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記憶について

朝、間違えて夏の香水をつけた。ほんとうは隣に置いてあったやつを使いたかったのに首筋から常夏、乾いたあたたかい風の吹く地中海のムード。でも東京は最低気温4度

日々、あまり記憶を振り返ることがない。写真を見返すことも年に一、二回しかない。写真に映っているものってもう自分とは関係のないもののような気がする、排水溝に溜まった抜けた髪の毛のようなかんじ。
おそらく死ぬまで二度と会わない人の顔をぼんやりと覚えていて、でもそんな人本当に実在したのか、いつも疑っている。わたしが過去見たいろんなものが溶けて出来た存在しない何かかもしれないし、かといって写真も信じられない。わたしってこんな風に筋肉を動かして笑ったことがあるのか、こんなシーンにわたしはいたことがあるのか、おそらく自分の記憶と一瞬を正確に捕まえた写真は成り立ちがまったく違うものと推察する。じゃあ今言葉を話したり、家族の顔を覚えていたりするのってなんなんですか?

記憶は香りと似ているのかもしれないとも思う。漂って、実態がなく、そのとき目に映った色が染み出してぼんやりとしみのような状態で体の芯のほうに残っていて、視力0.1以下のわたしはたいていそれに気付けない(リディアデイヴィスの話の終わりを読んだ。だいたいこんな話じゃないですか?違いますか?)

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