悲しみの果て
1996年1月18日(木)
今は無き新宿の日清パワーステーションで
とんでもない対バンLIVEが開催された。
【エレファントカシマシ vs
ストリート・スライダーズ】
スライダーズ主催の[Vsシリーズ]のLIVEで
日替りで他の日は以下のバンドが出演した。
TOKYO No.1 SOUL SET
EL-MALO
THEATRE BROOK
SPARKS GO GO
PSYCHODELICIOUS
THE YELLOW MONKEY
自分が行ったのは
もちろんエレカシの日。
大好きなバンド同士が同時に見れる。
こんな嬉しい事があるか。
キャパ700人程度の会場で見た
両バンドの演奏は凄まじかった。
2年前の1994年に
エレカシはエピックから契約を切られ
前年の1995年は
下北沢のライブハウスで地道にライブを続け
この年1996年は
4月にポニーキャニオンから
[悲しみの果て]で再デビューする。
そんな時期だった。
宮本のMCも以前のような
[お前は友達じゃねえんだよ。拍手すんな。]
のような攻撃的な感じでは無く
不器用ながらも丁寧に言葉を選び
開放的なMCに変わっていた。
そう。何かが変わり始めている季節だった。
そんな時期の陽性に振り切ったエレカシが
狭い会場で放つ[悲しみの果て]の破壊力は
本当に凄かった。
怒涛の数曲をブチかまし
[次はスライダーズだ!皆んなで応援しよう!]
と叫び宮本は風のように去って行った。
一緒に行った友達とも
[なんか…凄かったな。エレカシ。]
[おぅ…凄かった。]と2人とも呆然としていた。
続いてスライダーズ。
さっきのエレカシが
ドスンドスンと腹に響く地鳴りだとしたら
スライダーズは腰を持って行かれる
大地ごと揺らすようなグルーヴ。
油の乗り切った演奏で
フロア中がロックンロールの
渦に包まれていた。
奇しくもスライダーズは
91年2月から94年3月まで約3年間
冬眠という名の無期限活動休止期間を経て
前年の1995年4月にアルバム[WRECKAGE]と
10月にLIVEアルバム[GET THE GEAR !]を
発表した。そんな時期だった。
エレカシもスライダーズも
地の底を見たバンドにしか出せない音には
凄味すら存在した。
当時のROCKIN'ON JAPANに
イベント直後の宮本の発言が掲載されている。
[僕はACB時代からの
スライダーズ・ファンでしたからね。
古い曲は当時の自分の姿とも重なって
ホロリとしたりしましたしね。
今も屈指のバンドだと思うし
ああいう人たちがいるってのは心強いですね。]
更に蘭丸の発言も掲載されている。
[俺は6日間感じた中では
あいつら(エレカシ)が一番良かった。
何かエレファントカシマシは凄く
ちゃんと伝えてくれるんだよね。
凄く言葉で気持ち良くなれるっていうか。]
いつもならライブ後は速攻帰るエレカシも
この夜はスライダーズのメンバーと軽く乾杯し
別れ際には握手を交わして帰ったそうだ。
宮本とハリーは
どんな言葉を交わしたのだろう。
蘭丸と石くんはギターについて
何か会話したのだろうか。
寡黙なジェームスと
寡黙な成ちゃんは会話が無さそうだな。
ズズとトミはスティックの交換とか
したんだろうか。しないよな。
でもメンバー全員
少し照れながらも良い時間を
過ごしてる姿が目に浮かぶ。
そんな奇跡の夜の
打ち上げ会場にすら思いを馳せるくらい
最高の夜だった。
好きなバンドのLIVEは
いつ見ても最高だけど
この日のLIVEを体験できた事は
記憶の財産みたいな気がする。
宮本よ。
前回はスライダーズが呼んだんだから
今度はエレカシがスライダーズを呼んで
対バンする番じゃないか?
なんてな。
でも。
そんな夜を待ち望んでいるファンは
たくさん居ると思うんだよ。
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