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年輪で読む世界史―訳者あとがき

著者であるバレリー・トロエ博士は、年輪年代学研究の分野をリードする世界トップクラスの科学者である。2020年以降も著者は、中国の森林火災、気候変動に対する森林植生の応答、年輪からみたバハカリフォルニアの水文気象など、年輪研究に基礎を置いた研究(主に気候学と環境科学分野)を第一線で精力的に続け、多数の研究成果を公表している。

本書は、樹木の年輪と年輪パターンを利用した年輪年代に基づいて気候を復元(寒暖、旱魃、激甚気象など)し、考古学、環境学、社会史学などとも連携する自然科学の1分野である年輪年代学の初歩と応用を一般読者向けに易しく述べた1冊である。

類いまれな着想力と実行力を備えた著者が、世界各地のさまざまの場面(とくにフィールドワーク)でのエピソードを交えながら、大学院生時代から現在までの年輪年代学研究と成果の概要を平易な文章で紹介している。本書の各章はトピックスごとにまとめられているが、年輪年代学研究者としての著者の歩みを辿るには、プロローグから最終の第16章までを順に読み進めるのがよいと思う。

本書の内容を簡単に紹介しよう。ストラディヴァリ作のバイオリンの世界的名器、メシアの製作年代と真贋性をめぐる論争を年輪年代学が解決したことを紹介した序章に続いて、第2章から第4章は年輪科学の創設当時の経緯、年輪を用いた年代決定方法の原理、樹木の主な成長抑制因子などが易しく解説されており、実例をあげながら年輪年代学の基礎を解説している。

またヨーロッパと北アメリカの最長寿木についても述べられている。第5章は、古代ヨーロッパの木造建築物の年輪による年代決定、そしてローマ時代以降、現在までのヨーロッパでの木造建築物建設数の推移とその社会的背景を紹介している。資材として使われた木材の産地推定についても難破船の事例をあげて解説しており、これも当時のヨーロッパの社会情勢を反映していることがわかる。第6章は、年輪科学によって1990年代以降の急激な気温上昇を明らかにした〝ホッケースティック・モデル〟を解説すると同時に、地球温暖化を認めようとしない政治家による気候学者への苛烈な弾圧も紹介されており、最近の地球温暖化に関連して本書のハイライトのひとつである。

第7章と第8章では、年輪に記録されたヨーロッパの中世の気候変動(小氷期、中世温暖期など)の原因が大西洋の2つの気団の勢力の変化に求められることが紹介されている。

第9章では、ハリケーン、カリフォルニア州の旱魃、カリブ海での海難事故史などと年輪研究による気候変動との関係、第10章では、地震、津波、原発事故、隕石爆発などの突発的イベントをいかに年輪研究が解読したのかなど年輪年代学の分野横断的な研究について述べられている。

第11章では、ローマ帝国の衰退・滅亡の原因として、異民族の侵入、感染症(マラリア)の大流行とともに、年輪に記録された紀元250年頃から約300年続いた気候不安定をあげている。続く第12章でも、モンゴル帝国の興亡、ウイグル帝国の滅亡、クメール王朝の崩壊、マヤ文明の崩壊などもやはり年輪が明かす気候の劣悪化と感染症の拡大が原因となっていたことが解説されている。

第13章はアメリカ南西部の古代プエブロ文化を衰退に追い込んだ原因が2度の強烈な旱魃にあったことが年輪研究から明らかになったことが紹介され、さらに第14章では、年輪研究に基づくヨーロッパの異常低温や熱波発生と最近の亜熱帯乾燥地帯の拡大による砂漠の拡大傾向がそれぞれ、北半球のジェット気流の蛇行の強化とエルニーニョ・南方振動という気候システムの異常によるものだと説明されている。

第15章は、アメリカ西海岸の森林火災の歴史と、湿潤と旱魃をもたらすエルニーニョ、ラニーニャという気候システムの変化が密接に関係していることがわかる。ここでも年輪は森林火災発生状況の正確な復元手法として大きな役割を果たした。

最終章では、過剰な森林伐採が招く産業革命以後の地球温暖化、渇水など、現在と近い将来の地球環境の変化への著者の深い憂慮が述べられ、地球温暖化を緩和させるため新たな気候工学的な取り組みも紹介されている。

本書を通読して深く印象に残っている点を最後に書き添えておきたい。第11章で紹介されている、感染症(マラリア)の大流行が強大だったローマ帝国を衰退の一因になったとする考えである。

マラリアを媒介する生物(蚊)を大発生させた低湿地の拡大は大規模な森林伐採の結果であった。気候不安定(冷夏と旱魃)に苦しんでいた農村を中心に爆発的に拡大したマラリアが農村の人口激減と食料の生産低下を招き、異民族の侵入とともにローマ帝国を衰退させたという考えが紹介されている。

異常気象と感染症の爆発的流行という危機に社会が直面したときこそ、独創性と適応力に根ざした社会の回復力が試されるのだという著者の見方は現代社会への警告と受け止めたい。そして気候変動史と人類史を決定論的に結び付けるのではなく、両者の複雑な関係を理解することが大切であることも本書から学んだことのひとつである。

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