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虚構日記@『たった独りのための小説教室』

花村萬月『たった独りのための小説教室』、第2講の宿題である虚構日記です。1ヶ月とちょっと書き続けました。
エブリスタに毎日アップしてたのをまとめています。

 次の第3講を読む日まで最低一ヶ月間、一日も休まずに虚構日記を書き続けることが最重要で、しかも嘘の度合いが増せばますほど、この宿題の点数は上がっていきます。(『たった独りのための小説教室』第2講


2023/09/27

 おすすめで流れてきた、その流れでうっかりポチった、花村萬月の『たった独りのための小説教室』。
 真に受けやすいものだから、今日から虚構日記を始めることにした。
 最低でも一ヶ月、ということだけど、今から「続くだろうか」よりも「楽しすぎて毎日時間をかけすぎたら困る」という心配のほうが大きい。
 とにもかくにも、先生に報告しなくては。

「またキミはそういうことしてんのか」
 オリーおばさん自慢の肉まんじゅうを私のほうへ押しやって、先生は苦笑いしている。
 昔、同じように、なんとかいう小説家の、小説の書き方講座なんて本を真に受けた。ひたすら水を描写した課題を提出して、これこれこういうわけでと語った私に、先生は困惑顔で「キミはこういうことしなくても……」と言った。
 今思えば、先生の小説道場に通いながら、よその小説家のなんて、失礼であった。
 とはいえ今は仕方がない。こちらから課題を先生のもとへ送ることも、先生の講評を聞くことも、そういう技術はまだ実用化されていない。
 薄いカラム水をちびちびすすって、ええまあとか言いつつ先生の顔をうかがう。
 ひらりと魔法で出した氷をゴブレットに入れて、かきまぜた指先をぺろりと舐める。懐かしい仕草だ。
 私のクラスはずっと放牧だった。リレー小説のように制約があったほうが燃える私は、課題が必要に思うんですよ。
 ううんとうなる先生に、気まずくなってきて、タイス観光はどうでしたかと聞いてみる。さすがに飽きたのだろうか。
 トパ目が大道芸をしにくるときだけ、今でも見に行ってると先生。
 そうか、陛下もたまには息抜きが必要だもんな。
 話が途切れると、先生はニッコリして、元気か、と聞いてきた。
 嘘でもいいから「元気です」とこたえるものなんだろうけど、
「いや、上司がヤバくて」
 と言ってしまうあたり、私は甘えているのだろう。
「小説に出して総受けにしてやれ」
「萌えないからムリっす」
「じゃあホラー小説に出してひどい目にあわせて、最後○すのはどうだ?」
「いいですね! それならホラー苦手な私もノリノリで書けるかもしれません!」
 盛り上がりかけたところで、待てよと私は口をつぐんだ。
 岡田斗司夫ゼミで聞いたのだ。死は、解放。作品名は忘れた。作者は攻殻機動隊のひと。
 ショート動画を先生に見せる。
「キミ、こういうのがタイプなのか」
「痩せてるときならタイプでしたけど、いま見てもらうのそこじゃないっす」
 先生が楽しそうに笑う。キラー細胞、仕事して。もっと仕事して。
 残ったカラム水を飲み干して、顔を見られないようテーブルにおでこがくっつくほど頭を下げる。
「じゃあそろそろ」
 うん、と先生がうなずく。

 けっこう年季が入ってきたクロームブックの前に、戻ってきた。
 マックブックエアーとか嘘ついてもいいんだろうけど、それは趣味じゃねんだよな。

 おやすみなさい。


2023/09/28

 朝方、花村氏の訪いを受けた。
 君みたいなひとのために書いたんじゃないんだよねとかなんとか言ってた。
 昨日のうちにそういう自覚はあったから、内心でうるせーバーカバーカとつぶやきながら、口でははあとかへえとか頷いておく。
 もちろん『たった独りのための小説教室』、次の章での答え合わせが不安でたまらない。答えを求めることが間違ってると知ってても。
 つか、答えとか傾向と対策とか、悩んでも悩んでもそのとおりには全然できなくて、結果タガが外れるのが私の狙うパターンではあるけど。それを花村氏に説明してもなあと、はあ&へえで乗り切った。
 帰り際、花村氏が振り返ったとき妙な顔をしていたから、もしかして内心のつぶやきと口に出した言葉とが、スイッチ切り替え間違えてたかもしれない。

 日中は特筆すべきことはなし。

 夜中に叩き起こされた。
 近所のコンビニ店主が腹下してるから、今なら取り放題だと姉が金髪振り乱している。田舎の小さな店で、夜は店主のじいさん一人だ。食い逃げされてもバイトは雇うな、を真に受けてると聞いた。
 ゴスロリ戦闘服の妹と、面倒だから部屋着のままの私とで乗り込む。
 先客がいたらしく、カップ麺とパンの棚が空っぽだ。
 つないだままのスマホから姉が、プリン忘れるなという。
 ペヤング食べたかったのにと舌打ちする妹は、甘いものの棚からごっそりつかみとってエコバッグに放り込んだ。
 私は売れ残りのフレンチトーストをつまみとった。店主の奥さん手作りの、ラップでつつんでセロハンテープでとめたやつ。ハムとチーズがはさんである。
 客が入ってきた。
 ビクついた妹が、パニエでふくらんだスカートをあちこちにこすりながら出ていく。
 客のおっさんは空っぽの棚を見ても慣れたもので、奥にむかって、いないのー、と声をかけた。
 怪しまれないように、私もそそくさと店を出る。
 寝なおそうと布団にもぐりこんだら、戦利品を貪り食う姉妹から、食べないのかと聞かれた。
 明日人間ドックだからと答える。夜9時以降は飲食禁止。
「じゃ、なんで行ったの?」
 本気で不思議そうに聞かれたから、金髪の姉と青髪の妹の顔を見た。
 この世の中の何事も、己のために存在すると信じて疑わない、収穫でもするように盗みに入る、ピカピカのリア充みたいな二人のことを、たまには姉妹だって実感したいからーなどと説明しても仕方ない。
 私は黙って布団をかぶった。

 おやすみなさい。


2023/09/29

 バイト先の店長さんが異動するから、と妹に引っ張られて、送別会に参加することになった。
 なんでや、あたし関係ないやん。
 今日も青髪ゴスロリ戦闘服の妹が、ボサボサ頭の姉2である私を連れていきたいわけが分からない。
 いつもより3割ほど戦闘力が下がってるような目をして妹が言うには、たいへん慕われている店長さんなもんだから、妹がバイトを始める前に辞めた元バイトや元店員も集まるんだとか。人見知りめ。
 居酒屋とかなら断固拒否か、上の姉に丸投げするところだったけど、まだ学生のバイトもいるからだろう、場所はファミレスだった。
 テーブルをいくつか占領するほど人数がいて、私には誰が誰だか分からないけど、店長さんの顔は知ってる。
 妹のバイト先をひやかしにいって、ハードカバーを一冊読み終えるまで長居した私にも、嫌な顔ひとつせず、折々お冷を継ぎ足してくれた。まあ、一時間あたりコーヒー一杯は飲んで、カレーとサンドイッチとチーズタルトも食べたから、客単価的には迷惑かけてない。多分。
 ひとりひとりに声をかけてまわる店長さんは、妹の隣の私を見ても、さすが「お姉さんですね」とニッコリきっちり覚えていた。
 妹がたいへんお世話になりましたと頭を下げる私の横で、妹が言った。
「実はいま、妊娠してるんです」
 フライドポテトに添えられたマヨネーズに、メガネをディップするところだった。
「えっ、そんなこと聞いてませんよ。お父さん、許しませんよ」
 えっ、父ならだいぶ昔に女と出奔しましたが。
 かたまった私を置き去りに、わははと周囲が笑ったから、定番のジョークだったのかもしれない。
 帰宅してから、なんとなく姉にその話をした。まさかあんた、と妹を振り返って目を吊り上げたので、これはうまく雰囲気を伝えられなかった私が悪い。
 ああいうお父さんがよかった、といって妹が泣いた。
 わあわあ泣いて、なかなか泣き止まなくて、あとで見たら私の部屋着の胸に、マスカラとつけまつげがついてた。
 洗濯で落ちるといいんだけど。お気に入りだし。
 あとつけまつげ、虫かと思ってすげービビった。

 おやすみなさい。


2023/09/30

 帰宅したら、姉が餃子を作っていた。
 ホットプレートを買ってから、料理ができるのが楽しいらしい。
 包むのは妹も手伝ったという。
 澄まし顔がなんだか引っかかったので、具になにか仕込んだのだろうと焼く前に慎重につまんでいったら、固いものの手触りがあった。
 妹が騒いだけど、開いてみるとコナンの犯人が入ってた。黒いやつ。チョコエッグに入ってるサイズ。たぶん、このあいだコンビニからいただいたアレ。哀ちゃんが入ってる餃子もあった。
「フォーチュンクッキーのつもりだったのに」と妹はふくれつらしてたけど、焼いたら肉だねのなかで溶けちゃってたんじゃなかろうか。
 哀ちゃんと犯人と、どちらが当たりでどちらが外れか、姉と解釈違いでもめた。
 紅生姜がたっぷり包まれてたのは、これは姉による「ロシアンルーレットのつもりだった」そうだけど、普通に美味しい、ということで意見が一致。
 妹はずっと、フォーチュンクッキーは当たり外れじゃあないのにと文句を言っていて、一番たくさん食べた。
 平和な日。

 おやすみなさい。


2023/10/01

「プチ家出」という言葉が嫌い。
 当事者が言うなら、そんなもん「ファッション家出」だ。
 外野が言うなら、シンプルに、バカにしてる。
 こんな夜に、泊めてくれと頼める友人はいない。正確には、頼めばきっと泊めてくれる友人はいるけど、遠慮なく泊めてもらう胆力のある「私」がいない。
 一人旅をしたとき、旅館もホテルも女ひとりと聞くと「満室で」と断られたことを思い出す。
 こんなふうに、家に帰りたくない日は、子どもの頃から定期的にあった。自家中毒というんだと思ってた。
 店主のじいさんが船をこいでるコンビニに入る。奥さんの手作りコーナーは、周回遅れのマリトッツォに変わっていた。残っていた4個全部をカゴに入れて、レジ横のチョコエッグと一緒に会計を済ます。レシートは「マリオット」になってた。
 外の灰皿のそばでチョコエッグをあけたら、安室さん。これはダメだ。マリトッツォにつっこむわけにはいかない。餃子じゃなくてこういうものにいれなさいよと、手本をしめしてやるつもりだったのに。
 帰ると、妹が姉の風呂の介助をしてた。私が昔作ってやったゴスロリ服で。汚れてもいい普段着扱いかよ。
 妹は化粧をしてない顔でひゅっと目をむき、着心地の良い部屋着といえよ、と口ごたえしてきた。私が作ったことは忘れているようだ。
 キッチンではカレーが、魔女の鍋かってくらいグツグツしてた。味見したら、ガチャでひいた「田村さんちのカレー」レシピだ。
 よそンちのカレーレシピのガチャガチャ、ネット記事で読んで、面白そうって言ったのは姉だった。どこかから手に入れてきたのは妹だ。
 カレーのあと、二人は同じところにクリームつけながらマリトッツォにかぶりついた。
 安室さんを入れといてやっても良かったかもしれない。

 おやすみなさい。


2023/10/02

「一日2万円稼いだら、その日の仕事はおしまいにするわ」と夕食のとき姉が言った。
 どこかで聞いたような話だ。
 たぶん、料理を覚えたいが文字を読むと眠くなるという姉に貸したマンガ、『きのう何食べた?』のキャラだ。姉と同じデイトレーダーをやってるキャラがいた。
 姉の稼ぎがどれほどか把握していないから、一日2万円というのがこれまでと比べて多いのか少ないのか分からない。
 マンガのキャラは、そのあとジムで汗を流していた気がするけど、姉は車椅子でどこへ行くつもりだろう。宣言して満足そうだから、とりあえず突っ込まなかった。
「あと、レミおじさんからメール。一時帰国するあいだ、うちに泊めてほしいって」
 誰だっけ。思い出せなくて妹の顔を見ると、肉じゃがの糸こんにゃくを大事そうに寄せ集めながら首を左右にした。そうだ、妹はレミおじさんには会ったことがない。
 南米あたりで仕事してる親戚、と姉が言う。妹が、なにしてるひとかと聞いた。
「南米ってことは、カメラマンとか研究者とか、国境なき医師団とか?」
 それ以外の仕事がいくらでもありそうだけど、私は特になにも思いつかなかったので、今度は姉の顔を見た。
「そう」
 なにが、そう?
 それより、レミ「おばさん」ではなくて「おじさん」が、親戚とはいえ女ばかりのこの家に滞在するのか。あまりいい気分はしない。
 レミだから大丈夫、と姉が言う。やっぱりどんな人だったか思い出せない。女性のような名前、オネエで源氏名だとか?
 うつむいた姉がニヤリと口角をあげたのが見えた。
 リア充の皮をかぶった狂犬。そんな言葉が頭に浮かんだ。きっと仕事のしすぎだ。

 おやすみなさい。


2023/10/03

 コンビニの奥さんが入院したらしい。
 奥さんの手作りコーナーが空っぽで、レジの前に知らないおっさんが競馬新聞を広げてた。
 おっさんが言うには、店主のじいさんのことは「奥さんのそばにいろ」と追い出したそうだ。
 メロンパンを買った。
 レジ横の透明な募金箱が、小銭や札でいっぱいになってた。
 大手のコンビニだと、盲導犬や病気の子どものための寄付が定番なところ、ここのは、じいさんの小遣いになる。みんな知ってる。
 だからだいたい空っぽだ。いつだったかじいさんが、日本にはチップ文化がないから、と小銭を回収しながらもごもご言ってた。
 釣り銭を入れようとしたら、中の札でつっかえて、うまく入らない。折りたたんだ札で押し込んだ。
「奥さんにまた、マットリオ作ってもらわねえとな」
 おっさんから、またどうぞのかわりにそう言われて、なんだっけと思いながら、そっすね、と答えた。
 メロンパン、美味しかった。

