが無職という生きもの。
9月で40歳になります。ついに四十路だ…!

前回の投稿から2ヶ月ほど空き、季節は冬から春へ、そしてそろそろ初夏の兆しも見え始める暖かい日々です。
でも数日前までちょっと寒かったせいか、3日連続頭痛が止まず、眉間を寄せ過ぎて筋肉痛になりました。
眉間が筋肉痛になること、あるんだ…
40年近く生きていても知らないことばかりの世の中、無職なりに平穏に過ごしております。


何だか今日はそんな気分なので(?)、ですます調でお届けします。


これは事務所に設置した牡蠣の長座布団



近況!

3月6日、最推しのバースデーに母が人生のゴールを迎えました。

この日は恵比寿で最推しのライブがあり、数ヶ月前の私は「もうこれくらいには全部終わって身軽になっとるやろな〜」と思いながらチケットを確保。
母が緩和ケア病棟に移ったのが12月の頭、年内もつかもたないか…みたいな話をされていたので、それなりの覚悟をしていたのです。

しかし、母はめちゃめちゃ負けず嫌いな女。
命の限り生にしがみ付き、最後の最後まで母らしく全力で走り抜きました。
もちろん最推しのライブは諦め、それをしっかり見届けた次第です。
ライブは今後まだ可能性があるけど、親の死は一度きりだから…


私は3月3日の朝から病院に付き添い、病院に泊まり込んで早朝に2時間だけ帰宅する、というのを3日間やりました。
まさに三日三晩付き添った上でのゴール。
もはやマラソンと同じ、ずっと母の伴走をしている感覚。
あとちょっとだ…!もう頑張らんでいいよ…!ゆっくり休んで…!と母に声を掛けて過ごした4日間。
その傍らで、人間の最期ってこういう感じなんだな…と興味深く観察(という言葉を使うのは不謹慎だと思うけど)させてくれた母に感謝です。


最後のひと呼吸を終えたとき、一緒に付き添っていてくれた夜勤の看護師さんが母の頭を抱えて
「よく頑張ったね、おつかれさま」
と言ってくれたおかげで、私のこれまでの人生も報われた気がします。
急変などもなく、本当に緩やか〜に穏やか〜にゴールを迎えたので、私もしっかり覚悟が出来たし、準備も出来ました。
負けず嫌いで気が強く、その割に思慮が浅くて単純で能天気で、そんな母には散々振り回されましたが、ちゃんと最期を見届けることが出来たのは自分への報いでもあったのかなと思います。

かなしい、さみしい、つらい、くるしい、などの気持ちは一切なく、よく頑張った!おつかれ!という気持ち。


諸々の手続きを全部自分でやらなければならないというのはひとりっ子の宿命ですが、微々たる預貯金を遺産分割で揉めずに済んだのはラッキーでした。
手続き関係は今後の業務にも関係するかも?しないかも?わからないけど、幼少期から自力で書類を書いて学校に提出していた成果が如実に出ているなと感じます。
これもいつか何かの業務に役立つかも…という可能性のおかげで手続き関係は一切苦にならず、もっと書かせてください!書類をください!の気持ちになりました。

でも死後すぐにしなくてはならない手続きのほとんどは葬儀屋さんが代行してくれるので、まだまだいける!書類をくれ!の気持ちは今も続いています。
(官公署の申請書類をダウンロードして架空の申請書類を作成する遊びをしているよ)

架空の古物商許可申請書類を書く練習




母がゴールしたのが21時過ぎ、それから看護師さんが
「お母さんと最後にゆっくり過ごしてね」
と2人きりにしてくれたので、ちょうどバイトが終わった直後だった娘とLINE通話をしたりしました。

娘は4日間ほぼ一人暮らしの状態で、猫の世話をし、初めて洗濯をして(今まで料理以外の家事をさせる機会がなかった)、家のことを守ってくれました。
同じ場所にいなくても、家族3人(と1匹)一緒に頑張って過ごした4日間。
みんなしんどかったけど、みんな頑張った!えらい!


