オカルトなエピソード「おばあちゃんの家」


冴えないオタク視点で見る主観的解説マガジン。

どうもツキノベです。冴えないオタクです。


第四回は休憩回です。

オタク文化から離れて私の話でもしましょう、です。

軽い気持ちでツイッターのアンケートとったら

オタクの話ではなくオカルト体験談を話すことになりました。

まず最初に。

記憶とは簡単に嘘をつきますし、うろ覚えもあります、勝手に美化もしていると思います。

私の頭も例に漏れずその傾向があります。

これはずいぶん前の話です。

お話として分かりやすく繋ぎ合わせた部分もあります。

ですからここから先のことは全部夢の話だと思って読んでください。


最初に言っておきますが、私に霊感はないです。


私が四歳から五歳の時分のお話です。

私の家は一族土着して生活しているので親戚はまるごと一部地域に固まっている、というありがちな田舎の家系です。

そのため私の家とおばあちゃんの家もそこまで離れてはいませんでした。

車で一時間の距離でしたし、両親も共働きでしたので。

私はおばあちゃんの家によく預けられました。

おばあちゃんの家には曾祖母も居ました。

祖母のことを○○のおばあちゃん。

曾祖母のことをひいおばあちゃんと呼んでいたので。

二人まとめているときは「おばあちゃん」と私はよく言いました。

だからあの家は「おばあちゃんの家」でした。


曾祖母は寝たきりでしたがおしゃべりが好きな人で、私のことも良く可愛がってくれました。

私はと言うとよく言えば子供らしい、悪く言えば遠慮のない性格を今より色濃く爆発させた幼女でした。

ですので曾祖母をはじめ、色々な大人をこの頃から質問攻めにしていました。

テレビを見れば「このコアラってどこにすんでるの?」「オーストラリアってどこにあるの?」「オーストラリアにはコアラのマーチはあるの?」「コアラのマーチはコアラも食べるの?」と質問の回答から連鎖させて永遠に終わらないループを繰り返す問題児です。

今思ってもだいぶ頭が足りてなかった子供なのですが曾祖母はいつもそんな私の相手をしてくれました。

なので、幼い私の中では「質問に答えてくれる人=曾祖母」という図式がずいぶん前から成り立っていました。


その日の私は曾祖母に図鑑の話をすることで頭が一杯でした。

私の通っていた保育園では月に一度決まった日に小さな図鑑をもらえるのです。

秋の生き物、ということで森の生き物がたくさん載っていました。

冬眠する生き物の欄にある生き物を見つけてから、

私はもうあること曾祖母に話したくて仕方がありませんでした。

「ひいおばあちゃん。うちにはヘビおる?」

曾祖母が「おるよ」と言いました。

「上にもおる」

曾祖母は一階で寝ていましたが、この家は二階立てです。

古い家で階段が急なので危ないから、と。

普段から注意力散漫な私は二階に上がることを禁止されていました。

「山にも居るやつとおなじやつかな?」

「山?」

「山の上のほうの箱の家に居るでしょ!」

「箱の家?」

「小さな家みたいな箱! 住んでるでしょ!」

「あぁ、お社の中を見たんか」

「開いてた!」

「どこのや」

「わからんよ」

夢やもん、と言ったら曾祖母が「うーん」と曖昧な声を出したのです。

よく覚えています。

平生の曾祖母はしゃっきりした人でした。

寝たきりでも、言葉に詰まるくらいなら適当なことを言ったり「そんなんよう分からんなぁ」と言ってしまう人だから。

あまり曖昧な反応というのを聞いたことがなかったのです。

「よう見る夢か」

「うん」

「同じ山か」

「うん」

「ヘビは生きとるか」

「うん。喋るよ」

「あんたは?」

「ときどき」

「そうかぁ」

そう言って曾祖母は少し黙ってしまいました。

「あんたは大きくなるまで山には入ったらあかんよ」

「えぇ、保育園で毎日山散歩するよ」

「森はええ、奥入ったらあかん」

「じゃあ海は?」

「肌も弱いしやめとき、連れてかれんに」

それから曾祖母は寝てしまって、私も一緒にお昼寝をしました。

寝るまでずっと「じゃあ私は今後どこで遊べばいいんだー!」とぶうたれていた記憶はあります。


次の年、私は引っ越しました。

前々から決まっていたことだったのかもしれません。

ただ、私には急で突然な出来事で驚いたことを覚えています。


私は山から離れたずっと中心地にある街の保育園に通うことになりました。

おばあちゃんの家が今までよりもっと近くなりましたから嬉しかったです。


林間学校以外、山に入る機会は大学進学するまでありませんでした。


小学校高学年の時に初めて家族旅行に連れて行ってもらいました。

従姉妹はよくて私はダメ、ということばかりで

この年まで毎回膨れていた私はすごく嬉しかったのを覚えています。

「もういいだろうから」と言った母の言葉の意味は聞いても教えてもらえませんでした。

それまで県外に出たことは一度もありません。


今までも家族旅行でキャンプというものに行った事がありません。

スキー旅行の話に誘われたときも山は危ないという理由で家族の猛反対を受けたので行けませんでした。


また、海に足をつけることが出来たのは成人を迎えてからでした。

家族で行った旅行では海は「見るもの」だったので入った経験は一度もありません。


この話でオカルトなのは私は五歳くらいまで曾祖母とお部屋でお話していた記憶があったことです。

引っ越す前の短い期間で、話した内容は少ししか覚えていないので不思議ではありました。

最近、その話を母にしたら不思議そうな顔をされました。

曾祖母は私が四歳の頃に亡くなっているので「物理的に不可能」だと言うのです。

それによく考えたら五歳の時の記憶で寝たきりの曾祖母が私の住んでいるマンションにいる記憶がある時点でおかしいんですよね。


件のお社の夢は今も変わらず見ている夢の一つなのですが、喋る機会は時々あります。

困ったことにだいたい社の前で問答をしています。

「誰か」の話を社と私が問答をしているところから始まります。

「わかった」と社の中で声がして問答が終わります。

後ろから小さな蛇が「何か」を持ってきます。(ここだけは毎回何を持ってくるかが違う)

それを見るとすっと夢から覚めます。


時々「誰か」が「三年」か「五年」で「何か」を失うことはあるんですが、

特に証拠もないので気のせいだと思うことにしています。


この夢の不思議なところは喋った内容は思い出せるんですが、どんな言葉で話していたかが思い出せないところです。

他にも見続けている夢はあるのですがこんなこともあったのでなんだか怖くて親類にも深くは聞けずじまいです。


「恨まんと正しくしとり。守ってやるからね」


この言葉が五歳の私に言ってくれた祖母の言葉で唯一鮮明な記憶です。


そんなこんなであまり怖いものには触れたがらない性格に育ちました。

お化け屋敷には入ったことがありません。

怖い想像が苦手なのでホラーは自分で進んで書くことも読むこともしないです。


こうして制限の多い生活に順応し、ひきこもり生活が板についてしまった私は

一族唯一のオタクになってしまったのでした。


さて、だいぶ偏った記憶なのであやふやなところも多いですが今日のお話はコレでお終いです。


言い忘れておりましたが代々祀られている当家の氏神様は「蛇」です。


おばあちゃんの家の屋根裏からでは母が子供の頃から大蛇がネズミを追いかける音が聞こえていたそうです。

今でもドドッとネズミを追いかける音が聞こえる気がすると祖母は言います。

2016.02.29 ツキノベ