 おやすみなさい。


2023/10/04

 昨日のコンビニで思い出したことがある。
 腹弱じいさんが店を留守にしてても、酒とタバコだけは誰も手をつけない妙なルール。コニャックなんて置いてなかったはずだけど、見ていたら頭に浮かんできた。
 レミおじさんの正体は、きっとあの、日本語の流暢なフランス人だ。レミ・マルタンという、絶対に偽名だろという名を名乗った、筋肉ゴリラ。
 姉はパソコンで、レミおじさんを泊めるのに必要なものリストを作っていた。意外と甲斐甲斐しい。
 レミおじさんが来るのに、まだ数日かかるそうだ。日本への直行便がないから、乗り継いでくるんだとか。
「そのレミおじさんて、親戚といいますか、あなたのパートナーのことでは?」
 なんとなくこの話題では「姉さんの」と言いにくくて、変にへりくだった言い方をしてしまった。
 Evernoteにリストを打ち込みながら、だから親戚だろーが、とフランス語で返してきた。
 籍を入れるとき、家では日本語を話すこと、とか契約に入れておけばよかった。タマナシだっていうから、夜の営みは無しだのあれこれ決め事しなくても問題ないだろと楽観したのがよくなかった。
 レミおじさんがあのレミゴリラなら、妹は、養子にするとき何度か会っている。覚えていなかったようだけど、おおかた「まるたん」で記憶しているに違いない。
 姉は見た目がすでに「姉」だったから、私と夫婦の体裁をとるのにレミマルタンが姉の代役になった。
ハーフで日本生まれで……と設定を作り込んだのに、外人顔と筋肉の威圧感を前に、不要な詮索をする者はいなかった。
 必要があっての契約とはいえ、パートナーが女と結婚するのも、その女と夫婦のふりをするのも、レミタンは面白くなかったはずだ。
 首から上だけおキレイなおフランス顔を思い出す。美形が怒ると迫力あるって、都市伝説じゃないんだ。
 あのひとやっぱりおっかないから、今度会ったら「レミタン」て呼んでいいかな。
 思いついて言うと、かつて一緒に何度も死地をくぐりぬけてきたというゲイカップルの片割れは、ようやくモニターから私へ目をうつし、少女漫画のように口をあけて微笑んだ。
 
 おやすみなさい。


2023/10/05

 やっぱり姉と、というか、ルカワサトルと籍をいれるとき、いわゆる契約結婚である以上、契約書を作るべきだった。
 設定じみててイヤだったのだ。
 先生の小説塾に通っていた頃、設定ばかり何十ページも書いて本文がまったく書けてないだったかつまらないだったか、そんな小説家志望の話を聞いた。
 書けばキャラクターが勝手に動き出すと信じ続けているほどウブではなかったけど、設定ばかり先に書くのは恥ずかしいと思ってしまった。
 これは小説じゃないのに。
 姉の名前を漢字で思い出せない。あれこれ手続きのためにとった住民票があるはずだから、あとで探そう。
 ワンチャン、姉がスキャンしてPDFでEvernoteに保存してるかもしれない。
 なんだか姉の機嫌が良い。レミ・マルたんだかレミおじさんだかが来るからだろうか。
 筋肉レミたんのほうがネコだと聞いたような覚えがあるけど、記憶違いかもしれない。確認する度胸はまだない。

 おやすみなさい。


2023/10/06

 姉の髪がプリンになっている。
 いつも妹が、まめまめしく金髪にしているはずなのに。
「レミのことを聞かれたから」と姉は言う。
 姉のことだから、二人の関係をありのまま話したのだろう。妹の身に危険がおよばない程度に。
 そこから妹の心情をゲスパーしているあいだに、姉が読んでいた本を閉じた。
 スティーブン・キングの新刊。このあいだ私が買ってきたやつ。上巻だ。
 読み終わったんなら私が読むから返して、と言ったら、下巻、とだけ言って投げてよこした。
 あぶねえな、ハードカバーだぞ。
 下巻をとりに部屋に戻って、本棚の隙間の位置が変わっていることに気づいた。
 また勝手に妹が、持っていった本を返しつつ、新たになにか借りていったのだろう。姉2の本棚を、BL図書館だと思ってる。
 妹を養子にむかえたのは、ギリギリ小学生の頃だったはずだ。サトルとレミはカップルだとかいうことまでは、当時は話していなかったはず。
 姉を「アネ」、私を「アネツー」と呼んだのは、最初は反発心だったのかもしれない。今頃気づいたけど。
 サトルは気にしなかったし、私は私で、プルツーみたいでいい、なんていって普通に返事した。
 妹は、どちらかというと姉に懐いている。
 妹は、どちらかというと顔が良いBLが好きだ。ガチムチ系は好まない。ナマモノも苦手だ。BLマンガが実写ドラマ化したときは、なにかギャアギャア言っていたけど、全部結局は、視聴することを自分に許す、エクスキューズだったっぽい。
 棚から消えているのは、攻めの顔が良くて受けがゴリラなジャンル。
 姉の、ちょっとプリンになった頭髪。
 導き出される答え。
 大好きな姉のために、妹は今頃、苦手を克服しようと勉強中なのだ。
 棚から消えてるの、私のお気に入りの、スネ毛どころかケツ毛も描く作者のだけど、大丈夫かな。

 おやすみなさい。


2023/10/07

 夕飯は近所のファミレス。
 入り口が狭くて手こずるけど、車椅子がおさまる席がある。トイレは対応してないから、これまた介助に手こずるはずだが、元傭兵の姉は排泄もコントロールできるんだとか。
 契約結婚するとき、私はどれだけ人生投げやりになってたんだろう。というか気絶してたんじゃなかろうか。今頃あれこれ気がついたり思い出したりする。
 レミおじさんだかレミたんだかが、やってくるせいかもしれない。会うのは5、6年ぶりだ。
 法律上は私の夫で、世間的には姉であるサトルは、パートナーとの再会が楽しみなのかどうか、表情からは伺えない。
 ひれかつセットを頬張りながら、向かいに座った姉と妹を眺めた。
 出かけるときは、妹が姉のことを自分と同じロリータファッションに仕立て上げる。私は等身大ビスクドールを持ち込んで食事するイカれた女になったつもりで、内心えへらえへらと楽しんでいる。
 こういうところが、サトルに気に入られたのかもとも思った。レミにも、そういえば歓迎はされてなくとも嫌われてはいない感じがあった。本名は教えてもらえていないにしても。
 さすがに酒の名前は偽名だろう。試しに、名前も知らない筋肉ゴリラを家に泊めるのはいかがなものかと言ってみた。
 マスカラいらずの目元が少し揺れて、
「たしかに、マルタンじゃあない。ストラトスだ」
 その場でスマホ検索したら、ギリシャ語で軍隊という意味。
 雑多な知識がぐるぐる頭をめぐって、以前に聞いた職業、現役バリバリの傭兵というのを信じるなら、これも偽名だろうと片付けることにした。
 名前よりは職業を疑う方がありふれた選択なんだろうけど、迷ったら、面白い方を信じる。
 先に食べ終えた妹が、テーブルのタブレットでデザートを選ぶでもなく、なにかもじもじしていた。
 そういえば、いつもは姉の仕上がりをうっとり眺めるポジションに座るのに。今日は隣に陣取ったのは、妹なりに、折り合いをつけようという努力だろう。たぶん。
 とうとう妹が口にだしたのは、
「その、レミおじさんとは、どっちがその、攻めなの?」
 タチかネコかで聞いたほうがよいのでは、と思わずくちばしを突っ込んで、姉に睨まれた。なんで睨まれたのかわからない。
 プライベートなことだ、とピンクの唇が低く答える。
 せやな、と付け合せのブロッコリーをかじる。
「とはいえ、家族だからな。どうしても知りたいなら見学したらいい」
 レミがいいと言えば、と付け加えたけど、私は緑のつぶつぶを皿に吹いてしまった。
 普通、家族でそういうの見学させないのではないでしょうかと、やっぱりへりくだった言い方になってしまう私と同様に、妹も、
「ご遠慮します」
 と変な敬語になった。
「百合なら、少しはたしなむのに」
 悔しそうに唇を噛んだ妹へ、姉2としては何を言えばよかっただろう。
 そうなんだー、と間抜けな相槌以外に。

 おやすみなさい。


2023/10/08

 イベント帰り、当て逃げされた。
 咄嗟に、サトルから仕込まれていた対処法で衝撃を逃がす方に飛べたおかげか、擦り傷と青あざ程度。野次馬が集まる前にそそくさと逃げてこられた。
 一通りの護身術。
 契約結婚にそんなものがどうして必要なのか、当時の私は質問しようとは思わなかったのだろうか。普通に考えて、ヤバい案件かと疑うだろうに。
 姉に扮する前のサトルと、筋肉ゴリラに東洋人好みの美形をアイコラしたようなレミさんとを思い出す。つい「さん」付けになるくらいには、あのときの指導はゴリラのほうがうまかった。
 帰宅してから、そんなちょっとした事故話を話していたら、姉が眉をひそめて、迫力ある低音で詳しく話せと詰めてきた。私の戦利品をあさっていた妹が、目を丸くして顔を上げるくらいに。
 先に読んでもいいけど部屋に持っていくな、と釘をさしてから、覚えている限りの状況を話す。
 街灯はあるがあまり役に立っていない夜道。人通りもほとんどない。
 被害者側なのにその場を逃げるように立ち去ったわけを、警察のお世話になったらあの戦利品をご開帳する羽目になるかもしれない、それだけは避けたかったから、と言うと、救われたかもなと姉がつぶやいた。やってくるのが本物の警察かどうかわからないし、と。
 なんだか不穏だ。
「当初の予定では、レミは今日、到着するはずだった」
 それは初耳だ。これとなんの関係があるか知らないけど。
「トラブルがあって、遅れてるんだが」
 唇に指の背をあてて考え込む。
 すっかり壁を乗り越えたらしい妹が、今日は気合を入れて姉を飾り立てていた。低い声で、平和的とは言い難い用語をぶつぶつ呟く姿は、だいぶ前に見たアニメの戦うアンティーク・ドールのようだ。
 妹がうめき声をあげたので振り向くと、すね毛もちゃんと描きこむ系の薄い本にあたったらしい。表紙じゃ見分けはつかない。
 ふと、姉にすね毛がないのを思い出した。
 姉に扮するために処理したのだろうか。徹底してるな。
 仕事でたまった疲労のせいか、今日の出来事のせいか分からない首の痛みを感じて、スマホでストレッチ動画を検索する。
 姉は考え込んだまま部屋を出ていき、妹は小説の薄い本を何冊か持っていった。

 おやすみなさい。


2023/10/09

 三連休の最後の日。
 寝具のカバーをひととおり冬用に交換して、洗って乾燥機をまわして、買い出しに行って。
 途中で、コンビニの店番をしていたおっさんに声をかけられた。昨夜、当て逃げされたのを見ていたそうだ。
「派手にすっ飛んでったから、てっきり死んだと思った」
 意外と頑丈みたいで、と愛想笑いしてやり過ごす。
 明日は普通に仕事なのだから、長話につきあわされるのは勘弁してほしい。
 来週頃には、コンビニの奥さん手作りスイーツがまた食べられそうだ、という情報だけ聞いて逃げてきた。私は甘いのよりも、ハムチーズをはさんだフレンチトーストのほうが好きだけど。
 帰宅すると、王子が車椅子のアンティーク・ドールに傅いて求婚している最中だった。
 いや、そう見えただけで、姉と筋肉ゴリラはとっくにカップルなのだけど。
 あちこち無駄にふくらんだ王子ルックに見えたのは、中身の詰まった筋肉だし、落ち着いて見ても王子顔はやっぱり王子顔だ。
 アイコラゴリラ、という言葉が頭に浮かんだけど、直接呼びかけるほどには口のパッキンが老化してはいない。まだ。たぶん。
 深紅の膝掛けのうえから搔き抱くようにして頬ずりしていたレミ王子は、私の顔を見るとなんともいえない表情をした。
 ええと。
「おかえりなさい」
 なんとなく、そう言うのが似つかわしい気がした。
 正解だったらしい。
 筋肉レミが、レミたんの顔になって飛びついてくる。
 ガードする間もなく頬をくっつけてきて、チュッと音を立てるかわり、
「カシマ!」
 と弾んだ声で呼んだ。
 最初にサトルに引き合わされたとき、私の姓を聞いて、火の島という意味かと興奮していた。シカの島だと訂正したはずだけど、なにかツボを押す名だったらしい。
 ここにいるの、おまえ以外は全員カシマだが? と言ってみたい。
 バイトから帰ってきた妹は、「まるたん」のことを覚えていたにせよ、会うのは小学生のとき以来だ。リビングのドアのところでフリーズした。
 覚えているかな、とレミが長身をかがめる。
「レミおじさん……?」
 レミが世にも悲しそうな目で姉を振り返った。姉は口笛でもふきそうな顔をする。
 見たところ、姉とレミとがまだ若いとき、二人の間に生まれた子が、この妹なのだ、という設定のほうがしっくりくる気がする。
 私は里親がわりの親戚のおばさん。実年齢より若く見られる私だが、化粧もしないで、田舎の大学生くらいに見えるというだけだ。
「……大きくなったなあ」
 おじさん呼ばわりのショックから立ち直ったレミは、やはり妹の父親だろうかと思うほど、感情のこもった声をもらした。
 姉を盗み見ると、視線をやったのがすぐバレた。いつもの取り澄ました姉だ。
 夕飯は、ホットプレートを出してお好み焼きにした。
 キャベツを私が刻んで、生地を姉が混ぜる。それぞれ好きにトッピングしながら焼いた。
 生地の入ったでかいボウルを受け取ったとき、昨日痛めた首がズキリとした。
 ストレッチするように肩や首を回していると、レミが小声で言った。
「すまなかった」
 なにが?
「巻き込んでしまった」
 数秒、脳が意味把握を拒んで空白になる。
 やだ怖い。
 姉が言っていた、レミの帰国は昨日のはずだったというのを思い出してしまう。
 ただの、不注意な車に当てられて、運転手はビビって逃げたという話じゃないのか。
「日本に帰国して、うちに泊まるって時点で巻き込む気満々だろ」
 姉が行儀悪く箸でレミを指す。
 食卓では断片的にしか聞かされなかったけど、詳細は、まず姉に話してからということらしい。
 夕食後は、姉の風呂の介助を誰がやるかで揉めた。別にどうぞどうぞのスタンスだった私がジャンケンで勝ってしまって、妹とレミが後片付けになる。
 キッチンにならんで立つ二人の後ろ姿は、やっぱり親子めいていた。
 実はレミの隠し子なんじゃねえの? と軽口を言えるほど、レミとはまだ打ち解けてない。
 なんてことを風呂で姉にこぼした。
 姉は考え事をしていたのか、生返事だった。長いまつ毛がお湯でくっつき束になって、いっそう人形じみた顔になる。
 平和だ。
 ふと、言葉にして確かめたくなった。
 平和だ。

 おやすみなさい。


2023/10/10

 昨夜、レミは姉の部屋で寝た。余ってる部屋などない。
 幸いというか、姉の部屋からAVめいた声が聞こえてくることはなかった。
 昨日、レミ王子がフランス語で「君が僕を抱けなくとも構わない」っぽい意味のことを言ってたのを聞いた。
 サトルがタマナシとは自己申告のみだ。風呂の介助で確認したことはない。
 タチネコ明確にしてもらう必要などないけど、物騒な想像をするよりは、まだマシな気がした。
 おかげで寝不足だ。妹まで朝はなんだか憔悴した顔で起きてきた。

