見出し画像

ライムグリーンの夢を見る(ライムグリーン③)【短編小説】

「ね、今週末の旅行、婚前旅行? 新婚旅行?」

 隣の席の葉山が声を潜めて問いかけてくるのを、俺は呆れた気分で聞き流す。
 何が! 婚前だ! 新婚だ!
 俺が地元に帰るだけだっつーの!

「え? とうとうそんな話になったんですか?! やっぱり、ライバルの出現に蓼原先生、覚悟を決めたんですね!」

 弾んだ声を出したのは、俺の反対側の席にいる水田だ。葉山の声聞こえてたのか!

 あー。確かに定時は過ぎてるから、何の話をしててもいいけどなー。
 お前ら二人、どっか別のところでその話してくれないかなー。俺と無関係なところで!
 俺は水田も無視して、カチカチとパソコンに打ち込んでいく。

「ね、木下。どっちなの?」
「入籍はいつですか?!」

 こいつら!

「用事がないならもう帰れば」

 顔は画面に固定したまま、俺は極めて冷静な声を出した。淡々と、これ大事。感情的になったら最後、葉山のおもちゃにしかならないと、ようやくわかったからだ。

「あー。マリッジブルーってやつね。わかるわかる」
「ああ。これがマリッジブルーってやつなんですね。木下先輩でも、結婚を前にするとブルーにもなるんですね」

 葉山、何言ってんだよ。俺に結婚の予定なんてないってーの!
 おい水田。何気に俺をディスってるだろ! 何が俺でもだよ! 
 でも俺は頭の中で文句を言っただけで、葉山にも水田に顔を向けることなく画面に顔を固定したままパソコンを打つ作業に没頭する。
 こいつらに巻き込まれたら最後、カオスにしかならない。

「プロポーズはどっちからしたの?」

 おい葉山。何で旅行の話からそんな話になったんだよ!

「葉山先輩。それはもちろん、木下先輩からですよ! 何たって攻めですからね!」

 何が攻めだよ! そんな事実なんてないから!

「えー。でも、いつもは蓼原先生の方がイニシアチブ取ってそうじゃない?」
「それは、日常の話ですよね? まあ、立場としてはドクターですし蓼原先生が上ですから、いつもはそうですけど、2人きりになったら逆転するんですよ!」

 水田、何が楽しいんだ。声が跳ねたけど?

「えー。私はどう考えても、木下がプロポーズするとは思えないけど。水田さんだってさっき、蓼原先生覚悟決めたんだって言ってたじゃない?」
「いえいえ。それは、木下先輩のプロポーズを受ける覚悟ってことですよ! 蓼原先生も、一応ドクターとして立場のある人じゃないですか。だからきっと、こういう仲間内ではオープンにできても、公にオープンにするとか覚悟がいると思うんです」

 ちょっと待て。何で俺がプロポーズしたことになるんだよ! 俺には覚悟いらないのかよ! って言うか、公にオープンとか、どいう言うことだよ! 既にこの病院内では俺と蓼原先生のカップル勝手に出来上がってるじゃねーかよ!

「えー。私は蓼原先生から逆プロポーズって感じだと思うんだけど。だって、木下あんな感じで煮え切らなかったでしょ? だから、ライバルの出現に木下を取られたくないって思った蓼原先生が、覚悟を決めて木下にプロポーズした。ね、木下違う?」

 何の事実も伴ってねー。頷くところが何もねー!

「えー。私は絶対木下先輩がプロポーズしたと思うんです!」
「いやいや、蓼原先生だって! ね、木下!」

 うるせー!

