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『捨てるほどの恋なら』@書きかけ

書きかけもとりあえずアップして、どんどん書き換えていく方向で。創作訓練として「プロット100本できるかな」から。

更新記録
2021/09/17開始

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モザイク

 ブルーライトカットの度なし眼鏡が汗でずり落ちた。スマートフォンの画面いっぱいに、尻と、モザイク越しにも新鮮な色の肉棒が、リズミカルに出入りする。
 甲田は無意識に顔の汗をぬぐった。眼鏡がべっとり汚れて曇る。ヒュウと音をたてて息をもらし、眼鏡をむしり取った。
 スマートフォンはベッドサイドから伸びるアームで顔の近くに固定している。両手が使えて便利なはずのアイテムが、今は拷問器具のようだ。時計じかけのオレンジ。主人公の悪童は目をこじ開けられ、BGMがベートーヴェンなことを嘆いていたはずだけど、何を見せられていたのだったか。こんな風に、かつての級友が男の尻を掘りまくる動画だったろうか。
「……ははははははは」
 ぶっ壊れてる。少し力を込めて押しやればアームはたわんで、結合部のアップは視界から消える。
 明日の講義は一限目からだ。噂どおり入学に手心が加えられていたというなら、単位にだってあるだろうか。
 親の顔が浮かんで、股間が萎んで、それでさっきまでガチガチにしてたと自覚して、うわぁと叫ぶ真似をして枕の下へ頭を突っ込んだ。
 なにもかも現実味がない。
 小津川。卒業アルバムの学ラン姿と、モザイクのむこうで男を抱いていた姿がぐるぐる混ざりあって、いつしか甲田は気絶するように眠った。

熊谷

 学食の、味の薄いカツ丼をペットボトルのお茶で流し込む。大根に柚子の皮が刻まれた浅漬けをつまみながら、丼と味噌汁だけでは物足りない、と無駄に若さあふれる胃袋が予言した。
 知り合いがアダルトビデオに出演している、しかも偶然見つけてしまうという、どこにでもありそうでいて自分の身には起こるとも想像しなかったことの衝撃の翌朝も、普通に腹は減るのだ。目が覚めたときは昼近かったが。
 コンビニで甘いものでも買ってくればよかった。学食からコンビニ、また戻ってくるのは面倒だし、空いているベンチを探すのも面倒。サークルは入っていないから、とりあえずの身の置き所がない。
 若さゆえの怠惰さは、満たされない食欲に勝つだろうか。掛け先を決められないまま、箸をレンゲに持ち替えて半熟卵と飯粒をすくった。
「甲田くん、一限目いなかったっしょ」
 唐揚げ定食のトレイが隣りに置かれて、ガタガタと椅子が引き出される。椅子どうしの間隔は広く空けられているから、隣りといっても密着はしない。たいして混んでもいない広い学食を見回してから、わざわざ隣を選ぶ相手を横目で見た。
 世界一有名な黄色いクマが、いただきます、と手を合わせている。実際には黄色くない。熊谷のあだ名だ。愛嬌のある顔立ちと体型に、赤いシャツなんか好んで着ているから、陰でそう呼ばれている。確かに横で見ているだけで癒されそうな、ポチャポチャと柔らかそうな体だ。幸せそうに目を細めて味噌汁をすすっている。
 たとえば、と甲田は夢想した。
 たとえば熊谷が、あのビデオに出演していたら。
 同級生に組み敷かれたり、掘られたりしているのがこの熊谷だったら。
 卒業したら思い出すこともないはずだった、たいして接点もなかった同級生のセックスを、偶然スマホで見つけてしまってからというもの、甲田はそんな妄想が止められない。
 動揺した指先が触れて飛ばされた先には、それが流出ものなどではなく、販売されている商品だということを示していた。
 購入はしていない。無料サンプルは見た。検索のために確認した男優の名前は、覚えている名前と少し違った。サンプルを漁ったあと、ふとどちらの名前も合わせて検索したら、本名付きのインタビュー記事が見つかった。
 インタビューだけは、まだ読んでいない。
 鼻を、油で熱した鶏肉の香ばしい匂いが刺激する。
 目線を落とすと、トレイのすみの、香の物用の小皿に唐揚げがひとつ、窮屈そうに乗っていた。
「……なに?」
「あれ、違った? すげえ見てるから一個欲しいんかなって」
「いや……別に」
「そっか。まあいいや、ちょっと多かったから、やるよ。こう見えてオレ、少食だし」
 言いながらナップサックからコンビニ袋を取り出し、お菓子の箱をテーブルにドサドサと広げた。ツッコミ待ちだろうか。甲田は最近よく買うチョコのかかった分厚いクッキーの箱を見つけた。
「そっちの方がいい」
 熊谷のゆるい雰囲気のせいか、簡単に口からこぼれる。えー、と仰け反る熊谷の口調も本気ではない。
「じゃ、カツ一切れと交換」
 唐揚げとお菓子でそれなら悪い交渉ではないが、丼のカツは、最後の一切れだ。
「……あとで缶コーヒーかなにかおごる」
 ひょいと目をむいて考えるそぶりの熊谷は、すぐに大きく笑って親指を立てた。男女問わず慕われているのがよく分かる、良い笑顔だ。
 最後のカツを頬張りながら、甲田はまた、スマホの画面に蠢く肉色を思い出していた。
「ブラックね。こう見えてオレ、コーヒーはブラック派」
 その笑顔で、そういえば前にスタバの新作の話題で女子グループと盛り上がっていたな、と突っ込むところか迷う。クリーム増し増し、キャラメルソース追加は無料だとか。
 こいつは、と最後のカツを頬張りながら甲田は思う。
 甲田の親が寄附金を積んで入学した噂を知らないのだろうか?
 知らなくても無理はない。甲田自身も、なんの集まりか分からないコンパで、酔った男に絡まれるまで知らなかった。
 あれからずっと、色も音もないキャンパスに、今は昨夜見たスマホの画面に蠢く肉色が映し出されている。

キライな小津川

「オレとワイ談しようよ」
 キラキラした目を、セリフが裏切っている。いや、男子高校生なら普通だったかもしれない。
 小津川と交わした会話は、記憶にある限りこれだけだ。甲田は咄嗟に返事ができなかったから、会話ですらない。
 短い休み時間、筆箱も出したままだった。その色も柄も思い出せないのに、突拍子もないセリフと頬杖をついた小津川の瞳だけ鮮明だ。
 そういうの甲田はノリ悪ぃぞ、と誰かが笑って、小津川は、でもとかなんとか少しの間グズグズしていたが、硬直したままの甲田を拒否と見たのか、離れていった。
 離れた場所から、仲良くなるにはワイ談するのが一番って聞いたから、という小津川と、なにか冷やかしている笑いが聞こえた。
 小津川の何もかもが嫌いだったのに、どこが嫌いだったのか思い出せない。嫌うほどの接点もなかったはずだ。
 遠くから見ていて、ケッと思うタイプだったろうか。視界に入れるのもイヤだったろうか。イヤでも視界に入ってくる。目立つタイプだったろうか。

2021/09/17ここまで



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