 仕事帰り、みたらし団子を買った。
 3本入り1パックじゃ足りない。4人だから2パック。余った分は、食べたい人が食べたらいい。
 と思ったら、閉店間際だったからか、2本おまけしてくれた。
 そういうわけで、夜中に4人で、麦茶とみたらし団子を囲む。
 それなりに緊迫感をもった顔つきのレミとサトル(サトルの顔だった)が並び、向かい側に私と妹。
 説明する手順は、あらかじめ打ち合わせしていたらしい。レミはノートパソコンを私達に見せた。
「ブレイン・ポートの信号を映像化したものだ」
 盲目の登山家が七大陸最高峰を制覇したとき使ってたもの、ではなくて、暗闇でも活動するために開発されたものだという。実際は全方位が見えるけど、映像は必要な部分だけ切り取ったそうだ。
「ハロウィン?」
 首をかしげて言ったのは妹だ。
「ベルセルク?」
 と、これは私。
 画像は荒いけど、シンプルにいえば、百鬼夜行。
「我々は、八百万の神と呼んでいる」
 三浦建太郎氏の訃報に泣いた私は、そうはいってもホラーは苦手なので、画面から目をそらしてつぶやいた。
 なんで。百鬼夜行でいいのに。
 主語が「我々」であることも突っ込みたかったけど、レミが、ときどきサトルが補足するこの話は、到底みたらし団子二串では飲み込めるものではなかった。
 あれが日本に到達するまで、まだ数週間あるというのを信じることにして、とにかく今日は寝る。
 頭が痛い。頭痛薬を飲んで寝よう。
 最近のはだいたい「眠くなる成分が入っていません!」ていうけど、頭痛いときくらい眠らせてほしい。働かせる気まんまんかよ。

 おやすみなさい。


2023/10/11

 百鬼夜行でいいじゃんか、とは昨夜のうちにこぼした。
 当局が、日本にむかっているから八百万の神と名付けたそうだ。
 レミのいう「当局」がどこだかは分からない。知らぬが仏。
 まあ、ベルセルクは日本のマンガだし?
 出勤途中、ふてくされた気分で考えた。
 朝の光のなか、コンビニ前の駐車場を竹箒ではいているじいさんに会釈する。奥さんはまだ入院中らしい。
 あまり思い出したくないアレを頭のすみっこに置いて、チラ見しながら歩く。
 人間とも獣とつかない異形たちのカタログ帳。顔(と呼べるなら)のパーツや四肢(と呼べるなら)の一本一本、数も配置も独創的が過ぎる。その大きさも。
 ただ、積極的に害をなして突進しているのでもないらしい。ただ進行の途上にあるものは「のみこまれる」のだという。
 虚無の道。
 時間とともに消える、というか物質が消失する作用が消える(ややこしいなおい)そうだ。
 各国で、この、いわゆる霊感のある者にしか見えていない現象が起きていて、それらがすべて日本に向かっていると判明した。
 オーケイそこまでは把握した。
 それで、ここに我らが八百万の神様たちが集結したとして、いったい何が起こるのか。個人的には八百万の神と名付けるなら、俺の屍を越えてゆけ系がよかった。
 絵面が私視点では三浦建太郎・画だったから、同窓会かなって呑気な想像ができない。
 ありうるパターンは、日本消失。
 わあ、そういうの映画で観た。
 小説のほうは、パロディの、日本以外全部沈むやつしか読んでない。
 冗談でしょう。吐きそうだ。
 そんな思いを切り替えられない勤務時間中、またヤバい上司がヤバい提案をしてきた。
 上の空だったから、じゃあ上司から先方へ連絡して承諾を得てください、と言った。
 今の作業が半分手戻りになってやり直し、支払いも最低でも一ヶ月遅れになりますから、その旨のご説明を先方へお願いいたします。ペーパー作りますか?
 上司はニコッと笑って、じゃあやらなくていいわ、なんて言って立ち去った。
 午後には、人間ドックの結果が返ってきた。
 視力と昔の肺炎の名残り以外はオールA。健康体だ。姉妹の冷ややかな視線にさらされながら毎朝ラジオ体操にはげんだ成果だろうか。
 ふと、消音でニュースチャンネルがつけっぱなしになっているテレビが目に入った。
 どこか外国の映像。ニュースそのものとは無関係に、のぞりのぞりと画面を横切っていく巨大な灰白色のなにか。そのあとをずっと小さな、むきだしの脳に似ているけど、昆虫の脚でノミのように跳ねるなにかが追いかけていく。
 誰も、アナウンサーも現地の記者も、気づいていないように見える。
 ゆうべのが、二人の渾身のドッキリという線は消えた。
 こんな川柳かなにかを覚えてる。
 足腰を 鍛え鍛えて がんで死に
 美味しんぼで読んだ。
 毎朝の ラジオ体操 百鬼夜行で……
 字余りにもほどがある。
 それに、どうなるかはまだわからないはずだ。
 食堂のヘルシー定食が胃からせりあがってくる。
 なにか、できることがあるんじゃないだろうか。私と姉と妹が、アベンジャーズのようなコスチュームで立っている姿を思い浮かべてみる。
 力ない笑いがもれた。
 だけどレミが帰国した理由は、最愛のひとのそばで最期を過ごすためかもしれない。
 帰宅すると、レミと姉がいなかった。
 必ず帰るからという伝言が残っていた。

 おやすみなさい。

 


2023/10/12

 昨夜出かけていた姉とレミは、朝食のときには戻っていた。
 車椅子の姉をかいがいしく世話するレミを見ていると、やっぱり最期をパートナーの傍らで終わらせたくて帰国しただけではという気がしてくる。
 新情報があるらしいが、まだ確認することがあるから話は夜に、ということになった。
 妹が、今日は家にいていいかと聞いてきた。
 サボりたい日は勝手にサボっているのに珍しい。
 だがレミたちの方に支障がないだろうか。
 二人を見ると、たがいに眼顔で会話してから頷いた。
 聞いた以上は、保護者の立場として、休むという連絡を必ずいれるよう釘をさしてから出勤する。
 一昨日からの全銀システムトラブルが復旧していた。
 システムが復旧するまでは業務を先送りすればいい、なんて言ってた上司は、復旧していることに昼過ぎまでふれなかった。
 音を消したニュース番組では、銀行前の映像が流れている。
 今日もなにかが画面を横切った。集合体恐怖症なら失神していただろう目玉だらけのなにか。
 昨日は海外ニュースだったはずだ。
 腕に鳥肌が立つ。
 こんなにも、早く帰ってレミの話が聞きたいことなんて、あっただろうか。
 日本には、まだ到達しないんじゃなかったのか。
 午後は、今年の新人をどう育てるかで緊急ミーティングがあった。それは表向きのことで、重要な書類を紛失した新人がいたらしい。
 堂々巡りの対策会議は、平和の象徴に思えた。
 定時で帰るために、テレビのニュースにはもう目をやらず、仕事をこなした。
 それでも、システムトラブルの原因がまさか、とか、それなら海外ニュースのあれもとか、なんなら紛失したという書類だって、《《のみこまれた》》んじゃないかなんて考えが、浮かんでは消える。
 夜、国内ニュースであれの姿を見たことを伝えると、レミと姉は顔を見合わせてから、それはそうだろうと頷いた。
「そもそも、八百万の神は日本発のコンテンツだ。日本の神々が具現化したものだと当局は認識している」
 コンテンツ。
 思わず復唱してしまった。
「クールジャパンだ」
 今日も姉ではなくサトルの顔になって姉が言う。髪や服は、一日家にいた妹が弄り倒したロリータ仕様ではあるけれど。
「神々が、その存在に、アニメやマンガ、ゲームのキャラクターとして繰り返し言及されることで実体化したという仮説がある」
 そういうことなら、日本は爆心地ではなかろうか。それとも台風の目か。
「昨日、ブレイン・ポートで採取した映像を見せたとき、二人が見ていたものが違っていただろう?」
 レミが私と妹を交互に見た。
 今度は私と妹が顔を見合わせる。
「違った?」
「ハロウィンと、ベルセルク」
 あ、と私は口をあける。
 どちらも百鬼夜行と認識していたが、今月末の渋谷と、作画・三浦建太郎では大きく違う。
「映像化したといったが、実際は信号を発していただけだ。見た者がそれを受信して脳で映像を結ぶ」
「脳内コンテンツにないものは映像化できないといえば分かるか?」
 レミとサトルが辛抱強く説明した。
 つまり、ハンターハンターや呪術廻戦や、もちろんベルセルクを好んで読んでいた私には、あれがそのように見えた、と。
 妹は、鬼滅が流行ったときにファッション・オタク化して私が毎週買ってくるジャンプを読み始めたものの、ハンターハンターも呪術廻戦も、新連載の魔々勇々も読めていない。化け物の造形が怖すぎて無理、といって。鬼滅も蜘蛛のあたりで読むのをやめていたはずだ。
 ただ、見え方が違うからといって、なにがどうだというのだろう。
 こちらも辛抱強く、質問を投げた。
「あれが日本に集合したとして、のみこまれる以外の仮設は?」
 レミが気遣うように妹のほうを見た。
「……日本で、終わりのないハロウィン・パーティーが始まる」
 ベルセルクのグッズにあった、ベヘリットを思い出す。蝕か。
「日本だけ? 世界的にはどうなるの?」
 筋肉でパツパツのシャツのうえにある、不釣り合いな美形が目をふせた。この男の、生きた人形のようなパートナーは隣で宙を見て細く息を吐く。
 私の隣で妹が、不安そうに身じろぎする。
 わあ、そうか。
 脳内で、今はどこにいるか知らない芸人が、気づいちゃった気づいちゃったと歌う。
「八百万の神っていうネーミングは、とどのつまり日本だけの問題として片付けるための、布石ってやつ?」
「内政干渉にあたる、とかいって手を引く算段だろう」
 姉が手を伸ばして、妹のふるえる手を握った。
 横目で見ながら、私が自分でも思いがけないことを言った。
「なにか、できることはないの? その、つまり、私達にも」
 アベンジャーズが頭をよぎる。ロキ様が一番好きな私に、なにができるというのか。
「カシマは僕が、ただ最期を愛する人のそばで迎えるためにやってきたとでも思ったのか?」
 やや強引に口角をつりあげたような笑顔に、同調圧力とでもいうのか、私も歯を食いしばったまま笑顔をつくった。
 その口の形では、「思ってた」とは言いたくても発語できないのが幸いした。
 人生ずっと、他人より頑張ってやっと人並みの私だ。
 ここでなにか役に立ちたいなら、筋肉ゴリラもといレミ・ストラトスの意気を削いではいけないとわかっている。
 話は深夜に及んで、なお終わらなかった。
 続きはまた明日。

 おやすみなさい。


2023/10/13

 朝から半日休暇をとって、近所の小学校にボランティアに出かけた。あやうく忘れるところだった。
 去年あたり『7つの習慣』だったかにかぶれて、地域とのつながりを持とうと一念発起したのを忘れてた。岡田斗司夫ゼミだったかもしれない。
 年度初めに当番表が家の郵便受けに投函されていて、前日は報告用のノートが投函されている。
 小学生の子どもたちの前で、未邦訳の絵本を読んだ。翻訳は、グーグル先生にまかせたものをベースに、私がテキトーにアレンジしたもの。お姫様がムッキムキになってゴブリンを退治する。
 ポカンとしている子どもたちの顔を順繰りに見ていって、なぜか思い出した。
 よくある質問。
 心理テストなのかなんなのか、よく分からない質問。

問1・明日、世界が滅ぶとしたら、何をする?
答1・なにもしない。いつもどおり過ごす。

 だってそうだろう。
 すべて滅ぶなら、そうだろう。

問2・明日死ぬなら、何をする?
答2.姉と妹に、結構楽しかった、と伝える。

 あとに残る誰かがいるなら。
 それと、死んだら解放、とはいっても、どこかで生きてるかもしれない親には伝えないでほしい。
 なんなら墓には入れずに樹木葬とか宇宙葬とか、そういうのにしてほしい。
 ああ、こういうことは、「明日」なんて差し迫る前に書き残しておくことだ。一般的には遺書っていうんだろう。

 これまでは、このどちらかだった。
 すべて滅ぶか、私だけが滅ぶか。

問3・この国だけが滅びるなら、何をする?

 ヒーローでも呪術師でもない私は、国外逃亡して、いずれ再戦の時宜を……なんてことにはならない。逃げたらそれきりだろう。
 おかしなことに、昨夜のテーブルで、ここから出ていくという話は出なかった。
 愛国心がハチャメチャ強い、なんてこともない。
 あるいは、姉を愛していることがダダ漏れレミが、姉を連れて逃げ出そうという様子を見せないからだろうか。逃げてどうにかなるものなら、レミは帰国した当日に、姉を連れてとんぼ返りしたはずだ。
 午後に、今度は航空管制システムがトラブルを起こしたと告げていた。
 テレビにうつっているのは空港。これにはなにも、それらしきものは見えない。画面の隅に、資料映像、と表示されていた。
 それとも、国外脱出はもう不可能な状況になっているのだろうか。
 全銀システムに続いてこれだから、ネットでは陰謀論がはしゃぎまわっている。
 帰り道、角を曲がるとこのあたりでは見かけないデコトラが駐車していた。
 電飾が眩しくて、目を細めながら横を通り過ぎようとしたところで、縦列駐車の救急車が目にはいった。
 見れば、デコトラと思ったのは消防車だ。車体の横腹で放水ホースが、灰白い腸のようにとぐろを巻いている。
 目をそらした先、猫のようなものが横切った。
 猫なら、いつもならとりあえず呼んでみる。
 けど、今日のところは帰路を急ぐことにした。心臓がバクバクした。
 なにもかも、百鬼夜行の影響に見える。
 帰宅すると、姉とレミがひたいをくっつけるようにして話していた。
 テーブルの横に立ち、なぜ情報を小出しにするのが聞いた。
 レミが悲しそうな顔で見上げてくる。美形すぎて見慣れなければ気後れしてしまう魔力が、まったく効かなくなっているのを感じた。
「本当に、分かっていることが少ないんだ。日本に来れば、もっと分かることが増えると思った。それは正しかった。だけど、なにもかもクリアになるというほどではない……」
 目をふせたレミの肩を、姉がそっとさする。その手に手を重ねてから、私をまっすぐ見た。
「間に合わないとなったら、君とマオだけでも国外へ逃げてもらうつもりだ」
 一瞬ポカンとなる。私と妹だけ。姉は?
「私は逃げるわけにはいかない。かといってお前たちを道連れにする気もない」
「君たちふたりは、僕とサトルの、命の恩人の娘だ」
 そういう情報は、最後の最後に取っておいても良かったんじゃなかろうか。
 明らかにキャパオーバーだ。
 ふらふらと冷蔵庫から板チョコを出して、一枚一気食いした。

 おやすみなさい。
 眠れなかった。

 


