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人類を熱狂させた鳥たち―訳者あとがき

 著者ティム・バークヘッドはオックスフォード大学でウミガラスの繁殖生態と生存率などの研究を行ない博士号を取得した後に、シェフィールド大学の動物学教室で長く教鞭をとった鳥類学者だ。また、1970年代にジェフリー・パーカーが提唱した「精子競争」という仮説を検証して、『乱交の生物学』(2003年)を著し、性選択の過程に交尾後に生じる精子間の競争が及ぼす影響を考察して、一夫一妻制が一般的と考えられていた鳥類の配偶システムを見直すきっかけをつくった著名な行動生態学者でもある。

 著者も述べているが、自然の驚異や不思議を一般の人々に知ってもらう大事さを認識して、一般向け著書もたくさん書いている。近年では『鳥たちの驚異的な感覚世界』(2013年)や『鳥の卵』(2018年)などがある。

 著書の中でも、『Ten Thousand Birds: Ornithology Since Darwin〔一万種の鳥──ダーウィン以後の鳥類学〕』(2014年)は、ダーウィン以後の鳥類学の歴史をまとめた力作だ。鳥類学者にとっては興味深い内容だが、500ページを超える大作なので、敷居が高い感は否めない。そこで、一般向けの"Birds and Us"が出版されたのは喜ばしい限りだ。本書は、先史時代の岩絵や古代エジプトの墓壁画などを含めて、人間と鳥の関わりを幅広く扱っているので、鳥類学や考古学に興味をもつ人はもとより、アートに関心のある読者も人と鳥が織りなす歴史の旅を楽しめるだろう。

 著者の息子が学校の先生に父親の職業を尋ねられて、「乱交の教授です」と答えたというエピソードを披露するあたり、ユーモアのある人となりが見えてくる。バークヘッドは研究や著作・教育にとどまらず、"New Networks for Nature"という組織を仲間とともに2009年に立ち上げた(https://www.newnetworksfornature.org.uk/)。これは自然を愛する多様なクリエイターたちが連携をとり、これまでの経済や政治を中心とした狭い見方ではなく、幅広い見地から自然の恩恵や保全について見直しをしようとする組織である。会員は、バークヘッドのような研究者はもとより、著作家や詩人、音楽家など、多様な分野にわたっている。会員に共通していることは、イギリスの野生生物や自然環境から、日々の暮らしや仕事上のインスピレーションを受けている点である。

 日本では、平安貴族が季節を知る一つのしるしとして鳥の渡来に注目していたことは和歌などからもよく知られている。また、江戸期には本草学などの発達によって、鳥に対する知識そのものも著しく増えていたことが文書や絵画からわかっている。近年では、『万葉の鳥』(2021年)や『日本書紀の鳥』(2022年)などのように古代の資料における鳥の研究も増加してきた。さらに、『時間軸で探る日本の鳥』(2021年)のように、日本の鳥類を通時的に捉える研究も試みられるようになった。

 バードウォッチングは欧米で生まれたが、日本では、日本野鳥の会の創始者である中西悟堂が1934年に富士山の裾野で行なった鳥巣見学の会が最初だそうだ。同好の士とともに広々とした野外に赴いて、きれいな野鳥を見つけるのは実に楽しい活動である。その後、こうした活動は活発になり、やがては観察だけではなく、『時間軸で探る日本の鳥』で詳述されているように、一般人も調査や研究活動に参加するようになった。1970年代に当時の環境庁による第一回全国鳥類繁殖分布調査は、日本野鳥の会が全国の会員の協力を得て行なった活動である(https://www.bird-atlas.jp/)。その後、この分布調査は20年ごとに行なわれて、2010年代に第3回を迎えた。このように3回行なったことで初めて、日本においても、全国の鳥の分布パターンや個体数の変動が科学的に見えてきたのだ。こうした調査や研究ができたのは、鳥好きなだけでなく、野鳥のために手を貸したいという保全意識の高い人が多数いたからである。ニコルソン流の「役に立つ鳥類学」が日本にも定着した証と言えるだろう。

 翻訳にあたって、外国の鳥類の和名はIOCの世界の鳥リストに従った。また、決まった訳語がない種には仮の和名を提案した。たとえば、"Blue-throated Hillstar"という南米の新種(2018年)には、「アオノドヤマハチドリ」という仮和名を付した。

 また、訳語はできるだけ統一するようにしたが、日本語と英語で概念の範囲が異なる場合は統一が難しい場合があった。加えて、本書は一般向けに書かれているので、用語の使用が学問的に厳密ではない場合もある。たとえば、"natural history"という英語には、一般に博物誌、博物学、自然史などの訳語が当てられるが、時代の変化とともに用語の守備範囲も変わったので、歴史的経緯と文脈に応じて訳し分けた。また、"Codex"は「冊子型をした写本などの文書」を意味するが、「フィレンツェ写本」や「メンドーサ絵文書」などのように異なる訳が定着しているものもある。そこで、コデックスというカタカナ語と和訳を並記しておいた。さらに、団体名として、イギリス最古の自然科学者の学術団体である"The Royal Society(of London)"(ロイヤル・ソサエティ)は、「王立協会」という訳が定着しているが、この"Royal" は王室による認可を受けたという意味であり、科学的学会なので、「王認学会」という訳語を使った。

 種名が特定できる生物は学名を示して索引に取り入れたが、英語の一般名しかわからない生物の名は総合的に判断した場合もあった。たとえば、小文字の"partridge" は、キジ科の小型狩猟鳥を指す広義の用語で、イワシャコ類やヤマウズラ類、コジュケイなども含む。イギリスでは自然分布するのはヨーロッパヤマウズラだが、後年になってヨーロッパ大陸に広く分布するイワシャコ属のアカアシイワシャコが移入され、南部に定着している。そこで、本書ではイギリス国内については、自然分布のヨーロッパヤマウズラを、古代ギリシャを含むヨーロッパ南部については、イワシャコを当てた。

 (中略)

 本書は2019年に始まった新型コロナウイルスの世界的流行の最中に執筆されたが、2022年の現在でもまだ収まるにはいたらない。一方、鳥インフルエンザに感染する野鳥や家禽が後を絶たない。こうした状況を目の当たりにして、人間も野鳥も自然という共通の土台の上で暮らしていることをいやが上にも思い知らされる。しかも、人間が近視眼的な活動を追求した結果、気候や生態系がかつてないほどの急激な変動にさらされている。これまでに人間が培ってきた鳥や自然との関係は今後、どのようになっていくのだろうか? その鍵は、私たちが過去の関係性の歴史を振り返ることと、そこから得られる知恵を長期的展望に立って利用できるかどうかにかかってくるだろう。

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