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冷蔵と人間の歴史―訳者あとがき

冷蔵庫は、存在感があるようでない電化製品かもしれない。大きく、台所の中枢とも言える存在だが、あまり注目されることはない。冷蔵庫が気になるときは、実はたいてい冷蔵庫の中身を気にしている。足りないものはないか、賞味期限切れのものはないか。ビールは冷えているか。冷蔵庫そのものについては、故障や買い換えの時でもなければほとんど意識しない。あるのが当たり前のものだ。

とは言えそれは最近の話だ。数十年前の日本では、電気冷蔵庫がいわゆる「三種の神器」の一つとして、豊かさの象徴であり憧れの的だった。冷蔵庫がまだ普及していない地域では今でもきっと同じだろう。よく考えてみると、冷蔵庫は大変な機能を持っているのだ。

冷たいものを温めるのは、難しいことではない。太古から人類は火を使って、食品や部屋の空気を温めてきた。ところが低温を人工的に作り出すのは、冷蔵庫や冷房装置のような近代的な機械がなければ難しい。

本書は、人類がどのようにして低温を手に入れ、自在に操れるようになったかを歴史、社会、科学の各側面からのアプローチで追ったものだ。冷たいものが欲しい季節や地域には、氷や冷風は周囲にない。それでも古代から近代初期までの人びとは、経験的に得たその時代ごとの知識と技術で自然力を利用して低温を手に入れ、真夏に冷たい飲み物で涼んだり、食品を保存したりするために使ってきた。無論初めのうち、それを享受できるのはごく限られた特権階級だけであったが、やがてその需要は拡大していった。

一方で哲学者や科学者は、昔から熱と低温を解明しようとしてきた。本書に登場する科学者には、発見した法則と共に中学や高校の理科でおなじみのものも多い(もっとも白状すると訳者はすっかり忘れていたのだが)。彼らは、冷蔵庫を作ろうと思っていたわけではない。しかし、その発見は、ものを冷やす自然力のメカニズムを解明し、それが冷蔵庫の原理につながった。そして社会の要請に触発され、家庭に氷を供給する製氷機、生鮮食品を長距離輸送する冷凍船、ついには家庭用冷蔵庫が誕生した。

冷蔵庫は、少数の天才による発明というより、一見ささやかな人類の夢を満たすため、多くの人の手により長い時間をかけて生まれたもののようだ。だが実現したとき、それは社会のありようを変え、規定する大きな力を持っていた。今や冷蔵庫のない生活は、単に冷たい飲み物を好きなときに賞味できないとか、生鮮食品を急いで食べないと腐るとかいうレベルにとどまらない。産業や流通のすべてが冷蔵庫に依存していると言っても過言ではないのだ。

本書を読んだあとで改めて冷蔵庫に目を向けると、何か違って見えてくるかもしれない。以前より頼もしく、不思議なものに。それは世界とつながっているものなのだ。

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