2023/10/14

 出奔した父親は、そもそもほとんど家にいなかった。
 母親からは薄ぼんやりと、海外で仕事していると聞いていた。
 小学校高学年の頃にはもう、他所に女がいるとかじゃねえかなと疑ってはいたけど、母親があんまりカラッとしてるから、そういうもんだと受け入れてしまった。
 実際のところどうだったかは知らないままだ。
 知らないけど、現役傭兵と元傭兵が口をそろえて「恩人」と言ったあたりで、察するべきなんだろう。
 母親は、最近とうとう最終回をむかえたマンガで読んだ言葉がぴったりな人だった。
 チキンレースで真っ先に死ぬタイプ。
 母親には向いていないようでいて、生命力はものすごく強いから、生命体を育てるのには向いていたかもしれない。
 そして、強すぎて過信してるからこそ、チキンレースで死ぬ。
 いや、死亡は確認してないけど。どこかでのたれ死んだら、家族に連絡がくるもんじゃなかろうか。『きのう何食べた?』で読んだ。
 私の名前、藤子の由来は、定番だけど小学校の作文のとき聞いた。父親がつけたんだそうだ。
 現代では「花」といえば桜だけど、昔は山桜で、それから藤の花なんだとかいって。
 山桜のくだりはずっと忘れていた。思い出したのは、サトルが契約結婚とあわせて養子にしたいという子の名前を聞いたときだ。
 愛すべき戦闘力ゼロのゴスロリ妹。「山桜」でマオなんて、「ヤマ」「オウ」と読ませて真ん中を取ったのか。
 スラムダンクかよ、と思ったあとに、ひらめくように記憶がよみがえったのを覚えている。
 まるでチクリとうなじを刺されて、記憶を差し込まれたみたいだった。
「彼はーー君のお父さんは、戦場で万葉集をよむようなひとだった」
 レミが言う。
『1917命をかけた伝令』みたいな格好の父が、ボロボロの岩波文庫に身をかがめている姿を思い出す。
 もちろん見た記憶なんてない。過誤記憶とか虚偽記憶とかいうやつだ。
 それにしても。
 地味で特徴のない顔立ちの私と、サトルとレミの隠し子だといわれたほうがしっくりくるマオとが、そうか、父親が同じなのか。
 遺伝子とは不思議だ。
 だらだらと、いま明かされなくても別によかった気がする家族の真実、なんてものを書き連ねながら、今少しだけ、この日記を「誰にでも公開」設定で続けてきたのは失敗だったかと思っている。
 進撃の巨人の、現在公開可能な情報っていうアレが、あの読みにくいフォントで頭に浮かぶ。レミが話した百鬼夜行情報は、どこまで公開可能なのか。
 レミには特に止められていない。たまにアクセス数を見ても日に一桁のブログだ。たいして影響はないってことだろうか。
 めまいがする。
 オタクが世界を救う映画って、あったはずだよなと検索したらば、いくつかヒットした。
 みたことあるのはたぶん『レディ・プレイヤー』だけ。
 私ごときがオタクを名乗るなんておこがましい。
 レミから告げられた言葉(公開可能かどうかは現時点でP)に、青ざめながらそうこたえたら、横から姉が、紅茶をすすりながら言った。
「そういうところがオタクなんだ」
 それはそうかもしれない。
 ああ、神様。
 岡田斗司夫ゼミに人生相談メッセージ出してみようかな。

 おやすみなさい。


2023/10/15

 この国が消滅の危機かもしれない。
 そんな話を聞かされて、なにやら異形のものの姿もちらほら見えはじめて。
 ハリウッド映画だったら、あと何日とか何時間とか、タイムリミット作ってハラハラドキドキの展開になってるはずだ。
 そういう展開にはならず、今日は一日中、ショッピングモールで買い物に付き合わされた。
 レミがいたから、そうとう楽ではあった。姉の車椅子はレミが押したし、ユニバーサルカーをレンタルしてきて運転もしてくれた。
 まあ買い物の大半は、着の身着のまま帰国したレミのあれこれでもあったけど。
 いつもの外出であれば、だいたい妹が車椅子を押す。姉も妹もロリータファッションで、わりとヒソヒソされたり、からんでくるオッサンもいたり。
 車椅子でそんなカッコしてんじゃねえって。
 からまれるのはだいたい、後ろをついて歩いてる私だ。あんなカッコさせてどういうつもりだって。
 地味で、おとなしそうで、言い返してこないように見えるんだろう。
 最初のうち、車椅子を押す役を奪われふてくされていた妹は、いまは花魁道中の先触れでもするように、得意げな足取りで前を歩いている。私はいつもどおり最後尾を行きながら、深く息を吸った。
 筋肉レミが車椅子を押してると、こうも空気が違うのか。
 なんというか、歩きやすい。
 レミも美形なものだから、視線を集める点ではいつも以上だ。にもかかわらず、息がしやすい。
 世界が、接し方を変えている。
 当然、世界の見え方も違うだろう。
 ふと気がついて、移動しながら低い声で話している二人に聞いた。
「最初に見せてくれた百鬼夜行の映像って……」
 実は映像化されたものではなくて信号を発していたのだ、というけれど。
「なにか、した? なにか……《《見える》》ようになる作用がある、とか」
 姉が私を見返し、それからレミを見る。
「な、言ったとおりだろう。回転は遅いが、たどりつく」
 頭の回転が遅い……コンプレックスをさらりと言われて、うわあ、と口があいてしまう。
 いくら回転が遅くても、テレビや動画サイトの最近の投稿に、もれなく何やかやと映りこんでいるのが見えるようになったら、そういう可能性を考えて当然だ。
「でも、マオには見えてないでしょ。オタクじゃないから?」
 それには答えてくれず、レミが周囲をさっと見回す。視線の先で何人かがキャアと黄色い声を上げた。
「藤子も肉眼では、まだ見えてない?」
 怖いことを言う。
 少し顎をあげたレミは、軽く口をひらいて見せた。口蓋に、なにか張り付いているのがチラリとのぞく。
 それから伊達メガネをちょいと指差した。
 ブレイン・ポートの、百鬼夜行対応ヴァージョンだ。
 人間の視覚では認識できない信号をとらえて可視化する。
「じゃ、レミさん、見えてるん、ですか」
 なぜ敬語、と姉が小さく吹き出した。
「見える。たいがい付喪神のたぐいでかわいらしいものが多いけど。おかげでサトルとのデートに集中できないね」
 冗談なのだろう。ツッコむ気力は残念ながらわいてこない。
 それから傍目には買い物を楽しむ家族連れ(に見えるかどうかは怪しい)のようにふるまいながら、ボソボソと今後の計画について話し合った。
 聞けば当局とやらが流している動画は、見えるようになる可能性のある層には好まれないジャンルだ。申し訳ないが、アドバイスをしてしまった。
 もし、あなたが、なにかが見えるようになって、この国の危機だとかいって突然ある日、バトルに駆り出されることを夢見る中二病でないなら、×××××とか、ーーーーーとかの動画は、今月に限っては視聴しないほうがいい、と警告しておく。
 まあ、こんなブログを読んではいないだろうけど。

 おやすみなさい。


2023/10/16

 月曜日だ。
 特に支障がないというので、いつもどおり出勤する。
 世界とか国とかが消滅するなら、サボってあれこれやるのもいいけど、これからも続いていくほうに掛け金を置いてる立場(そうなんだろう、たぶん)である以上、日常を続けていこう。
 途中のコンビニで、週刊少年ジャンプを買う。
 通勤電車で、今週の呪術廻戦もHUNTER × HUNTERも休載なのを確認した。
 カラーページのVジャンプの付録に、ヒソカがいる。もれなくヒソカがついてくるなら買いだけど、と食い入るようにページに見入った。
 始発なので通勤電車といえども座れる。ふと顔をあげたとき、足元をなにかがすり抜けていった。
 風ではない。窓は閉まっている。
 感染症対策で、常に少し開けていたのはもう以前のことだ。
 足元へ目をやるのは避けて、中吊り広告を眺めた。
 扇情的な煽り文句を見ていると、漢字がもぞりと身じろぎした。キョロリと目玉が飛び出て、剛毛の生えた手足が伸び出る。
 目を閉じて、寝ることにした。
 膝のあたりでなにかが飛び跳ね、肩口でなにかとなにかが諍う気配があった。
 何も見ないよう、気づかないようフル回転で仕事して、帰ると妹が、冷凍弁当を温めているところだった。
 今日はレミの野戦料理ではないらしい。
 姉もいない、二人の夕食はそれほど珍しくないのに、妙に寂しく感じた。
 このところレミもいたし、テーブルでかわされるのが穏やかな話題ではなかったからだろうか。
「修学旅行、行けるかな」
 ぽつりと妹がつぶやく。
 予定は来月だ。
 映画みたいに「Xデイ」を宣言されてはいない。けど、きっとなにかが起こるのは、決定的な何かが起きるのは、ハロウィンの日だろうと私も妹も、感じ取っていた。
 私は、冷凍弁当にしては副菜までしっかり美味しい温野菜を咀嚼した。
 どうやら自分で思っていた以上に、この妹ーー養子にむかえながら世間的には三姉妹としてふるまうとか、ややこしい設定にクールに付き合っている妹のことを、大切に思っているらしい。
 前に彼氏と歩いてるの見かけたとき、リア充爆発しろ、てつぶやいてごめん。
「姉2が、なんとかしてやんよ」
 サトルという名の姉もいるし、シンプルに筋力が役立つレミもいる。
 ベルセルクな百鬼夜行を思い出すと肩から首にかけてがチリチリするけど。
 世界のためとかこの国のためとかじゃなく、妹が楽しみにしている修学旅行の来月のために。アベンジャーズでもレディ・プレイヤーでもピクセルでも、やってやんよ。
 白い頬を山桜の濃いピンク色に染めて、妹にしては珍しく、わかりやすく微笑んだ。
「お土産に、木刀、買ってきてあげる」
 京都、奈良に「洞爺湖」と彫った木刀は売ってないだろうけど。それでもまあ、
「……ちょっとほしい」
 深夜に、姉とレミは帰ってきた。
 そういえば、二人で逃げたとか、びた一文も疑ってなかったなあと、新たに公開可能な情報とやらを聞きながら思った。
 その話はまた明日。

 おやすみなさい。


2023/10/17

 映画なら、冒頭何分かは息もつかせぬアクションで客をつかむところだけれど。
 映画ならぬ日常は、今日もいつもどおり進行する、かと思いきや、昨夜遅くに帰ってきた姉とレミに、今日は仕事を休んでほしいと頼まれた。
 急遽、会社に休暇の申請を出した。
 だけど出席してほしい会合が昼近くだというので仮眠をとる。
 そのあいだに、運ばれたらしい。
 目覚めると、見知らぬ会議室で椅子をならべたベッドに寝かされていた。
 椅子のならべかたに既視感がある。
 残業、泊まり込みが慢性化している国の機関で働く知人が、図解して面白おかしく教えてくれた。転がり落ちたりせず、よりよく眠れるならべかた。帰って寝ろ、と一応は突っ込んだ記憶。
 背もたれに手をかけ起き上がると、オンライン会議の準備を整えたテーブルが見えた。
 レミが着替えさせたからだろうか、今日はどちらかというとサトル寄りの姉が、車椅子ごしに振り返り、起きたか、と口だけ動かす。
「あのう、一服盛りましたか?」
 ほぼサトルといっても男装ではないあたり、いつもの女装がカムフラージュではなく普通に本人の趣味なのだろうと、こんなときに思う。
 あるいはレミが気に入ったのかも。
「その予定だったけど、先にグッスリだったから」
 姉ではなくて、レミが肩をすくめてこたえた。
 そうか。わりと平気なつもりだったけど、このところずっと眠りが浅かったせいだろう。
 体をずり動かして椅子のベッドからおりる。
 会議室には、私たちしかいなかった。
 正面の大きなモニターが16分割されている。会社でやっているteams会議っぽい。
 見回せば、集まったメンバーの気持ちをやわらげようとか、微塵も配慮する気のない実用一辺倒な会議室だ。
 問答無用で運搬された末に、会議って、
「せっかくだから、『スカイプって知ってます!?』って言ってみたかったな」
 なかば寝ぼけ眼のままぼやいたら、16分割のどこかが動いて、誰かがマイクミュートを解除したらしい。
『軍用機で運ばれたうえにオフラインミーティングなら、ボクもそれやりたかった』
 よく見ると、赤毛の太った青年に発話者のマーカーがついていた。ドクター・ペッパーの缶をもっている。
 レミがひいてくれた椅子に座りながら、念のため確認した。
「たしかにちゃんとオンラインですもんね。ーープロジェクト・ヘイル・メアリー?」
『そう、あのシーン最高。笑えるよね』
「字幕と吹替どっちもみたけど、どっちも吹き出しちゃいましたよ」
 なんとなく敬語で応じながら目をこすり、耳をこする。画像が小さいけど、日本語ノンネイティブに見える。
 姉が横から言った。
「日本語はオタクの共通語だ」
 いやいや、先方がオタクかどうかなんて、ドクター・ペッパーとアンディ・ウィアーだけじゃ判定できませんよ。
『吹替、誰?』
 主人公のことだろう。
「ロキ様と同じです。ええと、マーベル。アベンジャーズ」
 臙脂色の缶を傾けながら赤毛が片方の眉だけピクピクさせる。器用だ。考え事をしてるというサインだろうか。
「ああ、あの、声優が同じといっても、そこはちゃんとグレースで……」
 ロキ様とはイメージが違うとか面倒なことを言い出しそうだったから、思わず弁解口調になる。
 レミが片手をあげた。発言しようというのではなくて、これは私を黙らせるためだ。
 16分割のひとつが大きくなって、ドクター赤毛ペッパーをすみに追いやった。
 レゴブロックを踏んづけたエディ・マーフィみたいな軍服が、咳払いする。
 軍服はけして早口でまくしたてたりしなかったけど、英語で、隣の姉がボソボソと同時通訳してくれた。
 通訳以前に、理解が追いつかない。
 計画を理解したうえで、次回までに参加するか否か最終的な決断をしてほしい、といって朗らかさをカラッカラに絞りとった軍服エディはログアウトした。
 あとになって、16分割のほかの誰かとも話して情報交換できたんじゃと気づいたけど、コミュ力も低い私が初対面で会話できるのは、ペッパーくんが関の山だったろう。
 ぐったりして家に帰った。もう夕食の時間だった。妹が煮込んだカレーを食べる。
 現時点で公開可能な情報。
 コミュ力どころか身体能力も低い私が、果たしてバトルできるんだろうかという懸念について。
 思念をコンバートしてジェネレイトした触手をマニピュレートするのが私の役割なんだそうだ。
 広告で流れてくるエロマンガを想像した。
 なんだそりゃ。

 おやすみなさい。

 