「技師長!」

 俺は2人を無視して、部屋の隅で談笑していた技師長に声を掛ける。

「何だ?」

 3人ほどのスタッフの間から顔を出した技師長が、俺に問いかける。

「席替えしましょう! 俺、静かな席に座りたいです!」
「あー」

 技師長はどうやら俺が2人に囲まれているのを見て、何が起こったのか理解してくれたらしく、苦笑している。

「駄目よ、木下君。席替えはしません」

 なのに、横から口を出してきた立川先輩に却下される。
 この部署の実質のボスは、この立川先輩だ。

「この2人がうるさいんです!」
「木下君が答えてあげたら静かになるから。って言うか、答えてあげてくれる? ちょっとうるさくなってきたわよ」

 俺を諭すようにそう言うと、立川先輩は自分のパソコンに向かった。どうやら一方的に話は終了したらしい。

「らしいから、席はそのままな」

 苦笑したままの技師長の言葉が、虚しさを増す。

「ほら、木下答えて!」

 葉山の言葉に、水田がうんうんと頷いている。

「俺と蓼原先生は付き合ってない」

 声を荒げることなくきっぱりとそう言ったのに、葉山と水田が大きなため息をついた。

「マリッジブルーって、やっかいね」
「本当ですね」

 どうしてそうなる!?

「誰が、マリッジブルーなんだ?」

 聞こえてきた声にギクリとする。何でこのタイミングで来るんだよ! この2人が喜ぶだけじゃねーかよ!

「あー。いえ、先生。木下でもマリッジブルーになるんだなーって話です」
「違うだろ」
「あー。そういうこと」

 俺が否定したって言うのに同意する蓼原先生に、は?! となる。

「やっぱり最近、おかしいですか?」

 水田の声は、心配をしているというよりは、好奇心に満ちている。

「そうだな」
「蓼原先生何言ってるんですか」
「まあまあ、木下。夫婦に喧嘩はつきものだから気にしない。それで、今週末仲直りの旅行なんですね!」

 どこに夫婦がいるんだよ! 葉山ウキウキすんな!

「実はな、最初は一人で行くとか言い出してな」

 蓼原先生、何言っちゃってるわけ?! 当たり前だろ!

「地元で合コン行くから」

 俺は一人で地元に帰る!
 俺の言葉に、葉山と水田の口から非難の悲鳴が沸く。

「何言ってんの! マリッジブルーの最たるものじゃない! この相手と結婚していいのかって不安になったからって、軽々しく合コンとか言うんじゃないわよ!」
「そうですよ! 木下先輩ひどいです! マリッジブルーになるのは勝手ですけど、蓼原先生を悲しませるようなことしないでください!」

 何で俺、非難されてる?

「そもそも俺は彼女が欲しいの。だから合コンに行くんだって」

 俺はノーマル!

「…そうね、そもそも木下は、その自分の姿が受け入れられなくて、蓼原先生の気持ち、ないがしろにしてたんだもんね」

 訳知り顔の葉山に言ってやりたい。何も事実が伴ってない! でも何か言ったらめんどくさそうだから、とりあえずスルーする。

「…でも、蓼原先生の気持ちは、どうなるんですか?」

 泣きそうな声の水田に言いたい。そんなもの存在しねーよ! でも、これまたスルーだ!

「2人とも、心配してくれてありがとう。その話は解決して、2人で旅行に行くことになったから」

 ニッコリと笑う蓼原先生が、俺には悪魔にしか見えない。
 スルーしちゃいけなかった! 何が2人で旅行だよ! そんな話してねーし!

「蓼原先生、そんな約束してないですよ」
「何だ、やっぱり婚前旅行ね」
「え? 新婚旅行じゃないんですか?」

 どうして誰も俺の言葉を拾わねーんだよ!

「それで木下。その旅行の話なんだけど」
「話すことはありません」

 そもそも一人で帰るって言ったよな!?

「あー。木下、照れてる!」
「へー。木下先輩は照れるとムッとするんですね!」

 お前ら、普通にムッとしてるんだよ! 曲解するな!

「ちょっと蓼原先生、外で話しましょう」

 コイツらいると、カオスになるだけだ!

「木下、ここ職場だからね?」

 …何で俺、葉山に忠告されてるんだろう…。
 泣きたい気分で席を立つと、俺はスタッフルームを出る。
 スタッフルームのドアが閉じると、途端に蓼原先生がクククと笑い出す。

「葉山と水田が揃うと、ますますすごいな」
「わかっててかき回すの辞めてもらえません? 俺の仕事が進まなくて困るんですけど!」
「あー。悪かったな」

 全然悪いと思っていなさそうなその声に、俺はムッとなる。

「悪いと思うなら、これ以上誤解されるような言動は慎んでください! 本当にあいつらがめんどくさいんですって!」
「わかったわかった。で、今週末、何時に出発するんだ?」

 で、じゃ、ねーよ。

「…出発は何時でもいいじゃないですか。俺は一人で帰ります!」
「俺もお前の地元で働いてたんだし、知り合いに会いに行きたいから、一緒に行けばいいだろ」
「俺、今回電車で帰ろうかと思ってたんですけど」
「今週末、いい天気らしいぞ。海風切って走るの、気持ちいいぞー」

 その誘い文句に、グググ、と唸る。俺の地元に戻るなら、その道は海沿いになるだろう。だけど!