当直の先生に死亡確認をしてもらい、夜勤の看護師さんと一緒にエンゼルケアをさせてもらって、葬儀屋さんが到着したのは23時半頃。
病院から一番近い家族葬のホールにあらかじめ電話で相談してあったので、指定した時間ぴったりに来てくれました。

そこから葬儀の打ち合わせ。
「これが親の死後にしなければならないと噂の諸々の選択…!」
と思いながら花のサイズを選び、全て終わって帰宅したのが1時すぎ。
3日間病院のベッドでひやひやしながら1〜2時間の仮眠しか摂れなかったので、久々にまとめて寝ました。

これはひな祭りから片付けまでの間、後ろを向かされていた病院の雛人形たち(かわいいね)




そして翌日、3月7日。

なんと行政書士会の登録申請に行きました。
2月の半ばに予約の電話をしたら3月はもうこの日しか空いていなくて…
でももし数日早かったらあわやキャンセルの事態になりかねなかったので、母はしっかり合わせてくれたんだな〜と思ったり。


そういえば合格が確定した日、母に「合格したよ〜!」と言ったら
「あんたはすごいねえ、本当にえらい、がんばったね」
とあまり動かなくなった腕を伸ばして頭を撫でてくれて、これは人生で最後の親からの褒めかもな…と思いつつ、合格を伝えられたのは最後の親孝行だったのかな〜と自惚れてみたりなどしました。
多分母は私の心配より推し(BTSの某メンバー)の心配をずっとしていたので、単純に個人的な慰みです。


7日は午後から行政書士会に申請書類を持ち込み、意気込んでスーツを着て行ったものの、他に来ていた男性はパーカーにスニーカーというラフな格好で、士業はスーツといういにしえの概念を捨てねばならぬ…!と多様性に想いを馳せました。

職員の方との面談では初っ端から
「事務所名の由来を教えてください」
という斜め上の質問をされ、冷や汗をかきました。
まさかそんなこと聞かれるなんて微塵も思わなかったよ…
一番好きなバンドの曲のタイトルが由来です!
と元気に答えるわけにもいかず(言えば良かったな)、
「相続業務をやりたいので…花の名前で…馴染みがあるかなと…」
絵に描いたようなしどろもどろになりました。
何だその理由…

それ以外は滞りなく進み、事務所の管理会社さんへの確認点がひとつある以外はサクッと終了。
しかしこの確認点について更に2回ほど行政書士会に足を運んだのも、今となっては良い思い出。

現在は登録待ちの状態、このまま何も無ければ5月に登録完了予定です。
週に1〜2回事務所に行き、せっせと領収書を印刷したり税金に怯えたりしています。

申請書類をもらうときから数えて4回通った行政書士会



3月9日に母の葬儀があり、5月の終わりには納骨の予定。

お骨は母の弟さんが、娘(私から見たいとこ)と同じところに入れなよ!と言ってくれました。
葬儀屋さんにこの話をしたら「そんなことある!?」みたいな反応だったので、なかなか無いケースかと思います。
母の弟さんに感謝、そしてこれもきっと母の人徳だと思うので、母にもしっかり感謝感謝…


入院しているときから母のきょうだいの皆さんがたくさん力になってくれて、なんかもう本当に心から
「この人たちの力になりたい。恩を返したい」
と思ってしまいましたよね。
これまでの人生「人の役に立つ」とか「社会のために」とか、一番縁遠いところにいたというのに。
年を重ねると色んな人の優しさが素直に身に沁みます。

そんな感じで、離島にある母の実家の相続関係が色々ややこしかったのと、
「良かったら練習に使ってみる?」
と言ってくださったのとで、空き家バンクへの登録手続きを任せてもらっています。
今は業務ではなく相続人の1人としてやっていることだけど、間違いなく今後の役に立ちそうだな〜と思い
「書かせてください!書類をください!」
と(言ってないけど)喜び勇んで受けました。

廃墟が大好きで友人を廃墟に連れ込んで写真を撮ったりしていた若かりし頃、まさかここで空き家に繋がるなんて夢にも思わなかったな…と驚きです。
人生って全部繋がっているんだなあ。

これは尻が落ちているねこ



大まかな近況としては母が他界したこと、行政書士会に登録申請をして無職期間が残り僅か…というところ。


そのほかには、先日いちご狩りにひとりで行って30分で大小合わせて85個のいちごを食べました。
一度やってみたかったひとりでいちご狩り。
娘は父親譲りのいちご嫌い、彼氏は少食、ならばひとりで…!という次第です。