2023/10/18

 覚書のためにも、昨日のことをまとめておく。
 あとで聞かされたことだけど、寝ている間に私は脳波だとかもろもろ、データをとられたんだそうだ。
 工事現場で働く姉とレミにホットサンドを作る夢を見たから、なんとなくあれがそうかと思う。
 夢の中の姉は、片方の肩に鉄骨をかつぎ、もう片方の腕の力だけでヒョイヒョイ動き回っていた。レミはガンタンクの足部分みたいなのを抱えて姉の後を追いかけていた。私が作っていたホットサンドは、チョコバナナとハムチーズと、納豆キムチーズだった。
 妹の修学旅行のためにと決意したあとで、レミから差し出された契約書らしきものにサインしたけど、あれが検査の同意書だったらしい。
 同じ書類に、二人がサイン済みのものを見せられたから、信じてしまった。英語だからって投げ出さなければよかった。
「僕とサトルもデータをとったけど」
 と前置きしてレミが言うには、二人はブレイン・ポートなしで百鬼夜行を見ることはできないが、オタクのうちの一定数は、能力を増強することで補助端末なしでアレが視認できるという。
 それは知ってる。
 このところ毎日がゲゲゲの鬼太郎だ。墓場どころか昼からオフィス街で運動会だ。
 気になるのは、海外からここへ向かっているという百鬼夜行の映像に比べたら、三浦建太郎と水木しげるくらいの画風の差はあるということだ。
 希望的観測のせいだろうか。
「日本がアニミズムの国で、付喪神……擬人化全般になじみがあるのが影響している、という仮説がいまのところ有力だ」
 とは姉の解説。
「できることなら恩人の娘であるマオも、もちろんトウコも、巻き込みたくはなかった」
 これはレミ。妹には、最初に見せた画像がハロウィンにしか見えなかったことから、検査そのものを受けさせていないそうだ。
 見える能力をあっさり開眼させてしまった身内がいる以上、協力させない選択肢はなかった。
「それと、我が妹トウコの検査結果の数値は、計測機器の故障を疑うほど桁違いだったことも伝えておく」
「そのおかげで、先頭にたってバトルすることはない。後方からの、いわば援護射撃と支援の役割を期待されているんだ」
 二人は、誇らしいようにも困惑しているようにも見える。
「心当たりは、あるか?」
「えっ、オタク度の強烈さに?」
「見える能力にオタクかどうかは関係しているけど、妄想を具現化する脳の出力の強さは関係がないんだよ」
 姉とレミを交互に見て、困惑が感染するのを感じた。
「脳の出力と言われても」
 思い出すのは、幼稚園児の頃からの頭痛だ。
 かかりつけの小児科医が、ゲラゲラ笑ったのは幼心に傷ついて忘れられない。
 ーーあのねえ、子どもには、頭痛なんて、な・い・の!
 大人になってから調べた。子どもで頭痛持ちなど普通にいると知り、夢の中で何度あの医者の藁人形に五寸釘を打ち込んだだろう。当時、いつも聞いていたラジオでは、山崎ハコが歌っていた。
 そうだ、幼いながらも、頭痛を自力でどうにかしようと思って、たどりついたのがどういうわけかブラック・エンジェルズだった。
 我が心、すでに空!
 空であるがゆえに無!
 無になれば痛みからも解放されるのではと考えた。
 ヒマさえあれば、今でいうところの、マインドフルネスとか瞑想とかをしている子どもが、仕上がって、今、こうだ。
 おかげで学校の先生方からは、おとなしくて良い子と評価されることもあったが、まったく外に出て遊ばない、無理やり外に出しても木陰や鉄棒のそばでじっと目を半眼にして突っ立っている、薄気味悪い子と嫌がられることも多かった。
 私の脳が普通と違うとしたら、幼少期からそんなことをしていたから、ではなかろうか。
 触手をコンバートだかオートマだかするという話は、そういう理由だったか。
 納得したわけではなくとも、そういうもんかと思うしかない。
 朝、出勤の道すがら、車道のまんなかをウロウロしているカラスがいた。
 試してみようなんて考えたわけじゃない。
「ようカラス、あぶないぞ」
 小声でつぶやいて、そっとすくいあげるイメージを浮かべた。
 よせよ。
 そんな声を聞いた気がするのも、私の妄想だ。
 だけど、ふわりと道路から浮き上がったカラスは、ひょいとそのくちばしを帽子のひさしのようにはねあげ、
「よせよ、わかってるって」
 存外若い青年の顔がのぞいた。宮崎駿の映画でみたような、オッサンじゃない。
 時間がとまった。
 と思うと、カラスは高く飛びあがった。
 どうやって会社にたどりついたか記憶はない。
 今日一日、立て続けに起こったトラブルの対処に追われた。
 帰宅して残り物のカレーうどんをすするまで、爽やかフェイスのカラス男子のことなど思い出しもしなかった。
 疲れた。

 おやすみなさい。


2023/10/19

 昨夜のうちに、新しい契約書にサインした。
 死亡したときは遺族に、働けなくなったときは私に、年金が支給される。
 つまり私になにかあったら、姉と妹に金が入る。
「マオが行きたいっていったら、大学でも専門学校でも、行かせてやってね」
 しんみりした気分で言うと、姉が眉をつりあげた。
「なにを急に母親っぽいこと言ってる? 私が死んだらトウコに金が入るんだぞ」
 まさか車椅子の姉が、サトルが、前線に出るとは思っていなかった。
 その話はまた後でまとめるとして(公開可能な情報かどうかもわからないし)、今日は帰りの電車が3時間遅延した。
 契約書には、百鬼夜行が日本上陸してからではなく、訓練中の事故であっても何割かの支給があると明記してあった。
 だから訓練がある、開始されることは把握していたつもりだった。
「契約書にサインした者は、今日から訓練に入る予定だったのに」
 いや、聞いてない。
 私はいつも絶対定時で帰る。だから、普通に仕事に行かせて、帰宅してから訓練、というスケジュールを組んでいたのだという。
 そういうのは事務所を通してほしい。日本ベルサッサ・プロダクション。冗談が通じる気がしなくて、はあ、とだけこたえる。
 それよりも、帰宅してからなんて、家事だってあるし、なにより睡眠時間を確保させてください。寝かせない気かよ。スパルタかよ。今どきはやんねえぞ。
 姉とレミと三人で話して、やはり仕事を休んだほうがよいという話になった。
 急に言われても引き継がなければならない仕事もあるし、なにより突然の長期休暇、理由はどうするのか。
 その問題は、姉、いや書類上は夫であるところのサトルが脚を骨折して介護が必要になった、という設定になった。
「でも、そういうのは、診断書とか、介護者との親族関係を証明する住民票とかが必要で……まあ住民票はコンビニでとってこれるからいいとしてーー」
「診断書なら、手配する」
 診断書とは、「手配」するものだったでしょうか。
 レミがどこかへ電話をかけて、明日中には届くと言った。
 それにしても、脚を骨折とは。
 なんとなく車椅子に目をやったのを、姉に気づかれた。
「万が一にも、怪我したところを見せろと言われても、切断して処分しましたで済むだろ」
 お得意の、少女マンガめいたキラキラの笑顔で言う。
 万が一にも会社の誰かが確認しにくることはないだろうけど、そのときは、脚がどうとかより、見た目が問題になるだろう。
 夫です、といって現れるのが車椅子のアンティーク・ドールだ。介護休暇じゃなくて、私自身が心を病んだ休暇になりそう。
 素でピンク色のくちびるを横目に、サトルが男装しているのを見たのは、いったいいつのことだったかと記憶を探った。思い出せない。
 そもそも妹のゴスロリ趣味だって、姉の、サトルの影響じゃないか。
 電車待ちもあったし、疲れた。
 全部明日にしよう。

 おやすみなさい。


2023/10/20

 通勤途中のコンビニで住民票をとった。
 世帯主は私になっている。だって定職についているからと、デイトレーダーをやってるサトルが決めた。
「サトルは情報部の仕事もできたから、デイトレードの才能もあるんだね」
 昨夜、仕事の話になったときにレミが言った。金髪のおさげを指でくるくるしながら。
 なぜおまえがはにかむ。パートナーの有能さをのろけているつもりか。
 突っ込むべきところはそこじゃなく、襟足が長めだったプラチナブロンドを、キュッと小さく細いおさげにしていたところだろうけど。
 妹がやったに違いないし、首から下が筋肉ゴリラな以外は、英語の教科書に出てくるメアリーとかナンシーとかみたいだ。
 つまり変な話、意外と似合う。
 朝にはどこからか届いていたサトルの診断書と住民票をもって、庶務担当者に介護休暇の申請方法を確認してから上司に伝えた。
 先に上司に話せば、休暇制度にろくな知識もないのに、休ませたくない、面倒だからと突っぱねられる危険があった。
 実際、
「それってたしか、一週間しかとれない休暇だよね? 一ヶ月休むって、残りは欠勤になるよ。査定にも影響するけど大丈夫?」
 といい加減な話で凄んでくる。
 そう言えば私がひるんで、一週間に短縮するとでも思ったのだろうか。
 査定はともかく、制度上は一ヶ月余裕でとれるし、その間、給料が出ない点では欠勤と見た目は変わりない。休暇でも欠勤でも、上司の気持ちが楽になるほうで思い込んでたらいいじゃないか。
 休暇になる日数は総務に確認して申請します、とこたえておき、一ヶ月休暇の申請書を書き、提出し、仕事を片付けた。
 金曜日に申請して、月曜日から介護休暇なんて、普通は認められない。
 緊急やむをえないというなら、介護休暇を承認するまでのあいだは有給休暇を消費しろ、とくるかと想定していたものの、上司からの追撃はなかった。
 忙しい以外はわりと平和に仕事をこなし、時間をずらした昼休憩で、顔見知りの幹部秘書とたまたまエレベーターで乗り合わせた。
 むこうは客を案内していたから、会釈だけして、なんとなく様子を伺う。
 幹部の客ならそこそこ重要人物なのだろう。それにしても、無闇にへりくだっているように見えたのは、少したどたどしい英語のせいだろうか。
 客のほうは、わずかにフランス語訛りがある。上背もあり体格も良いから、まさかスーツで着痩せしたレミじゃねえだろなと盗み見た。
 レミではなかった。
 けど、目があった。
 慌てて目をふせて、足元にいたまっくろくろすけみたいなやつに、行け、蹴ってやれ、とけしかけてみる。
 相変わらず、海外の映像には異形が見切れたりしているものの、国内の動画やそこらで見かけるのは、まあ、まだ可愛げのあるレベルだ。
「ーーーー」
 客が小さく、おいマジか、みたいな意味のフランス語をつぶやいた。
 む、と顔をあげると、客がかけているメガネの黒いフレームに、ピンホールのような穴があいているのに気づいた。
 眼鏡兵器だ。じゃなくて、レミがもっていたブレイン・ポートだ。
 量産できないと聞いたけど、一個大隊の全員にもたせるほど大量には作れないという意味で、必要なら何人かには配っているのだろう。
 さすがに縮み上がって、先にエレベーターをおりた。
 幹部秘書が、じっと見送ってくるのを感じる。
 ドアが閉まる寸前、背中にむかって客が早口のフランス語で、休暇不承諾にされたいのか、と言ってきた。
 ごめんなさいごめんなさい。手回ししてくれてたんですねごめんなさい。
 つい調子にのってしまった。
 朝の通勤途中にいる爽やかカラス男子とは、私の思念がつくる触手で追いかけっこができるくらいの仲になった。前方不注意になって車にひかれそうなところを助けられまでした。
 ちょっと、なんかいろいろうまくやれるんじゃないか私? とテンションあがって無作法になっている。
 反省しながら帰宅すると姉が、ペッパーくんの連絡先を教えてくれた。
「契約書に正式にサインした者どうしは連絡をとりあうことが許可されるからな。気が合いそうだったろう」
 姉なりに気を使っているらしい。ペッパーくんではなくて、サントスだかメントスだか自己紹介もあったはずだけど、ドクター・ペッパーの缶が似合いすぎていた。
 いつもの私なら、連絡先を聞いたからといってすぐには連絡しない。できない。
 一週間どころか数ヶ月、半年、一年と、こちらから連絡してよいものか悩んで、最終的にはこんなに間があいてしまったからもうよそう、と自分に言い訳する。
 やっぱり、思いのほか新しい力が楽しくて、気が大きくなっているのだろう。
 これからよろしく、と簡素な挨拶だけでもまずは送って、家事をすませて風呂からあがると、返信があった。
 添付されていた画像を見て、思わずおかしな声でうめいてしまった。
 サトルが搭乗する予定で開発されたロボットの、量産型がプレスリリースされたという。
 もちろん、本来の目的はふせられているが、限定数受注生産するそうだ。
「ほぼ、ガンタンクじゃん……」
 うらやましい、と思ってしまった。

 おやすみなさい。


2023/10/21

 朝は普通に目が覚めた。どこへも連れ出されてない。
 スマホで確認すると、昨夜ペッパーくんが送ってくれた画像や動画はネット記事になってるものと同じで、たしかに普通にプレスリリースされた搭乗型ロボットだった。
 量産型だというし、なんの用途に使われるのか知らないけど。
 姉に見せたら、ああと頷いた。
「私専用のは、もっとスタイリッシュだ」
 と微笑む。
 これを妹が、朝食のピザトーストをかじりながら眩しそうに見ている。
 昨日、住民票をとったときにふと思い出したこと。
 妹のバイト先の店長さんの送別会のあと、「ああいうお父さんがよかった」と妹が泣いた。
 そういえば、書類上はサトルが、この姉が、父親なのだった。
 もしかしたらサトルは傷ついただろうかとか、クールに受け入れてるように見えて妹は、やっぱり普通の家族に引き取られたかっただろうかとか、チラッと考えたのだけど。
 妹の視線に気づいて微笑み返すサトルを見ていると、それはねえな、と思えた。
「専用のって?」
 計画のことは詳しく聞かされていない妹が、2枚めのトーストに手を伸ばしながらたずねる。
「新しい車椅子だ。すごく強い」
 嘘は言ってないんだろう。キッチンではかさばるレミが、卵を焼いている。
 会話に聞き耳をたてているのは、たくましい背中の筋肉から読み取れた。
 訓練のスケジュールを確認してから、コンビニに行くことにする。
 姉の好きなプリンを、むしょうに食べたくなった。
 コンビニのレジでは、なんだか久しぶりに思えるじいさんがうつらうつらと船をこいでいる。
 奥さん手作りのフレンチトーストが復活している。
 全部買い占めてしまいたい気分で、ふたつだけ取った。
 ハムチーズをはさんだフレンチトーストは、あまじょっぱいので私の好物だけど、姉と妹はそうでもない。レミはどうだか分からないから、食べさせてみよう。
 プリンは人数分、レジにもっていく。
 目をしょぼつかせながらお会計をするじいさんが、レジ横の募金箱を見て、それから私の顔を見た。
「あんがとね」
 ん、と財布をあけながら首をかしげる。妙にもじもじしながらじいさんが続けた。
「元気ンなったよ」
 奥さんのことだろう。まさか、店に来る客がすべて、じいさんと奥さんのために募金箱に金をつっこんでいったと思っているんだろうか。
 思っているかもしれない。
 私も、みんなつっこんでいっただろうと思う。
 あとになって考えると、店番をしていたおっさんが何か言ったのだろう。
 店から出ると、薄曇りの朝、風が少し冷たい。タバコが吸いたくなって、灰皿のそばで自販機の缶コーヒーを飲んだ。
 タバコは何年も前にやめた。
 小説なんかじゃ缶コーヒーでも、「芳醇な香りが鼻腔をくすぐり」とか書いてあるけど、そういうのはどうでもいい。私のお気に入りはマックスコーヒーだ。
 ガツンとくる甘さをちびちびすすっていると、カラスが駐車場に舞い降りた。
 ジグザグのコースどりで、こちらへ向かってくる。
 灰皿をはさんで隣に立ったカラスを横目で見た。
 くちばしから頭を、フードのように後ろへはねあげる。羽のあたりから電子タバコをとりだしてくわえた。
 瀬戸康史は兄です、と言われたら信じてしまいそうな甘い爽やかフェイスなものだから、
「タバコ、似合わねえー」
 感想がそのまま口から出た。
「うっせブス」
 色白の、くりくりお目々に罵られる。
 これでもまあ打ち解けた気がするものの、海のむこうからやってくる百鬼夜行のことを聞くのは憚られた。
 コンビニのじいさんや奥さんのうわさ話をカラスから聞いて、プリンがぬるくなる前に帰る。
 訓練の話は、ここに書いていいのかまだ分からない。
 夕食のときに妹が、修学旅行の班決めに文句を言っていた。それでも行けば楽しいんだろうけど、と口を尖らせている。
 行っておいで。楽しんでおいで。お土産の木刀って、先生にダメって言われるかもな。そのときはいいから。生八ツ橋でいいから。
 来月、日常が守れたら、姉2はそれでいいから。