「地元まで結構距離ありますし。親がその距離移動するの心配するんで」

 そう言い訳を述べれば、蓼原先生が呆れた顔をする。

「お前、マザコンか」
「違いますよ!」
「じゃ、ツーリングな」
「…俺、こっちに帰って来るの、月曜日にしてますけど」

 帰りは一緒に帰りませんよアピールだ。

「あ、葉山に確認して知ってる。俺も休みだから大丈夫」

 大丈夫って何だよ! 葉山の新婚旅行説がどこから湧いて来たか、ようやく理解する。

「俺、絶対合コン行きますから!」
「ま、それは行けばいいんじゃない」

 ニヤニヤ笑う蓼原先生に、俺は戦果を見せてやることに決める。
 絶対良い子つかまえてやる!

 *****

「くっそ、いい走りするよなー」

 俺は蓼原先生の背中を追いかけるメットの中で、憧れと自分に足りないものを見せつけられたような複雑な気分でぼそりと呟く。高速道路を走っていてそう感じるってことは、それだけ差があるってことだろう。マシンの差だけとも言えないその何かは、確実に俺と蓼原先生の間に横たわっている。
 やっぱり、蓼原先生の走りは、俺とは一味違う。それは経験の差だけでもマシンの差だけでも説明できるわけじゃないと思うのだ。言うなればセンス。生まれ持っている何か、だと思う。

 悔しいけど、蓼原先生の走りに勝てそうな気はしない。勝ち負けがあるわけじゃないけど、俺の走りじゃ、蓼原先生を唸らせることはできないだろう。悔しいけど、俺は蓼原先生の背中を追っていくことしかできなさそうだ。
 前を走るマシンがウィンカーを出したのを見て、俺もウィンカーを出す。
 何もなければこのサービスエリアで休憩しようと走り出す前に決めていた。ちょっと休憩には早すぎる気はするけど、ベテランの蓼原先生が言うのだから、それに従った方がいいだろうと異は唱えなかった。

「大丈夫そうか?」

 メットを取ると、強くなってきた日差しが俺を刺す。まぶしくて目を細めていると、蓼原先生が影を作った。

「まだ走り始めたばっかりなのに、音を上げてたら家にたどり着かないですよね?」

 心配そうな様子に苦笑すれば、蓼原先生が肩をすくめる。

「それもそうだけどな」
「次、どこで止まります?」

 俺の問いに、蓼原先生がちょっと逡巡して、口を開く。

「この先に寄りたいところがあるんだけど、寄ってもいいか?」
「えーっと、下道に降りるってことですか?」
「ああ。このペースで行くなら、昼過ぎにはお前の地元にはたどり着くだろうし、行けるな、と思ったんだけど。お前が昼前にたどり着きたいって言うなら、急ぐけど」

 特に今日の用事は夜の合コンくらいのもので、俺には他に用事もなかったから、同意の意味で首を振った。

「特に何もないんでいいですよ」
「わりーな。行くつもりなかったんだけど、お前と走ってたら行きたくなって」

 妙に神妙な蓼原先生に俺は首をかしげる。

「一体どこに行くんですか?」
「ダチの所」
「ダチ、ですか。えーっと、こんな時間ですけど?」

 まだ朝の8時を過ぎたところだ。起きててもおかしくはないけど、常識的に訪ねるような時間じゃまだないはずだ。しかも、初対面の俺を伴って。

「大丈夫。生きてるわけじゃない」

 大丈夫、と言われたことと、生きてるわけじゃない、と言われたことが結び付かなくて少し戸惑う。でも出た答えは一つしかない。

「お墓、ってことですか?」
「そ。トイレとか行くか?」
「行きます」

 今は詳しく話してくれそうにない雰囲気に、俺は言われるままトイレに向かう。
 何でこんなところに? とか、俺と走ってて会いたくなる友達って? とか疑問がいくつかは沸いて来たけど、答える気があれば答えてくれるだろうし、答える気がなければ答えてくれないだろうと、当たり前すぎるところにたどり着いて、それ以上は考えるのを辞めた。
 蓼原先生だって感傷的な気分になることだってあるってことだ。

