ヤニクラが嫌いじゃない

煙草を吸うのに慣れていない人がなるらしい、ヤニクラ。もしくは、合わない煙草を吸うとなるらしい。
私もいろいろあってとうとう煙草を手に取ってしまったが、そんなに頻繁に吸う訳でもないからか、吸うたびにヤニクラを起こす。
脱力感と、軽い眩暈。でも、その感じが嫌いじゃない。
「あ~、体に害だな」とか思いながら吸っている。
ヤニクラが嫌いじゃないと周りの喫煙者に言うと、結構驚かれる。驚かれることに、逆にこっちも毎回驚く。
煙草は寂しいと思っていたが、もしかしたら彼らにとってはそうじゃないのかもしれない。
そろそろ、自分はマイノリティーなのかもと認め始めるか。

やたら禁煙を勧めてくる友達に「自傷行為だよ」と言われたときは、妙に腑に落ちた。
思い返せば、震える手でピアスを開けたり、思い切って髪をブリーチしたりしてきたが、そのどれもが全て、前向きではない感情が原因だ。
現状にとてつもない嫌悪感を抱き、変わりたい、強くなりたい、とか思ってやった。さしずめ今回は、「長生きしたところでなぁ」という感情が元だろうか。いやまぁ、できるものなら長生きはしたいけど。

過去に一度、手首を切ったことがある。まだ子供だった。子供なりに痛いと思ったし、それと同時に「これじゃ死ねない」と知った。
その後、二回の自室の窓から足を出し、窓枠に座って夜の風を感じることが、夏から少し肌寒くなる秋まで、ほぼ毎日続けた。
少し強い風が吹いたり、後ろからトンと押されれば落ちるほどのバランスで座っていた。頭から落ちれば死ねるのではないかと考えていた。そんな高さがあるのかどうか、今では試そうとも思わないが。

これは持論だが、死ぬ覚悟さえなかったが本気で死にたいとは思い続けた人、そんな人がそのどす黒い精神状態から立ち直った時、その人はもう今後一生、自ら死を選ぶことはないのではないかと思う。自分のために死ぬことはしないのではないだろうか。
だって多分、死ねない程度にはこの世界の美しさを知っていると思う。

自傷行為は、目に見えない心の痛みを、体の痛みとして可視化できるから、逆に安心するからやってしまうらしい。面白い。
決して、誰かに気づいてほしさにやるわけではない。それだもん、気づかなくて当然か。
私の場合、自分でも気づかなかったことに気づいてくれる友達がいて幸運だという訳だ。
長々と、とりとめもない事を書いてしまった。

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