 おやすみなさい。


2023/10/22

 身体能力を期待されていないおかげか、訓練はオンラインで始まった。
 詳細は書けない。
 アカバンされたくないから、多分これくらいは平気だろうって話にとどめておく。
 鏡を使った訓練で、ひとつ気づいたことがある。
 この家で、黒髪はマイノリティだ。
 妹は青髪。修学旅行前に黒くするかどうかで悩んでいるらしい。
 姉はブリーチしていて金髪。
 姉のパートナーであるレミは、地毛でプラチナブロンド。
 この家にはいないけど、一緒に戦うことになるであろうペッパーくんは赤毛だ。
 そういえばあのカラス男子は、わりと明るい栗色の髪だった。
 それでしょんぼりしたわけではないけれど、いささかキャラの弱さを自覚して、訓練の合間にペッパーくんに少し愚痴った。
「黒髪もありでしょ」
 そりゃあ、なしじゃないけど。
「日本人の髪ってみんな、ピンクとか緑とか水色とかで、黒髪もいるってだけじゃないの?」
 本気で言ってるのかどうか、モニターごしの、今日もドクター・ペッパーを飲んでいる顔からは伺えない。
「オタク脳め」
 マイクミュートせずにつぶやくと、ペッパーくんは歯の矯正装置が見えるほど大きく笑った。

 おやすみなさい。


2023/10/23

 今日から仕事は休み。
 オンラインで行う訓練は、指定された時間外でも申請がとおれば自主トレできた。
 けども、まずはゴミ捨てだ。
 カラス避けの網をめくってゴミ袋を放り込む。
 バサリとカラスが舞い降りてきた。
 見ると、三本目の足がある。エッチな意味じゃなく。
 私と目が合うと、離陸した飛行機のタイヤのように、三本目は腹の下に隠れた。
「おはよう」
 一応は挨拶する。あの瀬戸康史似のカラスのはずだ。
 セトくんと呼ぶつもりだったけど、どこかにそんな神様がいたような気がするので不適切かもしれない。ヤタ様と呼ぶべきだろうか。
 迷いながら見ていて気づいた。
 妙に毛艶が良い。玉虫色に輝いている。セレブなおうちの飼い猫みたいだ。
「気づいたか」
 得意そうに、羽根をひろげた。くちばしの下あたりには、あの可愛いくりくりおめめがのぞいている。
「キレイだね」
 素直にそういうと、まるい胸をぐうっとそらしてみせた。
「海のむこうから、金髪美女が大挙して押し寄せてくると聞いたからな」
 令和のコンプライアンス的に「金髪美女」ってどうだろうと首をかしげる。八百万の神様的には、ルッキズムは関係ないだろうか。
 いや、それよりも。
「海の向こうから?」
 それは、日本以外で具現化した、「八百万の神々」と名付けられた百鬼夜行のことではないでしょうか。
 息苦しくなる。細く息を吸って、言葉を選んだ。
「あのう、そういう、噂が? その、ほら、八百万の神々ネットワークみたいなもので」
 着実にこちらへむかっている異形の群れが、国内にすでに存在しているかれらと、どういう関係にあるのかはまるで分かっていない。
 合流して、ともにこの国をほろぼす勢いなのかもしれない。実は敵対していて、そうだとしたら、ラグナロクがはじまるのかもしれない。
 ベルセルクとゲゲゲの鬼太郎では、勝てる気がしないといったら失礼だろうか。
 まさか、信じる力とか愛の力が勝利条件だったりするだろうか。
 まだ元気玉のほうがいいんだけど。
「いまはどこにでもアマビコの目があるからな。いくらか渡せば《《サブスク》》ってやつでいつでも奴の目を借りられる」
 得意そうにバサリバサリと羽をふってみせながら、ヤタ様がつけくわえた。
「当然おまえたちも知っている、疫病の神のストーカーだ。まだとっ捕まえていないようだが」
 返す言葉が見つからない。目をそらした先、ゴミ収集所のブロック塀に、近所の誰かが貼ったのだろうポスターがある。
 ゴミ収集のひとへの感謝の言葉と、ピンクと水色に塗られた、アマビエ様の絵。くつくつと笑う声。
「昔のおまえたちは、もう少しものが分かっていたぞ」
 陰がさして暗くなる。いつの間にか、カラスは私を見下ろすほどに大きくふくれあがっていた。
 ひろげた羽の裏側は、吸い込まれそうなほどひたすら黒い。セトくんと呼びたいかわいい顔はくちばしの下に隠れて、大きく開いたくちばしの中もまた黒く、舌まで黒いのが見えた。
 見上げると、羽と、朝の空との境界あたりが、黄金色に光っている。
 すくみあがって動けないのに、それはやっぱり、
「ーーきれい」
 墨の匂いがして、闇につつまれた。


2023/10/24

「ーーギャップ萌えと似た概念で、ギャップで油断、みたいなのなかった?」
「それは、ただの油断だ」
 ですね。
 姉の返事に安心して、目だけ開いて周囲を伺う。
 どこかの検査室のような狭い部屋だ。ベッドも検査用の、身幅くらいしかないやつ。
 実は小一時間ほど前から、意識はとっくに戻っていた。
 意識が戻った、とバレてもよい状況かどうか確信がもてるまで狸寝入りしていたなんていったら、厨二病だオタク脳だと笑うだろうか。いや、笑うまい。反語。
 なにかのモニターや検査機器を隅に押しやって、かさばる筋肉のレミが座っている。その膝に、姉がいた。
 車椅子では入れなかったのだろう。さてはユニバーサルデザインじゃねえな。
 服は、朝にゴミ出しのため外へ出たときの部屋着のままだった。検査着などではなく。
 ヤタ様に、ゴミだめに放り捨てられたとばかり思ったから、たいして汚れが増えていないことに驚いた。
「玄関前に寝かされていたよ。物音がしたから外をのぞいたら、大きなカラスがインターフォンを押しているところだった」
 妹が不用意にドアをあけ、ころがっていた私にぶつけたらしい。記憶にはないけど、めくってみると腰骨のあたりが青あざになっている。
「説明できるか?」
 姉が腕の力だけでベッドに移動した。こんなときだけど、私も許されるならレミのように、姉を膝に抱いてみたいものだとふと思う。いい匂いするんだもん、こいつ。
 漆黒の闇に抱かれて眠れーーなんて厨二病そのものなシチュエーションを思い出す。ヤタ様の逆鱗に触れた、そういうものではなかった。
 ただの戯れだ。神と戯れることが可能だと、思い上がった人間をからかう、神様ジョークだ。こうして目が覚めたから、ジョークだなんて思えるのだけど。
「どうした。カラスにさらわれたのかどうかも覚えていないか?」
「あのカラス……瀬戸くんに似てて……テニプリは知らんけど、仮面ライダーの前から結構ファンだったから……」
 警戒を怠った、私なりの理由を話したつもりだった。
 姉がレミへ、くいっと顎で合図する。頷いたレミが、医療器具がのせてあるらしいワゴンを引き寄せ、注射器を手にとった。
「待って待って正気だから。てゆか何それ、中身なに?」
「それはトウコの状態しだいで調合する」
「いりませんいりません、要するに昔ファンだった子に似てたから深く考えずに気を許してしまいましたということなんですごめんなさいごめんなさい!」
 人間、動揺すると無駄に二度繰り返してしまうらしい。
 姉が、説明できるかと聞いたのは、昨日の朝にゴミ出しに外へ出て、今日の朝までどうしていたのか、という話だった。
 しばらく気絶していた、くらいのことではなかった。
 丸一日、意識がなかったことになる。
 ヤタ様がインターフォンをわざわざ押したということは、どこかへ放り出すのでなく、確実に保護される方法で置いてくれたということだ。
 かどわかされたのだろうが、何のために?
 脳波も含めて異常がないことを確認してから帰宅したが、本当に、なにも異常はないのだろうか。
 どこでどうつながっているのか、オンライン訓練のときには、昨日の朝から行方不明になっていた一件をペッパーくんも知っていた。インターバルのときに、からかってくる。
「本当に、キミなの?」
 悲しいことに、FFⅩ-2のユウナのモノマネだと分かってしまった。渋々「そうだよ、シューインさ」と応じる。それから倖田來未の歌を同時にワンフレーズ歌った。
 ドクター・ペッパーが飛び散るほど、手を叩いて喜ばれてしまう。まず缶を置けよ。
「いいねえキミ! このプロジェクトが終わっても生きてたら、結婚しない?」
「ド派手な死亡フラグ立てないでくださいよ、縁起でもない」
 C-3POみたいな顔しやがって、とは言わない。C-3POだって、まあまあかわいいものだ。R2-D2のほうがかわいいけど。
「冗談はさておき、マジでなにも覚えてないの?」
「なにも覚えてないけど、ああ、でも意識がなくなる直前に、思い出したことはあって……」
 報告することではないと思ったから、姉にもレミにも話していない。
 ーー昔のおまえたちは、もう少しものがわかっていた……
 嘲るように笑った。あれは、神々を畏れるよりも、加護を期待するのが主になった人間のことを笑っていた。
 昔はそうではなかった、なんて覚えているのは、やはりなにかされたのだろうか。
「そもそも神々は、人間を愛してなどいないってことーー」
 気まぐれに、なにかのひょうしに、愛することはあっても。
 神々は、正しく祀らなければならない。
 ご利益を得るためではなくて、災いを遠ざけるためーー
 言葉を選んでいるうち、インターバルの時間が終わる。
 モニターが16分割されて、訓練が始まる。画面のひとつひとつに、契約書にサインした奇特な人間たちがいる。
(あれ?)
 一見して日本人という顔は、私だけだ。
 オタクの念能力がどうこうと言っていたわりに、この比率はおかしい。どうしてこれまで、なんとも思わなかったのだろう。
 画面のいくつかには、誰も映っていない。欠席か空席か、カメラにうつりたくないだけか。
 そのひとつに、なにかが映った。たまたま注視していなければ見過ごしたかもしれない。
 象の鼻をもつ美丈夫が、カメラ目線でゆうゆうと通り過ぎる。
 続いて、青い肌をした美女が、派手に飾り立てた二対の腕を優雅にゆらし、後を追うように横切っていった。
 私はバーフバリしか観てない。RRRのイベントをやっているのでなければ、あれは日本の神々ではない。
 最初に百鬼夜行を連想したし、日本へ向かっているというから、当局とやらが八百万の神々と名付けたのも一理はあるかと思っていた。
 あれはーー
「ーー痛っ」
 眉間にあずきバーを突き刺される痛みが走った。まぶたの裏が臙脂色に染まる。
 集中低下を示すアラートが点滅していた。
 通り過ぎていった、私から見て異国の神々は、もう現れなかった。
 訓練の終わりには、レゴブロックを踏んづけた顔のエディ・マーフィーから一言ある。ガネーシャを見たかと聞くつもりだったけど、あずきバーの件も聞かねばなるまい。
 そのつもりだったのに。
 この日、レゴブロックを踏んだ顔は現れず、誰も踊る神々のことを話さなかった。
 妙な空気を残して訓練は終わり、なにもわからないまま、今日が終わる。

