明けたのでおめでとうございます

■新しき 年の初めに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは
                         葛井諸会


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あーあー……聞こえてる?
敬愛するみなさま
お元気ですか?
めんどうな事に、ボクは元気です。



とまあ、唐突に始めてみたブログのような日記のような、ただ適当に文章をつらつらと書くだけのような……そんなものの最初の文章を安直にも縦読みで"あけおめ"とやってみたわけなのだけれど、無理やり感が半端じゃない。
あ、そうでした改めまして、あけましておめでとうございます。

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お正月の話でもしようと思ったわけなのだけれど、その前にこのような安直な縦読みをするとどうなるかを話したいので話しておこうと思う。

文脈に合わせて言葉を無理やりねじ込むと、読者からはやはり違和感として残る。そういう違和感の積み重ねは物語ないし文章を最後まで読んでもらえないことに通じるわけですね。

物語を読むことを水の流れに例えるのなら、物語そのものは水の通り道で、その通り道には様々な仕掛けがある。その仕掛けは物語を読ませる技術なわけだけれど、"文章が読みにくい"とは水の通り道そのものを小さくしてしまう。意図的に狭めた工夫でないものならそれは最後まで直ることはない。
文章には文脈に沿った言葉がある、というものです。

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文脈に沿った言葉はあると言ったけれど、何時もそれが正しいことはない。少なくともエンターテインメントにおける物語には、模範解答はあるけれど、どれが正解になってもいいし不正解もないという、七面倒くさいもののわけです。
唯一正解があるとすれば、

読者が「これがいい」と言ったならば勝ち。

こればかりは誰が何を言おうと勝ちだと思う。自分さえ、本当にこれでいいのか? と思ってもそれは勝ち。創作における唯一の勝ち。

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と、創作では正解があったりなかったり勝ち負けがあーだこーだと前述で一丁前に語ったわけなのだけれど、現実にはどう考えても正解ってあるよね……。

ほら、夏祭りで浴衣を初めて着てきた彼女に何か言う事……似合ってるよ。
とか!
デートで髪型を変えてきた彼女に何か言う事……似合ってるよ。
とか!
プールでちょっと大胆な水着を着てきた彼女に……

ここまで書くとお前なんかあった? と言われそうなのでこの辺にしておくけれど、現実には正解があったりするもので、いやはや生きるのは難しいというわけです(そんな話だったっけ?)

あとはこれでも見といてください。
ジャルジャルさんの『第一声、間違えて、友達失う奴』
正解はあるんだよ……現実にはね。


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こうして創作論を語るときは創作が上手くいってない時、という個人的な現象によって語ってしまったわけだけれど、今は別に上手くいってないわけではない。
そう……正月でただ全く何もしてないだけだったので、ここいらで語っておこうと思ったわけである。いわばリハビリ、もしくは準備運動。

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ようやくここでお正月の話題に戻る、かと思いきやこれを書いている今、すでに頭の中で文章を考えるのとキーボードを打つのに飽きているので終わろうと思う。
唐突だがこれもまた正解、なのかもしれない。知らんけど。

それでは、またどこかで。

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