 たどり着いた霊園は、高台の静かな場所だった。
 バイクを置いた駐車場から、下に広がる街の景色が見える。

「いい眺めですね」

 メットを置いて蓼原先生を見ると、蓼原先生は何とも言えない表情で街を見下ろしていた。

「だな。前に来た時には気づいてなかったけど」
「何回か来てるんじゃないんですか?」
「…来たかったんだけどな。怖くてな」
「怖い、ですか?」

 その単語の意味がよくわからなくて、俺は首をかしげる。

「…俺が、一緒に居るとき事故ったんだよ」

 その意味するところを理解して、蓼原先生が墓参りに来れなかった理由を知る。

「事故で?」
「事故ったときには、ピンピンしてたんだよ。本人もケロッとしててな」
「え? じゃあ、どうして」
「ピンピンしてるからって、頭の検査をされてなかったんだよ」

 え、と声が漏れる。

「次の日、俺があいつの部屋に行った時には、もう意識がなくてな。硬膜外血腫だったんだと思う」
「それって…医療ミスじゃないですか」
「そうだな」
「それは…たとえ蓼原先生が医者だったとしても、その病院の医者じゃないんだったら、責任はありませんよ…一言、頭の検査を、って言うことはできたかもしれないですけど」

 最後の言葉は、どうしてもしりすぼみになる。医療関係者として、そこを気にしないわけがないと思うのだ。まして蓼原先生は放射線科の医者だ。

「俺がその時そんな知識があったら、ごねてでも撮ってもらってただろうな」
「…その時、蓼原先生はいくつだったんですか?」
「十九歳だった。でも医者を目指してたわけじゃない。」
「え? じゃあ、何を?」
「俺とあいつは、プロのレーサーを目指してた」

 その言葉で蓼原先生のバイクのセンスの理由が分かる。プロを目指すぐらいだ。その技術に俺が叶わないと思うのも当たり前だ。

「もしかして、その事故で、目指すの辞めたんですか?」

 責任を感じて。その言葉は飲み込んだ。軽々しく言えそうにはなかったからだ。

「いや。医者って結構やぶなんだなって思ったら、俺でもなれそうな気がしてさ。あんな奴でもやれるなら俺もなってやるって」
「何ですかそれ」

 予想外の理由に、俺は苦笑する。

「俺なら絶対、そんな理由で大事な奴を死なせたりしないって、そう思って」

 蓼原先生が放射線科を選んだ理由が分かったような気がして、蓼原先生の気持ちを思うと俺の方が涙が滲む。

「何おまえがしんみりしてんだよ。ほら、行くぞ」
 
 蓼原先生が歩き出して、俺は慌ててそれについていく。

「場所、覚えてるんですか?」

 ずっと来てないんだとしたら、その場所も不確かだと思うのだ。

「おまえと違って記憶力はいいんだよ」

 確かにその足取りは迷うことはない。俺はそれに就いていくだけで良さそうだ。

「…先生は、その後バイク乗るの、怖くなかったんですか?」

 蓼原先生の背中に問いかける。自分が事故にあったわけではない。でも、目の前で事故った人間が亡くなってしまったのだ。俺だったら怖くて乗れなくなるかもしれない。

「怖くないって言ったら嘘になるな。けど、結局バイクが好きだからな。乗らずにはいられないんだよ」
「なら、どうしてプロ目指すのやめたんですか?」

 余計なお世話だと思うけど、もったいなかったんじゃないかって、そう思ったのだ。

「結構な、限界を感じてるところだった。あいつの方がもっともっとすごくて、あいつはプロになるだろう。プロになっても勝てるだろうって、そう思ってた。俺はプロになっても、勝てたかどうか。意地で続けたとは思うけどな」

