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小説|ツキノカケラ

_ レモンから始まった恋。そんなふたりがいたら素敵だと思わない?
そう言いながら、一杯目のレモンスカッシュを飲み干した彼女が、呼び出しボタンを押した。

ご注文ですかぁ?
_ えっと、レモンスカッシュを。
あ…はい。かしこまりました。

最初のレモンスカッシュを運んできた店員が、ちらりとテーブルの上のグラスに目をやってから去っていく。

そんなに飲んで大丈夫?
コーヒーのおかわりとは訳が違うような気がして。僕の思い込みだろうか。
しかしそんな心配をよそに彼女は頷き、レモンがあればいくらでも飲めるのだという。

_ レモンってこんな可愛いカタチをしているのに、決して主役にはなれない。いつも何かを引き立てている存在でしょ。別になくてもいいんだけど、あるのとないのとでは幸福感がぜんぜん違う。そう思わない?

甘い炭酸水の中でレモンを泳がせながら彼女は言う。僕は正直、レモンの存在意義についてそこまで考えたことはない。それに彼女の世界観を共有しようと思っても、無駄だということもわかっている。ただ、レモンが主役になれないってのはなんとなく理解できる気はした。しかしそれだけだ。僕の乏しい感受性と共感力の低さは、まったく彼女とは不釣り合いだった。
レモンにはまるで興味のない僕を置き去りにしたまま、彼女の話は続いていた。

_ 知ってた?レモンって宇宙由来の食べ物らしいの。いつも持ち歩いていると宇宙人に出会いやすいみたい。宇宙船にも乗せてもらえるかもしれないんだって。

なんのはなしですか。
僕は短いため息をおとす。彼女の話はいつもそうだ。根拠のない話ばかりだ。どうしたらそんな話を信じられるのか不思議だった。僕はやれやれと、薄まったアイスコーヒーを飲み干す。そんなことより早く彼女の部屋へ行きたいと考えながら、僕は彼女の話を上の空で聞いていた。

_ だからね、レモンは月から生まれた果実なのよ。輪切りにすれば満月だし、くし切りにすれば半月でしょ。それに…

急に彼女の声が途切れた。それまでスマートフォンをいじりながら適当に相槌をうっていた僕は顔を上げる。それに?なに?と尋ねると、彼女の表情が深刻さに染まっていった。

_ うん。あのね、種って食べたことある?

え?種?レモンの?僕の頭の中は、「?」マークが泳いでいる。
あるわけないじゃん。普通食べないでしょ。なんて当たり前なことを言ってる自分に半ば呆れていた。

彼女は可愛くて優しくて自慢の彼女だった。僕の一目惚れだった。ただ、この思考回路と独特の世界観だけは交わることがない。
彼女は僕といてもずっと空ばかり見ていた。だからよく何かに躓いて転びそうになったりする。そんなところも可愛いと思っていた。でも、もしかしたら僕は本当の彼女をちゃんと見ていなかったのかもしれない。

君は食べたことあるの?
変な緊張感が落ち着かなくて、僕はあえてばかばかしい質問をしてみた。

_ あるわ。何度もね。
僕は吹き出してしまって、まじで?美味しかった?と、ヘラヘラしながら質問を続けたが、彼女は少しも笑っていなかった。

_ 美味しくはないわ。でも月の味がした。舌触りもすごく月の表面の感触と似ていて。なんだか懐かしい味だった。食べながら涙が止まらなくなってしまったの。きっとレモンの種は月のカケラなんだと思う。その種が育ってレモンが実るの。そしてレモンの精油は月の涙かもしれない。

そこまで語った彼女の目にはうっすらと涙が滲んでいた。彼女は最初から真剣だったのだ。僕はヘラヘラしたことに後悔したが、その涙には気づかないふりをして、へぇ。とだけ言葉を置いた。
彼女はだまっていた。二杯目のレモンスカッシュのグラスの底に沈んだ半月のレモンを見つめて。そこに種は見当たらない。僕は彼女に何を言ってあげたらいいのかわからなかった。でも彼女が、言葉にならない何かを抱えて苦しんでいるように思えた。さっきまで彼女の話を適当に聞いていた自分に腹が立った。だけどやっぱり次の言葉が見つからない。

その時だった。
彼女の目からぽろりと何かが落ちた。僕は涙がこぼれたのだと思った。しかしその涙の粒はころころと転がっていく。
僕はハッとして、ハッと声が出た。

それは、レモンの種だった。

僕は初めて…というか、やっと本当の彼女の姿を見た気がした。そしてその瞬間、彼女と僕の何かが交わったのだ。確実に。それは思考回路でも、価値観でもない。秘密めいた眩い光のようなもの。

_ レモンから始まった恋。素敵だと思わない?

無言で頷く僕を見て、彼女は笑っている。



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