 おやすみなさい。


2023/10/25

 週明けから喉の痛みを訴えていた妹の、咳がひどくなってきたから、私が病院に付き添った。
 こんなとき「普通のご家庭」なら、高校生の娘はひとりで通院させるものか、まだ扶養されている身なのだからと年長者が付きそうものなのか。
 普通のご家庭を知らないから、ちょっと迷う。
 発熱はしていないからと、インフルエンザの検査もなく、処方箋を出してもらった。
 薬の在庫がないからよその薬局へ行ってくれと言われ、薬局をハシゴすることになった。
 三軒目でようやく、ジェネリックならなんとか用意できる、となった。
 なにかが変な感じだ。
 病院へ行く途中も、薬局からの帰り道も、消防車や救急車を何台も見た。
 妹がいるからか、見上げた空にヤタ様の姿はない。
 顔をあわせたらどんな態度をとればいいのかわからないから、それは好都合ではあったけど。
 そんなことを考えていたからだろうか。
 玄関先、入る前に癖で、振り返り周囲を見回したら、ヤタ様が舞い降りてきた。
 うわあと変な声が出る。
 先に中へ入っていた妹が、咳をしながら出てこようとしたのを押し留めた。
 薬、飲んじゃいなさい、と白い袋を押し付ける。
 えーダルいといいながら妹は、おとなしく中へ引っ込んだ。
 何事もなかったように、ヤタ様は翼をひろげてみせている。
「ーーキレイですね」
 それは素直にそう思えるので、そのまま口にした。こころなしか、くちばしの付け根のあたりから鼻息がもれたように見えた。
「おまえは、大事ないか?」
 これもこころなしか、優しげなようだ。ひとさらいをしておいてよく言う。
 病院へ行く前におさらいしていた、世界の百鬼夜行の現在地点を思い出す。
 観測された限りのルートは、台風のように予想をはずれるところはあっても、疑いなくこの島国を中心点としている。世界地図に描かれた、不格好で、まだ完成していない集中線だ。
 あれを見ても、「大事ない」といえるかどうかはさておいて、私自身は咳もしてない。寝不足のダルさも解消していた。
「まあ、はい」
 そういえば、気絶は睡眠ではないのだから、それで疲労回復することはないと聞いたことがある。
 案外、意識のなかったあいだは、かわいいカラスの七つの子と一緒にまどろんでいたのじゃなかろうか。意識を失う寸前、あのキレイな羽の、絹に似た感触にふれたことを思い出す。
 結局のところ、敵なのか味方なのか、そういう概念など超越しているのか、それを確認できるのか、確認できたら何になるのか、ぐるぐる考えながらじっと黒く輝く瞳を見つめた。
 開いたくちばしが、笑ったようだった。
「おまえは目立ちすぎる」
「ご冗談を」
 会社じゃ、いるのかいないのかわからない存在だ。世間的に三姉妹ということにしているこの家でも、金髪の姉と青髪の妹にはさまれて、私のことはご近所がどれだけ認識しているだろうか。
「とりあえず、その触手を出したり引っ込めたり、振り回したりするのはよせ」
 瀬戸くん似の顔を出して言われたら、ハイ、と両手を胸の前に組み合わせて頷いただろうけど。
 羽の美しさのぶん迫力のある大鴉に言われたら、ケッと吐き捨てるか膝をついてひれ伏すか、二択が頭に浮かんでしまう。
 忠告するなら、まずは一日さらっておいて、何をしたのかくらい話してくれても。
「振り回してます?」
 うまくできてるかわからなくて、出したり引っ込めたりしている自覚はあったけど。
 可視化はできていない。というより「触手」というと、エロいマンガで見かける紫とか青緑とか、あまり気持ちの良くない色ばかり連想してしまって、もう少しなにか無難な、白あたりで固定できてから可視化したかった。
「いまはとぐろを巻いて、家を取り囲んでいる」
 それは、気まずい。
 ヤタ様の姿を見たとき、とっさに、家の中にいるはずの姉やレミ、それに妹を守ったほうがよいのではと迷った。
「でかいソフトクリームになっているぞ」
「食べないでくださいね」
 また、笑うようにくちばしが開く。
「最近は、猫カフェとやらに行っていないな」
 いつから私を監視していたのだろうか。たしかにここしばらく、姉にも妹にもねだられていない。
「面白いやつに会えるかもしれんぞ」
 そんなこと言われたら、尾が裂けてるやつしか思い浮かばない。
「ああ、そういうやつだ」
 家をぐるりと守るソフトクリームの先っちょが、二又に分かれたのを羽で指す。相当強力らしいのは、ほかの訓練しているひとたちと比較して分かったものの、思ったものがそのまま影響するから、コントロールできないのは非常にマズイ。
 アジア系の女性に対して侮辱的な発言をしたやつの、モニターが吹っ飛んで壊れたのは私のせいだとされていた。身に覚えはないけど否めない。
 ヤタ様が飛び立ったあと、振り向いて家を守るつもりの触手を「見」る。
 ソフトクリームといってくれたのは良かった。
 むこうが透けて見えつつも、白でイメージが固定した。
 振り回したり、しただろうか?
 頭に浮かんだのは、ゴールデンカムイで人間の皮をかぶったやつ。すぐに、ナウシカが蟲笛を飛ばすシーンで上書きすると、なにかが飛んでいくのが見えた。
 そういえば姉の戦闘用の車椅子とやらを見せてもらったら、やはりちょっとしたガンタンクだった。ドローンを背負って飛べたりしないかと、そっちの技術員に相談しているのを、レミが複雑な表情で聞いていた。
 戦闘力的には、姉を飛ばすより地上戦のほうが活かせるんじゃないかな。
 訓練の時間までまだ少しある。
 相変わらず訓練内容は、公開可能な情報には含まれないことになっていた。
 公開したら、案外戦闘可能な要員が増えるかもしれないのに。今からじゃ間に合わないということだろうか。
 食事の下ごしらえを済ませたら、少し仮眠を取っておこう。

 おやすみなさい。


2023/10/26

 9月27日にこの日記をはじめたから、民法なら今日で一ヶ月となる。はず。
 民法、履修はしたけど成績はいまいちだった。
 先生に報告したくて煙とパイプ亭をのぞく。
 双子がキャッキャと元気にころげまわっている。客の中に先生の姿はなかった。
 陛下がお出ましになっているなら、オリーおばさんだって何か言いそうなものだし、まさかノスフェラスだろうか。
 沿海州という可能性もないではない。でも、カメロン提督が殺されて以来、あそこへはどうも寄り付きたくない私だ。
 試しに広場で、NPCぽいひとに話しかけてみる。
「それなら星船じゃねえと行けねえって噂だぜ」
 星船を噂する村人がいることに驚きだが、要するに現時点では行けないということだろう。ゲームなら、なにかイベントを消化しなくてはいけない。
 それとも、ここで私の能力とやらが使えるだろうか。
 数秒考えて、空を見上げてため息をつく。
 ここにはヤタ様らしき鳥影はない。
 触手は、出そうと思えば出るだろうか。黒魔道師のグラッチに見つかってしまいそうだ。
 見上げた空の一部が、パチパチと毛羽立つ静電気のような、妙な変化を見せているのに気づいた。
 遠くを旋回する鳥の群れの羽ばたきに似ている。
 薄気味悪く感じるのは、それが無数の目の瞬きを連想させるからだ。
 かぶりをふって、街に目をもどす。
 さっきから違和感があるのは、動き回る姿が全部、NPCのようだからかもしれない。
 意味もなく右往左往して、たまにほかの誰かとぶつかると、気をつけろ、とか、場違いな天気の話などをして、何事もなかったように離れていく。
 子供の頃、鏡の中の自分を油断させ、よそに気を取られたふりをしてから、パッと視線を戻すなんてこと、誰でもやったことがあると思う。
 空を見た。
 パチンと閉じた空の裂け目の向こう、たしかに見た。
 歴史か文学史の便覧に載っている顔。
 テストで、タネアツかアツタネかどうしても思い出せなくて、マイナスされたから覚えている。どっちだったかは覚えていない。
 本居宣長に心酔していたと何かで読んだから、腹いせにカップリングしてBLのSS小説を書いてやった。腹いせとはいっても、秋田を出奔したという経歴に共感したからであって、かつてのナマモノであろうと考え、ドギツイ描写は入れていない。プラトニックだったんじゃないかな。文芸部でまわし読みにした。
 まさかそれで恨まれているということはあるまい。たぶん。
 閉じた空にしばらく目を凝らしていたら、思い出した。
 日本は霊気で満ち満ちている。この世の生を終えた魂もすべて、この地を去らず、近しく、生者とともに存在しているのだ……とか、そんなことがどこかに書かれていなかっただろうか。
 あたりを見回した。
 先生の姿は、やはり見当たらない。
 百鬼夜行は、どこから来るのだろう。
 オタクコンテンツが思念の力を得て具現化したのだ、とかなんとかいう仮説を鵜呑みにしていた。というより、そこを疑って、なにか対策のとりようがあるとは思えなかったから、疑う労力をケチった。
 八百万の神々だって、かつてこの国にいきていた魂ではないのか?
 熱いものを飲み込んだように、火傷で肝を冷やすように、混乱した感覚につらぬかれた。
 ゾンビーランドはまっぴらごめんだ。
 でも、あるべき姿で具現化するというなら?
 思慕したひと、今も敬愛するひと、会いたいと願ってかなわないまま見送ったひと。
 姿かたちを伴って、戻ってくるというなら。
 百鬼夜行の、可能性。
 弾き飛ばされるように、夜の窓辺に私はいた。
 月がきれいだ。
 訓練には、一部TMS治療を応用したものが使われているということが、公開可能な情報に加わっていた。

 おやすみなさい。


2023/10/27

 TMS治療の応用が、なぜ公開可能な情報になったのか。
「実戦に使えることが、だいたい証明されたからだよ」
 今日もドクターペッパー片手に、赤毛のサムソンが教えてくれた。
 ずっとペッパーくんと心で呼んでいたけど、オンライン訓練の16分割画面に名前が表示されるようになった。
 もっとも、それが本名とは限らないらしい。
「52号も、戻ってきたしね」
 私からは右の隅にうつっているのが、「52号」という名前になっていた。
 そういえば昨日はいなかった気がする。
 ペッパーくんが(やっぱりこの方が呼びやすい)52号に接触したらしい。
 シミュレーションの最中だった52号が、肩をゆすってなにかこたえている。
 その目つきが、気にかかった。
 異様に、澄んでいる。
 海江田艦長みたいだ。
 私には声は聞こえていないけど、最高だよとかなんとか言っている気がした。
 52号とのやりとりを切り上げて、ペッパーくんがこちらに音声を戻す。
「能力を底上げさせることに成功したらしい。ああ、僕やキミ、あともう一人の三人は対象外。三人で、集まったメンバーの出力8割方は出せる、いわば上澄みだから。賭けに出るか温存かで、後者をとったってわけだ」
「ヘタにいじってダメになったらって?」
 なんとなく目だけ動かして、モニターにうつるほかの面々を伺う。
 契約書にサインしたという段階では、16分割はすべて埋まっていた。
 途中、誰も映っていなかったりもしたが、同時刻に訓練している必要もないのだろうと気にもとめていなかった。
 なにしろ、このモニターに集っているのは、基本、後衛だと聞いている。後方からの援護射撃。
 作戦当日だって、顔を合わせることはないかもしれない。
 いま、モニターには空白の箇所はいくつかあっても、こちらを向いている顔の目は、不穏なほど光っているように見えた。対になったピンホールカメラが、いくつもならんでいるみたいだ。
 私を見ているわけではないと、分かっていても、首に両手をかけられている心地がした。
 ドクター・ペッパーの臙脂色だけを見て、聞いてみる。
「平田……あれ、アツだっけタネだっけ……あの、仙境異聞とか、読んだことある?」
「ヒラ……なに?」
「天狗小僧とか」
「坂東眞砂子?」
「えっ、天狗小僧でなにか書いてる? ホラー読まないからノーマーク」
 ペッパーくんはジャパニーズ・ホラーにも造詣が深い(と自分で言った)。つまり、死亡フラグを回避してもこいつと結婚はまっぴらだ。リングシリーズはSFだからギリ読めた私には、絶対無理。
 ジャパニーズ・グラチウスっぽい登場をした国学者のことを話すのは諦めた。話したところで、仮説とよべるほどには考えがまとまっていない。
 訓練の終わりには、レゴを踏んづけたエディ・マーフィーみたいな軍服が現れて、熱のこもった演説をした。いつもあんまりいかめしい顔をしてるから、どうしても愛称をつける気になれない。レゴ踏んマーフィーとか。
 モニターに、3D映像で地球儀があらわれ、ゆっくりと回転する。
 世界各地で発生した、一般には目に見えない百鬼夜行が点で表示され、極東の島国へと進行していく様子が再現された。
 進行速度は様々だ。海中に潜ったあたりは、推定進路として点滅する線で表されている。
 そういえば、ハロウィンが「Xデー」であるとは、公式には聞いていないはずだ。
 ただ、性質上、それっぽいなと連想していただけ。
 そうではあったけど、こうして動いていく様子を見せられると、だいたいあと何日であのへんに到達するからやっぱりそう、と目算できてしまう。
 今年は例の自治体が、ハロウィンのイベント会場ではない、と広告を出した。
 当局から通達でもあったのか、関係があるかどうかはさておき、なにが起きるか例年以上に予測がつかない。
 ーーこの世界線には五条悟がいないからなあ。
 演説は続いていたので、テキストチャットでペッパーくんがぼやく。
 ーーコミックス派?
 ーーアニメ派。
 ーー私、本誌派。ジャンプ毎週買ってる。
 返信に、やや間があった。
 ーーネタバレは、国際犯罪だ。
 しませんよ、と呟いてモニターに視線を戻す。
 百鬼夜行の進路上にあった湖が、一夜で干上がったという画像が映っていた。
 上流の河には変化がなかったため、干上がったといっても、水位が一時的に下がったようにしか見えず、ニュースにもなっていないとか。
 そのかわり、ずっと離れた場所の田舎町で、空から大量にフナが降ってきたというのがSNSの一部で話題になったそうだ。
 ハロウィンで集まったひとびとをーー外国の、霊魂がかえってくるというお祭りを祝うひとびとを、吸い上げてどこかへ飛ばしてしまうのだろうか、当局のいう八百万の神々は。
 もしも昨日見た平田氏(下の名前はあとで検索する)が黒幕なら、やりたいことは、そうではない気がする。
 神々も霊魂も、この地で折り重なり抱きしめあうように生きていくのを、夢見ていそうだ。
 いったい何から何を守ろうというのか、私は最初から分かっていない。
 ただ来月、妹が無事に修学旅行へ行って、楽しんで帰ってこれる、日常を守りたい。