 蓼原先生らしくない弱気な発言に驚く。

「蓼原先生でも、そんなこと思うんですね」
「俺でもってなんだよ。俺だって人間なんだけどな」
「いえ。いつでも尊大で自信があって、怖いものなんてないんだと思ってましたよ」

 俺の蓼原先生のイメージは、そんな感じだ。

「ひでーな。俺だって自信がなくて怖いものだってあるよ」

 ぴたり、と蓼原先生の足が止まる。

「あー。花とか何も用意してなかったわ」

 困ったように言う蓼原先生に、俺はクスリと笑ってしまう。

「案外常識的なこと言うんですね」

 蓼原先生がギロリと俺を睨む。

「重ね重ね、お前ひどいこと言うな。わりーな貴。こんな口悪いダチ連れて来て」
「どうとでも言ってください」

 俺が肩をすくめるのと、蓼原先生が手を合わせたのは同時だった。
 俺もそれに倣うように手を合わせる。
 ダチ、と蓼原先生に説明されたことが、何だかこそばゆいような感じもあったけど、嬉しさもあった。何だか、同等に扱われているみたいで。
 静寂の中に急にセミの声が聞こえてくる。さっきまで気にもしてなかった音が、耳に届いて、急にうるさく感じる。

「バイクには乗らずにはいられなかったけど、ずっと楽しいって気持ちを忘れてたんだよ」

 蓼原先生の声に顔を上げると、まだ蓼原先生は目をつぶって手を合わせたままだった。
 俺はその横顔を見ながら、その先の言葉を待つ。 

「木下と初めてタンデムした日、久しぶりにバイクに乗ってて楽しいって思ったんだよ。本当に久しぶりに。ああ、バイクに乗るのって、こんなに楽しかったよなって、思い出した」

 顔を上げた蓼原先生が横に立つ俺を見る。

「だから、お前には感謝してるんだ。バイクの楽しさを思い出せたから」

 いつもの意地悪な顔とは違う、何かが吹っ切れたような優しい顔に、俺は胸が詰まる。

「俺、何もしてませんよ。単にバイクに乗せてもらっただけですから」
「そうなんだよな。お前何もしてないんだよ。なのに俺に恩を売るとか、ずりーな」
「…そうやって意地の悪いこと言わなければ、尊敬できる先生なんですけどねー」

 あっという間にいつもの表情に戻った蓼原先生に、残念なようなホッとするような。

「貴、俺、お前みたいなやつ、二度と出さないから」

 もう一度お墓を見た蓼原先生は真面目な顔でそう言い切ると、俺の方を振り返る。

「さて、行くか」

 その顔は、いつもの蓼原先生だった。

「はい!」

 先を歩く蓼原先生について歩きながら、俺は一度足を止めると、貴、と呼ばれていたお墓を見る。
 俺も蓼原先生が見落とさないように手伝いますから、そう心の中で呟いて、蓼原先生を追いかけた。
 

 *****

「連絡先、交換しよ?」

 めちゃくちゃタイプの女の子にそう言われて、浮かれない男がいるだろうか。俺は慌ててスマホを取り出す。
 すると、タイミングを読んだようにスマホが着信を知らせる。
 画面に出ている名前は“蓼原先生”だ。
 少し迷っていると、女の子が出たら?と言ってくれたので、そのままスライドする。

「もしもし?」
『お前、どこにいる?』
「…どういう意味ですか?」
『ここで飲みに行くところなんて限られてるだろ。近くに居るんだよ。家に送って行ってやるから』
「あのー。帰れますから大丈夫です」

 余計なお世話だ! もしかしたらお持ち帰りだってできるかもしれないのに!

『俺の親切、断ったらどうなると思ってる?』
「…知りませんよ。電話、切りますよ?」
「いた。やっぱりな」

 電話からじゃなくて蓼原先生の声がして、ギクリとする。

「何でここに…」
「女子受けしそうな飲み屋なんて少ないだろ」

 なるほど、良く知ってるわけだ。

「木下君、誰?」

 さっきまで俺といい感じでいた女の子が、明らかにさっきと違うテンションになる。
 あれ?

