見出し画像

うつ病と診断された私

私はもともと、とくにアニメが好きとか声優が好きとか、そういったことはなかったのだが、中学校の頃からあることにハマっていた。

それは、朗読。学校の課外授業のひとつとして、外部からホンモノの声優さんが講師に招かれていた。その週1時間(うろ覚え。2時間だったかもしれない)の朗読の授業を選択していたのだ。子どもの頃から国語だけは成績がよく、みんなの前で読み上げるのも好きだったので軽い気持ちで受けた授業だった。

しかし、やっているうちに朗読の奥深さ、楽しさに目覚めてしまった。先生に頼み込み、特例で声優さんたちの勉強会のような朗読会に、高校生ながらも通わせていただいた。そして、元々大学への費用は自分で工面しなさい、という家で育ったため、どうせならやりたいことをしたいと思った私は、自然な流れである事務所の養成所に入ることにした。

今どうなっているかわからないが、声優の養成所というのは一般的には声優専門学校から上がってくる生徒が多かったので、クラスに18歳は2人のみ。あとはみんな年上だった。けれど、毎日バイトを掛け持ち、稽古をし、筋トレをして非常に充実した日々を過ごしていた。

ところが、入ってすぐの連休明けに、一人脱落者が出た。「もう実家に帰りたい」とこぼす同級生も出てきた。確かに、スパルタ教育そのものだったので理解も出来るが、そのときの私には他人事だった。

しかし・・・夏頃だろうか。今まで順調に、かなりの好成績で授業を受けていた私は、ダンスという壁にぶつかった。今思えばADHDのせいもあると思うが、1小節覚えるのに30分はかかってしまう。手と足をバラバラに動かすことができない。みんなのように、言われただけで重心移動ができない。あまりに焦った私は、「え、どうしよう、どうしよう・・・」と口走ってしまった。すると、熱血ダンス教師に、「おまえ、学生じゃないんだから自覚を持ってそんなこと言ってないで早くやれ」と言われてしまった。

たった、それだけのことだった。

たったそれだけのことで、私の今までの人生の自信が全てぐらついて崩れて行った。というのも、高校生の頃の朗読会でも、「高校生なのにすごい」と買いかぶられていたし、難関の養成所にも入れたし、入ってからも先生方に可愛がって頂き、正直天狗になっていたのだ。

あと、これはまた詳しく書こうと思うが、私の小学校時代が体罰の多い地域で、先生が高圧的だったことがトラウマになっていたのもある。

とにかく、たったこれだけのことで私は、だんだんおかしくなっていってしまった。

夜が眠れない。朝がだるい。養成所に行きたくない。なんなら死んでしまいたい・・・・。そんな私を見かねた担任の先生が、病院に行くことを勧めてくれた。

そして、受診したところ、診断名は「うつ病」だった。

ここから、長く厳しい精神疾患との闘いが始まる。休んだ方がいいということだったので、休学するか退所するか迷った末に私は退所を選んだ。このときもまだ天狗になっていたのだ。下のクラスの人たちと同級生になることは到底考えられないことだった。

しかし、うつ病と診断されたところで、私にはあまり実感がなかった。というより、生き急いでいた。養成所は退所したのに、ほぼ休む期間なく、次の4月にはデビューしている声優たちが勉強するという専門学校の課に入り、うつ病の自分を認めないで無理に通い、バイトもしていた。

もちろん、薬は増えていく一方だし、症状も酷く毎日のように自傷行為が始まった。それでも、私はせっかくできた夢に、縛られてしまっていた。

今思えばあのとき、無理をしていなかったら割と早い段階で寛解していたかもしれないのに、私には立ち止まることができなかったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?