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酒飲みの極意(コエヌマ)

酒が好きだ。365日、ほぼ毎日飲んでいる。格段強いわけではないが、ワインなら1本半、ウイスキーなら3分の2本くらい飲める。先日もバーで、ウイスキーのロックと、チェイサーとしてウイスキーの水割りを注文したら、店主から驚かれた。

飲むときはペース配分を考えないため、しょっちゅう潰れ、ときにやらかすこともあるが、よほどのことでない限り反省などしない。『ジキルとハイド』のように、酔ってしでかしたことは別人格の僕がしたことであるため、平常時の僕は「ああ、彼は相変わらず平常運転だな」と思うくらいだ。最初は記憶をなくすたびに猛省していたが、5~6回の“やらかし”を超えたあたりから、そのようなマインドになった。

先日、酒好きの編集者と飲んだ。その人はかつてアル中になり、専門の病棟に入院していた。そこはアル中界の東大と呼ばれているそうで、肝臓の状態を示すγ-gtpが、正常な人は50程度のところ、10000を超える患者がごろごろいたという。ちなみに数値は高ければ高いほど悪く、100を超えたら医者に診てもらった方がよいレベルだ。その編集者の話を聞いて、僕などまだまだだと思った。

YouTubeで、一人飲みの動画をよく見ていた。おじさんや女性が一人で飲みに行き、ただ飲んだり食べたりする動画だ。だが、ある投稿者の存在を知ってから、ほかの一人飲み動画を一切見なくなった。それくらいその投稿者、通称アル中カラカラのインパクトはすさまじかった。

焼け野原のように汚い部屋で、激辛のつまみをかき込みながら、ウイスキーと炭酸が半々のハイボールをひたすら一気飲みする。「排水溝」と称されるゴボゴボと酒をすする音や、目の前でやられたら発狂しそうな咀嚼音を発し、妙に調和するテッテッテー♪のBGMが流れる中、地球が自転するように彼は飲み続ける。

飲酒が「緩慢な自殺」と呼ばれるように、彼の行為は間違いなく肉体や生命を削っている。だが、厭世や絶望が根底にあるそれではなく、今を究極に楽しむことの結果として、彼は飲み続けている。

僕はそういった酒飲みを目指したいわけではないし、尊敬するわけでもない。けれど、昼から営業しているもつ焼き屋で、顔を真っ赤にしているオヤジたちを見るたびに、愛着や安心を覚えるように、「ダメ人間は自分だけじゃない」と勇気づけられているのは確かだ。そして潰れている僕の姿に、同じようなことを少しでも思ってくれる人がもしいれば、何よりである。(店主コエヌマ)

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