「あ、蓼原と言います。彼と同じ病院で働くドクターです」

 ドクター?! と女の子たちが色めき立つ。
 あれ? 何かおかしくないか? あれ、何で蓼原先生、そんなに医者スマイル発揮してんの?

「あの! これから飲みに行きませんか!?」

 …あれ? 彼女、俺と連絡先交換してくれるんじゃなかったっけ?

「ごめんね。俺バイクで来てるから、代車とか頼めるわけじゃないし」

 何だろう。優しい蓼原先生って、キモチワルイ。

「えー。あ! あの私、バイク乗ってみたいんです!」

 …あれ? 俺がバイク乗ってるって言った時、そんな反応したっけ? …一応してたけど、こんな積極的じゃなかったんだけどなー。

「な、木下。この高スペックドクター、明らかにお前の狙ってた女の子が狙ってるけど、大丈夫?」

 悪友が俺に耳打ちしてくる。そうだよな? 俺もそうじゃないかなーって思ってた。

「帰ってもらうわ」
「そうした方がいいと思うぞ。俺らが狙ってる女の子も完全に浮足立ってる。何だよこのイケメン」

 そうだ。見慣れてしまっていたけど、この男、イケメンだったんだった! 医者って仕事にイケメンとあらば、女の子が浮足立っても仕方ないのかもしれない!

「蓼原先生、俺らこれから2次会行くんで、もう帰ってもらっても大丈夫ですよ?」
「えー。蓼原先生も行きましょうよ! 飲まなくてもいいんで!」

 俺の狙ってた女の子が、蓼原先生とさりげなく腕を組む。…何だこれ!

「いや、木下連れて帰らなきゃいけなくて。こいつのおふくろさんから頼まれてて」

 は?!

「えー。残念! じゃあ、連絡先交換しましょう?」

 ニッコリ笑う女の子は、女豹のような顔をしている。あれ? 俺が見てた顔と違う気がする…。

「悪い。俺、頭の悪い女は嫌いだから」

 あ。
 蓼原先生の言葉にそう思った次の瞬間には、俺が狙っていた女の子は、怒った顔で俺を睨んだ。…何で俺?!

「早く帰れば」

 えー!? 俺ってとばっちりじゃない?!

「ほら、帰るぞ」

 ガシリと蓼原先生に腕をつかまれて、俺は俺の意思と関係なくドナドナされていく。

「あー、木下お疲れ!」

 悪友たちが俺の気持ちを知ってか知らずか、ねぎらいの言葉を背中にかけてくれる。
 …いいな。あいつら、この後…。

「お前、見る目ないな」
「…蓼原先生が来る前までは、かわいらしい女の子でしたよ。俺の好みぴったりの!」

 俺は恨めしさ100%で蓼原先生を睨む。

「ま、医者でイケメンとなったら、そっちに靡くわな」

 その言葉に、蓼原先生が行っていた言葉の意味を知る。

「断ったら、こうなるってことですか?!」
「だな」

 蓼原先生がニヤリと笑う。

「一体どこに俺の青春を奪う権利があるって言うんですか!?」
「俺にバイクを乗る楽しさを思い出させたからだろうなー。お前には付き合ってもらうぞー」
「俺は彼女が欲しいんですって!」
「お前に彼女できたら、ツーリング減るだろ。嫌だね」

 この先生、本気だ!

「もしかしなくても、最初から合コンぶっ壊す気でしたか?」
「まー。俺ぐらいのスペックなら、ぶっ壊せるだろうなーって思ってたね」
「…当たり前じゃないですか!」

 俺と蓼原先生比べて、俺の方がいいって言ってくれる女の子なんて希少価値ありまくりだろ!

「だからな、それでもお前がいいって女を探せよ」

 ククク、と笑う蓼原先生は、きっとその可能性がわずかなのは理解している。

「ひでー! せっかく見直してたのに!」
「へー。何を見直したんだ?」
「仕事に対しての姿勢をですよ! なのに、いたいけな放射線技師をこんな風にいじめるとか!」
「諦めろ。俺にバイクの楽しさを思い出させたんだからなー」

 ああ。あの時の俺に言いたい。
 コイツの後ろに乗っちゃダメだって!
 たとえNinjaに乗りたくてもな!
 

 完

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?