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トラウマと共に生きる―はじめに

『沈黙をやぶって』(築地書館、1992年)は性暴力被害を受けた日本の女性たちの声を集めた最初の本でした。30年前の1990年に「当事者の声こそが社会を変える力を持っている。あなたの声を」と新聞記事を通して呼びかけたところ、「私も」「私にも起きました」「Me Too」とご自身の性被害体験を語る手紙が次々ととどまることなく届き、私たちを驚かせました。

 Me Too 運動は日本でも30年前に始まっていたのです。 『沈黙をやぶって』で22人の日本の性暴力サバイバーたちは、それぞれの恐怖や苦悩体験を語ることで性暴力のしじまをやぶりました。

 同書で、私は問題の歴史的社会的背景、性暴力問題への対応の基本姿勢、問題の虚像と 実態、予防の具体的方法について論じ、次のように呼びかけました。

「人生のネガティブな汚点でしかなかったその体験は、それを語り、意識化しようとするプロセスの中で、その人の強さの拠りどころとなり、その人の存在の核ともなります。語りはじめること、いまだ存在しない言葉を捜しながら、たどたどしくとも語りはじめること。語ることで出会いが生まれ、自分の輝きを信じたい人たちのいのちに連なるネットワークができていくでしょう。 ひとたび沈黙をやぶったその声を大きく広く、日本社会のいたるところに響き渡らせていく大きな流れのムーブメントの担い手に、あなたも加わりませんか」

 そして性暴力の沈黙をやぶるムーブメントが日本全国でゆっくりと広がっていきました。 『沈黙をやぶって』に寄稿した人たちの中からも、裁判に訴えた人、本を出版した人、サバイバーのアート展覧会を開いた人、CAP(子どもへの暴力防止)プログラムを学校に届け続けている人などさまざまな表現活動を続ける人々が生まれました。

 沈黙をやぶる行動は必ずしも言葉でなくていい。音楽、踊り、詩、映像など。過去の苦しみは自分なりの表現手段を得たとき、その人の生きる力の揺るがない核心になります。

 幼児期に強姦されたたった一度の体験を寄稿した「一人暮らしの婆」は「初めて文字にして70余年秘めた胸の傷が涙とともに溶けてゆく」と書きました。当時78歳だったこの方はその後、どのような人生を送られたのでしょう。

 日本の性暴力被害者たちに110年もの間、沈黙を強いてきた強姦罪が大幅に改正されて2年も経たない2019年春。福岡、名古屋、静岡、浜松の地裁で性暴力事件被告への無罪判決が続きました。バックラッシュ(揺り戻し)です。単に裁判官個人の見解の問題ではありません。子どもや女性の人権が一歩でも力を得ると、既得権を脅かされる不安に駆られる人々が、揺り戻しをかけてきます。この50年、米国でも何度も繰り返されたことでした。

 しかし2020年2月に福岡高裁が、3月には名古屋高裁が逆転有罪判決を出しました。 日本の司法への絶望が希望に変わりました。この希望判決を出させるまでには、全国各地に広がったフラワーデモ、支援弁護士らなどたくさんの人々の尽力がありました。

 でも闘いはまだまだ続く。バックラッシュはこれからも何度も襲ってくるのだから。

 名古屋高裁の逆転判決を受けて原告女性は長文のコメントを出しました。
「私の経験した、信じてもらえないつらさを、これから救いを求めてくる子どもたちにはどうか味わってほしくありません。私は、幸いにも、やっと守ってくれる、寄り添ってくれる大人に出会えました」

 5歳の時の性暴力被害を生きてきた和歌や詩を『沈黙をやぶって』にいくつも寄稿してくれた風子さんは30年前に、すでにMe Too 運動の希望を呼びかけていました。

この指とまれ    橘 風子
自分を愛したい人 この指とまれ
秘密を持った人 おいでよここに
三人寄れば ヒソヒソと高声のアンサンブル
五人になれば にぎやかだ
七人になれば 心もあったか
十人二十人になれば 恐いものなし
三十人五十人になれば 友が友を呼ぶ
百人になったら 世の中も変わる
だから この指とまれ


 本書では日本における性暴力への取り組み約30年を踏まえた、次の新しい視点と知見を提示しました。

1、パートⅠでサバイバーたちは、被害のトラウマを克服するというよりは、むしろトラウマと共に生きてきた過去を慈しみ、現在、未来もトラウマとつきあいながら生きていくという新しいサバイバーの視点を語っています。トラウマは苦しみであったけれど、新しいいのちの源でもあるのです。

2、パートⅡで筆者は、トラウマと共に生きるための理解とケアの最前線を論じました。 従来の性暴力関連本では取り上げられていない新しい知見、また古くからあるのに、使われていない有効な支援方法、再認識されたヨーガや瞑想の驚くべき効果、催眠を使ったソマティックなアプローチなどです。

3、パートⅢでは、子どもの今の性被害をトラウマ化させない支援のあり方と具体的なステップを提示しました。身近な人がなるべく早くに慈しみをもって手当てすることで、レジリアンスが起動します。

4、「性暴力」にNOを突きつける被害者支援の世界運動は1970年代に始まり、以来それを担ってきたのは女性たちでした。しかし性暴力の加害者の9割以上が男性です。そして同時に圧倒的多数の男性が性暴力を良しとしない人たちであることもまた事実です。

 女性たちの運動が始まってから約50年になります。今まで傍観者だった男性たちが、当事者意識を持ってフロントラインで、性暴力という男性問題に取り組み、歴史を変える時が来たのではないでしょうか。本書にサバイバーの夫たちの手記を入れたのは、回復に必ず夫の支援が必要なわけではないですが、性暴力問題に当事者として関わる男性の身近な例として、男性読者に読んで欲しかったからです。

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