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ゆらゆら気功の話

冬から春に季節が移ると、それまで縮こまっていた身体を動かしたくなるものです、、、 などと言っている間に、初夏の日差しが来てしまいました。

なんとなく身体が動き違っているなぁと感じた時に、気功の動画なんかを見てみました。真似事でも、久しぶりにやってみようかと思ったからです。

植物にアストラル体は、まだ、ない。憧れとして持っている。
花は、その現れ


林の中で、複数の人たちがゆらゆらと動いている動画を見ていたら、なんだか、その人たちが地面から生えてきた植物のように見えてきました。

そんな風に感じたのは、以前、ある映画を見ていたからです。その映画は、カメラを固定し、同じアングルから花や草たちを何日も撮し続け、それを早回しで見せるというものでした。ツル植物は、ツルの先端をぐるぐると回転させながら支えになるものを探して伸びていくものですが、空に向かってまっすぐに伸びているように見える植物でも、その体全体を旋回させながら伸びていく、それを見せてくれた映画でした。

動画の中で気功をやっている人たちの動きも植物的というか、植物を思わせる動きのように思えました。

辛夷(コブシ)


以前、伝手があって、中国人の先生から外気功を受けたことがあります。もう30年も前の話です。その日その場所に集っていた人たちの多くは、何らかの不調を抱えていたのではないかと思われますが、若かった私は、ほとんど好奇心だけで参加してました。

参加者がずらりと椅子の座っている前に先生が立ち、気を送ります。始める前、気を受けているうちに身体が重く感じられ、椅子から落ちて横になってしまうことが多いと説明があり、そのため、椅子の周りには、あらかじめ座布団が敷き詰められていました。最も、椅子から落ちるといってもコロンと転がるようで、バタンと倒れてケガをするようなものではないというのも不思議なところです。

さて、その日、参加した多くの人は、ひとり、またひとりと床に転がってしまったようでしたが、私は椅子に座ったまま、両腕を頭上へ向かって高く挙げ、上半身を回転させていました。目は瞑っていましたが意識はあり、両方の手に気がパンパンに溜まって、指は開いたまま閉じることができず、涙と鼻水が盛大に出て、クネクネと動いていたのでした。おそらく異様な格好だったでしょう。

強い反応を見せた「気」ですが、セッションが終了すると、どこかへ行ってしまった? まるで温泉に入った後みたいな脱力感だったように記憶しています。その後、先生は私の掌の平をじって見てくださって、、、

「気功師になれる可能性があるから通って来なさい。」

(  …..   労宮でも開いていたんでしょうか?)

その言葉を真に受けて通っていたら、今頃どうなっていた? いや、飽きっぽいので、多分モノにならなかっただろうと思います。

白木蓮

たとえば、動画を見ながら、手足を伸ばしたり、引っ込めたり、体重移動してみたり、単に形だけ真似ている間は、こんなことやるのに何の意味があるのかと思えるだけでしょう。でも、気、あるいはエーテルというのはゆっくりと動くもので、伸ばした手、指先に意識を集中してみること、または、その手を体の方へ引く、その動きに意識を集中してみること、それらを繰り返していくうちに、誰にでも「気」が感じられるだろうと思われます。

私はレイキもやりますが、レイキの気と気功の気は違う感じがします。その話は、また別の機会に。

さて、気の出ている画像というものがありますが、これなんか強く出てそうだねぇ、と、思える写真を下に載せておきます。ここまで読んでくださったあなた、どうぞ、今日も良い一日を。

源平桃


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