ただひたすらに、淡々と目の前のいちごを食べるという行為、こんなに幸せなことがあるのかとびっくりしましたね。
また来年も絶対やりたい。

そして芽生えた「私はひとりでいちご狩りに行って30分で85個食べた女」という謎の自信により、無敵感が生まれました。
もう何も怖くない。
書類、手続き、人間関係、事務所の家賃、税金、経費、全部かかってこいや!の気持ちです。

来月はひとりで青森に行き、レンタカーを借りて恐山まで行く予定です(空港から片道3時間)。
母が何もできない女だったおかげで、ひとりで何でもできる女になりました。
私はそんな自分が大好き!

ひとりでいちご狩りに行くと自力で写真を撮らねばならない



青森といえば私の父親は青森出身なのですが、2歳の頃に両親が離婚し、最後に会ったのが小1の台風の日。
それから消息不明となっており、親戚付き合いも特にないので生きているのか死んでいるのかわからない、という状態でここまで来ました。

Yahoo!知恵袋で「戸籍の附票を辿れば縁を切った親の生死がわかる」という情報を得たことを思い出したのは今年になってから。
母の手続きが諸々終わったあと、役所を再訪して父の戸籍を全部出してもらいました。

なぜか2時間近く待たされ、呼び出し番号は一周し、もしや忘れられてる…?と思った頃に出て来た戸籍はめちゃめちゃ分厚くて。
何じゃこりゃ!と役所の方と確認したら、なんと父の親の戸籍は樺太(現在のロシアのサハリン島)にあったそうなんですね。
生まれは青森市だけど、樺太から次の戸籍を作るまでに戦後の混乱などによって時間が空き、父の戸籍は10年ほど宙ぶらりんの状態に…
樺太から移った戸籍は北海道の網走の隣の小さな町。
更に父の父(祖父)は前妻と離婚した日に後妻と籍を入れている。そんなことある!?

何から何まで初見なもので「エ〜!」と役所の職員さんの前で驚きを隠せませんでした。
幼少期から「あんたはアイヌの血が入ってるから〜」と祖母や父方の親族に言われていた理由をようやく理解。
なるほどな〜!40年生きてみるものだな〜!と戸籍を前にしみじみしてしまいました。
戸籍、めちゃめちゃ面白い。


肝心の父は平成24年の10月に北海道で亡くなっていたもよう。
死亡届の届出人が家屋管理人の方になっていたので、おそらく孤独死ってやつだったんじゃないかな。

どんな人生だったんだろう。
写真も2枚くらいしかないけど、どことなく彼氏に似ている父。
母に彼氏の写真を見せたら「あんたの父ちゃんに似とる」と笑われたなあ。
でも私は父似らしいので、私と彼氏は似てる…ってコト!?(そこまで似てない)

答え合わせはもう出来ないけれど、自分を製造した人間たちがこの世にもう存在していないという事実、不思議だな〜と思います。
でもずっともやもやしていた自分のルーツについて知ることが出来て良かった。
父の戸籍があった北の小さな町は日本最北端の温泉街があるらしいので、いつか行ってみたいな。

樺太!



そんな感じで、無職期間も残り20日を切りました。
しかし登録が完了したからといってすぐにポンポン仕事が舞い込んで来るとも思っていないので、ゆっくり右肩上がりに社会復帰出来たらいいな!と思います。



最後に、ほぼ月1で通っているリトルワールドという最高のテーマパークの写真を貼って終わります。

春休み明け直後、大雨からの快晴という天気のおかげで全然人がいなくて快適でした。
ごはんも美味しいし、人口密度が低くて自然がいっぱい、息がしやすい!
名駅からバスも出ているので、愛知県にお越しの際は是非リトルワールドへ…

ざわ……ざわ………
タイゾ〜ン
風が強かったな
中南米ゾ〜ン
美しいね
ヨーロッパゾ〜ン
無人なのにずっとパイプオルガンの音が流れている教会
チューリップも綺麗だった


リトルワールド最高〜!!


おわり

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