 おやすみなさい。
 良い夢を。


2023/10/28

 ハロウィンまであと数日というところで、当局から健康診断を命じられた。
 なんとなくイヤな感じで、ペッパーくんに連絡してみる。
 私とは違い意外にコミュ強なペッパーくん情報によると、TMSを受けなかった3人だけでなく、全員が対象ではあるらしい。
 それはカムフラージュで、やっぱり全員TMSを施そうという魂胆かもしれないけれど。
 昨日見た、いくつもの、禅僧のように澄んだ目を思い出す。禅僧、リアルで見たことないけど。
 大沢たかおの海江田艦長は、明日劇場公開だ。観る余裕はあるだろうか。
 血を抜かれ、エコーやMRIを受けて、結果、いくつか良性の腫瘤が見つかったという。要経過観察、という紙をもらった。
 百鬼夜行が終熄したら、もう一度経過を見ようということだろうか。八百万の神が人体におよぼす影響?
 当局がやったことはもうひとつ。
 探していた私の母親が見つかったそうだ。
 私は頼んだ覚えはないし、今更なにをするのかと思ったら、妹のことを頼むためだった。
 生き延びる気、満々だったせいで、マオの修学旅行の支度のことは気にかけても、万が一ーー万が一のことは、頭になかった。
 話はファミレスでレミから、事後報告となったことを詫びながら聞かされた。
 姉も妹も同席している。
 いつもは姉をうっとり眺める向かいに座っていた妹だけど、先日隣りに座ったとき、それも悪くないことに気づいたのかもしれない。
 良い匂いするし。
 それか姉の介助を、レミと奪いあっているのか。
 おかげで私の向かいに三人、車椅子の姉をはさんでレミと妹ーーややこしい話し合いがもたれてるようにしか見えない絵面になった。
 母のところへは、ここでもレミが、戸籍上の私の夫ということになって、養子にしたマオのことを頼むと頭を下げにいったという。
 娘である私の養子ということは、まあ孫にあたるのだろうけど。若いうちに私を生んだ母親にしてみれば、遅くに生んだ娘くらいの年の差ではある。
 チキンレースで死ぬタイプの母は、ゴスロリが戦闘服であるマオのことを、めちゃくちゃ気にいるか、無関心で、一時的な養育であれ断るか、どっちかだったろうと予想した。
 母は、マオのゴスロリ姿を一目で気に入り、可愛い可愛いとはしゃぎ、それからレミに向かって言ったそうだ。
 ーーあのひとの子ね。
 これは想定していなかった。
 今は彼氏もいない、一人暮らしというのも意外だったけど。
 ーーこの子と、私の娘の藤子は似てないわ。けど、どちらもあのひとに似てる。ーーなんて面白いの!?
 グッとガッツポーズをとって口角をあげるところは、トウコにそっくりだったとレミが言う。
 そんなクセ、私にありましたっけ。
 肝心のマオ自身はどうかというと、満更でもない顔をしている。
 ただ修学旅行には行けるのか、学校やバイト先まで変わるのかということが心配で、そこは近隣に母とマオが暮らすための家を当局が用意したそうだ。
 母はいまは在宅で翻訳の仕事をしているそうで、ネット環境とPCと、資料を置けるスペースを欲しがった。
 私と姉は、レミの仕事を手伝って、10月31日から数日、家をあけるということになっている。
 三人とも、未成年の子を置いて都内へハロウィンパーティーに繰り出すと疑われるタイプではなくて良かった。
 姉はエアガン打ちまくってゾンビ狩りしていいなら行きたいとか言い出すタイプだけど。
 ファミレスのトイレで、あまり好きではない自分の顔を鏡の中に覗き込んだ。
 目は、澄んでいるとは言い難い。寝不足で疲れている。
 とはいえTMSの効果は、即座に現れるものでもないらしい。ひとの心が聴こえたらとかなんとかいう本で読んだ。
 MRIのときに、やっぱりなにかされたんじゃないかと当局を疑っている。
 久しぶりに母親の消息を聞いたというのに、そのことはたちまち忘れかけていることに気づいて、ちょっと笑う。あのひとはなにしろ生命力が強いから、マオも大丈夫だろう。
 鏡にうつる私の背後に、そのときひとかげがあらわれた。
 この時代にはありえない、コスプレでもあまり見かけない装束。
 テストで書けなかった、平田篤胤の文字が頭のなかでネオンサインになる。
 シンプルに悲鳴をあげるべきだ。それなのに私の喉は、同時に浮かんだ選択肢のいくつかで迷っておかしな嗄れ声をもらす。
 天狗小僧なら、オレのとなりで寝てるよ? ダメだ○される。
 本居宣長とのBL書いてごめんなさいでも薄い本にしてないしノートに書いただけだし……ダメだ○される。
 ここは女子トイレですよ? 通用すんのかそれ。
 横顔を見せていた影が、ゆっくりこちらを向く。
 ドールの魔導師グラチウスの顔を想像していたのに。
 トパーズ色の目が、私を見た。
 グイン陛下。
 私はトイレの床に膝をついていた。


2023/10/29

 意識がもどったときは、もう夕方だった。
 一度目が覚めたとき、マオの制服にアイロンをかけなくちゃとか、うわ言のように言ったらしい。
 レミはマオのアイロンがけを手伝い、姉は当局に、やっぱり健康診断と偽ってなにかしたのかと探っていたそうだ。
 現状、TMSを使って今回の作戦に有利になるよう脳をいじるには、慎重に部位を選択する必要がある。以前にもMRIを受けたことのある私に、不審がられないよう騙して行うのは、不可能だったろう。
 ファミレスのトイレで意識を失う前に見たものを思い出す。
 渾身のコスプレだったろうか。
 それとも、邪魔をするなと、警告だろうか。
 百鬼夜行が実現したとき、この国がどうなるかをあらかじめ見せたのだろうか。
 押し寄せてくる異形の群れは、海面下に潜っているものもあれば、海上を移動してくるものもある。
 八百万の、と呼ばれるほどには、もはや日本固有っぽさを残していない。そう思いたいところだけど、多くが日本のアニメやゲーム、マンガが供給してきたイメージの群れだというのは否めない。
 ピンクのユニコーンだって存在してると言ったのは、『世界は存在しない』の作者だったっけ。
 ひとびとが夢想したあらゆる存在が、この国で形を成してハロウィン・パーティーするとして、そのとき起こるのは、現実との対消滅か。
「……ちょっと何言ってるか分からない」
 天井をあおいで、暴走する思考を一時停止した。
 モニターの前で、当局のお出ましを待っている。当日の配置を説明するーーブリーフィングっていうらしいーーそうで、姉とレミもいた。
 ペッパーくんが耳ざとく、というかミュートにしない私が悪いのだけど、
「ありのまま、今起こったことを話すぜ?」
 とポルナレフのセリフをひいてきた。
「……たしかに、何を言ってるかわからねーと思うし、私もなにをされたかわからなかったけども」
 そもそも、バナナマンだ。日本のお笑いには詳しくないのだろう。
 昨日からのは気絶だったのか途中から睡眠だったのか、寝すぎたときのような頭痛にまだ悩まされながら、目頭をもんだ。
「ペッパーくんはさ」
 言ってから、しまったと思ったが、そのまま続ける。
「どうして、この作戦に参加することになったの」
 ペッパーくんが、一拍置いて、いつもひろゆきの動画みたいに斜めの角度から、まっすぐ正面を向いてきた。
「ベルセルク、好きなんだよね」
 一瞬で、頭の中に警報が鳴り響いた。
 オンラインでもそれは伝わったらしい。違う違うとドクター・ペッパーの缶を左右に振る。
「トウコにも、あれはベルセルクに見えた? あれが具現化して日本に向かってると聞かされたときーー」
 そこからは、ペッパーくんはオタクらしく饒舌になった。
 ざっくりまとめると、物語の続きが繰り広げられるという推測は、最初、かれを高揚感でいっぱいにしたけれど、そんな形の終わりを、見届けたいだろうかという自問自答が始まり、
「なんか違う、って思ったし、それに日本消滅しちゃったら、供給が断たれちゃうコンテンツもいっぱいあるし?」
「消滅しなかったら?」
 この国が、死者さえよみがえらせる、あらゆる夢想と妄想のバーチャル空間になったら。
 その代償として、いま現実に存在しているものが消滅するとしたら。
 夢想も妄想も、この国の専売特許なんかじゃない。
 供給が断たれるわけじゃない。
 ペッパーくんがなにか言いかけたとき、ブリーフィングが始まった。
 薄々そうだろうと思っていたことだけど、集まってくる百鬼夜行は、海岸線から上陸するわけではない。この国の瘴気(姉が瘴気って訳した)に触れると、ある一点に吸い寄せられる。ひとが最も集まり、異形の妄想にふけっている場所に。
「もしかして」
 さすがにミュートにして、姉とレミを振り返って聞いた。
「ハロウィンの日に集まらないでって、当局としては、集まってもらわないと困ったりするやつ?」
 分散したら、百鬼夜行も分散して、作戦が機能しなくなるのでは。
「当局は静観だ。カリギュラ効果で、むしろ集まるだろうと予測している」
 私は黙ってブリーフィングに意識を戻した。
 これは、公開可能な情報だったろうか。
 そうであってもなくても、どうせあと2日のことだ。

 おやすみなさい。


2023/10/30

 明け方に、父親の夢を見た。
 なぜか同じ職場で働いていて、おまえもこっちに来ちまったかと笑った。
職場は戦場だった。
 ほとんど記憶にない父親の顔は、母と違ってチキンレースで死にそうなタイプではなかった。
 目が覚めたらもう昼で、レミが昼食を作ってくれた。
 ここしばらく、妹の世話も姉の介助も、かなりの部分をレミが負担している。
 私の時間が訓練でとられているとはいえ、そのために仕事を休んでいるのだから、申し訳なくないこともない。
 麺がモチモチした焼きそばをかきこみながら、今更なことを聞いてみる。
「君たちのお父さんにはじめて会ったのは、僕がまだ一介の民俗学者ときのことで、フィールドワークの最中だったよ」
 では、傭兵になったのは父の影響なのか。
「いや、傭兵はもともと趣味が高じて副業的にやっていたのだけど、いまは民俗学のほうが副業」
 よく知らない世界のことだから、そんなこと有り得るのかと突っ込むのはひかえた。そのくらいの慎ましさはまだ残っている。
「この計画に乗ることになったのも、僕のそういう経歴が役に立つからだろうね」
 ついこの間までは、そう言われてもピンとこなかっただろう。
 今は、言語化はできないけれど、どこかでつながるものがあることを感じ取れる。
 この国なのだ。言祝ことほぎわざわいも。
 空気という形のないもので簡単に右往左往する。
 だからここへ集まる。
 空気があるから。
 かれらが呼吸できる空気が、ここにはあるから。
 麦茶をおかわりして、モニターの前に座った。
 16分割のほとんどは、移動中らしく黒いままだ。
 今日から北海道、青森、九州に配置されるという。
 最大出力を得るには、最低限それくらい近くには置いておきたいらしい。
 おそらくはこれで最後になるシミュレーションを、数時間こなした。首の後ろをもんで、大きく伸びをする。
「ーー渋谷で一番高い建物ってどれだっけ」
 こたえてくれるペッパーくんもいまはいないが、ついひとりごちた。
 そこからなら、ガンタンクに乗った姉を見ることができるかもしれない。
「そりゃあ、伏黒のパパが召喚されたとこでしょ」
 そっくり返っていたゲーミングチェアから跳ね起きる。
 海外勢は全員、日本へ移動中のはずだ。そう思って、モニターのなかに探しもしなかった。
「だから、仙台なんで、ここ」
 返す言葉がない。日本語がペラペラなことを、オタクの共通語だからなんて姉のテキトーな説明を信じて疑わなかった。
「……伏黒パパを、召喚獣みたく言わないでいただきたい」
「攻撃力では似たようなもんでしょ」
 そういえば百鬼夜行のなかには、召喚獣の姿も結構あった。
 異形と一括りに形容してはいても、あれはすべて、誰かの想像で求められ召喚された、愛すべき怪物たちだ。
 私はシンプルに、人々を守るんだーなんてことで小宇宙コスモを燃やせない。
 混沌とした物語の続きを、見届けるのは私ではなくてもいいと思ってしまう。
 迷いをここで口にしたら、当局にバレるだろう。今からTMS装置にぶちこまれるのはイヤだ。なんか怖い。
 ペッパーくんの嫌がる、今週ジャンプの内容を匂わせて話をそらす。お互い、明日の話にはふれないまま、おかしなテンションで会話し、連携シミュレーションを一度だけやった。
 夕飯はカレーだった。
「マオ様特製!」
 と妹が胸をそらす。
 ほうれん草がたっぷり入っていて、隠し味は味噌だ。じゃがいもは冷凍の「インカの目覚め」で、とても甘い。
 鍋いっぱいに作って、明日はあの母親と暮らす家に持っていくそうだ。
「帰ってきたら、また作ってあげるからね」
 青髪をうしろでひとまとめにした妹の姿に、ふいに目から鼻水がたれそうになった。たいしてスパイスの効いてるわけでもないカレーに、目も鼻も熱くて仕方がない。
 カレーしか作れないじゃん、というツッコミが、姉からも私からもないことに、妹が薄気味悪そうな顔をする。
 ああ、忘れっぽくてやんなっちゃう。
 妹の、来月の修学旅行を守りたい。
 それだけでいいやと決めたんだった。

 おやすみなさい。


2023/10/31

 朝から頭痛がした。
 オーブンレンジが壊れて、修理は三日後の予約になった。しばらく留守にするんじゃなかったのかとマオに訝られて、予定が早まるかもしれないし、と誤魔化した。
 タブレットに表示された地図に既視感がある。
 ちょっと首をひねってから、劇場版名探偵コナンだ、と思い当たった。
 ハチ公の周囲は封鎖され、光る誘導棒をもった警官の数がすごい。信号が青になるたび、歩行者を通すのに運動会のゴールテープのようなものをひいている。
 想定されていたよりは、だいぶ静かだ。空気は冷たいのに風がなくて、ここまで喧騒が聞こえてこない、なんてこともあるだろうか。
 カリギュラ効果はなかった、と見るのはまだ早かった。深夜にかけて、まだ分からない。
 動画サイトではスクランブル交差点がライブ配信されている。まだ路面が見えているものの、これがそのうち仮装した人々や、仮装の元ネタである存在たちが埋め尽くす。
 人が増えるたび、夜がふけるごとに、頭痛が強くなっていく。
 ここへ顕現するはずのすべての妄想たち、夢や憧れや祈りの具象化を、不格好な白い触手で巻き取り、包み込み、飲み込みかえしてやるイメージ。
 キャパオーバーで破裂しそうなのは当然だ。
 有線でつないだ通信端末から、姉やレミたち前衛部隊の配置が完了した連絡が入る。
 切り替えのノイズのあと、姉のガンタンクに同乗しているレミの声がした。
「朝の続きを聞いておきたいんだ」
 壊れたオーブンのことかととぼけるのはやめておいた。
「今日で世界がーー少なくとも自分自身という存在が終わるとしたら?」
 心理テストか自己啓発本にありがちな質問だ。宗教観の異なる私や妹がなんとこたえるのか興味があったという。
 妹は最初シンプルに、なにもしないとこたえた。それからすぐに、
 ーーでも、せっかくだから、行きたいとこは全部行っておきたいなあ。まだ行ってないバンドのライブとか、イベントとか、会いたいYouTuberもいるし……。
 私も、なにもしないと言ったあと、こまかいことは言葉をにごしたのだった。それより姉のこたえを聞いてみたかったが、それは過去にレミにこたえたときから今も変わってない、というのだった。
「あの場で言えば、マオの答えを否定するみたいになるから……」
 妹はあれでいいのだ。まだ十代の健全なこたえだ。
「私は、全部をやりきったーなんて、そんな状態は怖いと思っただけですよ……」
 人生の終わりを迎えるとき、行きたい場所にすべて行き、会いたい人にすべて会い、成し遂げたい夢をすべてかなえたと言い切れるならーー
 その次の日、もし生きてたら、どうやって生きていけばいい?
 もうなにもないなんて、地獄じゃないか。
「思考実験なんだから、そういうのは無しなんだけどね」
 思ってたんと違う、みたいなレミの声に、姉の笑い声がBGMとなって聞こえる。
「ああ、でも、もしその瞬間に、できる妄想はすべて妄想しつくしたと言える私だとしてもーー」
 また姉が笑っている。姉の声が好きだな、と不意に思った。
「次の日、生きてたら、また新しい妄想をすると思うんですよね」
 だからいまは、現実を貪食しようとパーティーに集ったみなさまがたには、ご退場いただこう。愛も、後ろめたさも、また生まれてくるから。
 頭痛が強くなり、地上のざわめきがふくれあがった。
 行ってきます。
 またあした。

 おやすみなさい。 

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