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旅する地球の生き物たち―結び 安全な移動

 2年前、私は東ボルティモアの荒れ果てた地域に建つアパートの2階の狭苦しい一室で、ソフィアとマリアムに会った。地元のNGO事務所が子どもたち共々、この二人の女性を住まわせたところだ。私は地方難民事務所の新人ボランティアとして、援助が必要な難民家族に関するファイルの山を手渡されていた。ファイルを一つ取るように言われ、私は彼女らを選んだのだ。私たちは携帯電話でつながった地元の通訳を通して話し合った。マリアムは徒歩でエリトリアから逃れ、国境を越えたばかりのところにある難民キャンプに着いた。エリトリアの軍事政権の迫害を逃れ、ほとんどの時間をいくぶん漫然とうろついて過ごした。彼女はほっそりしていて、ふざけたがり、よく笑う。だが難民キャンプの生活は、彼女を社会の生産的活動から締め出した。彼女が学校へ行くことはなかった。仕事に就いていなかった。キャンプにいた頃のおもな思い出は希望者が集まってするサッカーだと答えた。
 ソフィアがエリトリアを出たあとの経路は北へ向かってカーブを描いた。彼女はスーダンからカイロへの道をとり、そこでは社会の片隅でぎりぎりの生活をした。首にかけた鎖にぶら下がる小さな十字架は彼女がよそ者だという印であり、エジプト社会の主流から彼女を締め出すものだった。彼女はホテルの掃除をする仕事を得た。しかし重いものを持ち上げる仕事で背中を傷めた上、手術の失敗のせいで健康を失い働けなくなってしまった。さらにもう一つの不運が襲った。カイロで出会った逃亡中のエリトリア人の恋人との間にできた幼い息子は左の腎臓にがん性腫瘍があると医者が診断したのだ。
 しかし、マリアムとソフィアには安定した将来への道があった。カイロおよび難民キャンプ在住のエリトリア人は、国連難民機関の地方事務所を通して難民資格を申請できたのだ。難民機関は彼らの顔をスキャンし、指紋と経歴データを採取した。係官が容認できると判断すれば、どこか別の国へ彼らの事案を紹介してくれるかもしれない。その国は彼らの経歴と素性を独自に審査した上、無害で適格だと判断するかもしれない。彼らは自分たちの家庭を作り日々の営みを開始できる場所まで移動することが許されるかもしれない。毎年、この機関は難民だと承認したおよそ2600万人のうち、約10万人を再定住させている。
 マリアムもソフィアも申請した。
 二人は難民認定を受けるまでおよそ10年待った。国連難民機関は二人の申請を受理し、アメリカ難民再定住事業の係官に二人の事案を紹介した。その事業はその後の居住を許可してくれた。二人はそれぞれに、荷物をまとめ、新居へ移るため飛行機に乗ったのだ。
 仕事を見つけたいと二人は言った。子どもたちに教育を受けさせたかったのだ。背が高く、母親の膝の上で用心深さを見せるソフィアの息子は、純真で態度が真面目だ。マリアムの娘は正反対で、顔をしかめて大げさな表現をし、私の持ち物を触り、うまく取り入って私の膝の上に乗ってくる。
 カーペットを敷いた床にいっしょに座って彼女たちの今後の見通しについて思案していると、マリアムが船内調理室のような自分たちの小さなキッチンからきらきら輝いているイチゴ、小さなリンゴの薄切り、それにオレンジの薄切りを載せたお皿を持ってきた。エリトリアの発酵させた平べったいパン、インジェラと、その上にスパイスの利いたレンズ豆とカレー味のジャガイモを盛った大皿の周りに、子どもたちがひもじそうに寄り集まった。
 マリアムとソフィアはでたらめな英単語を二、三知っているだけだった。言葉を使う仕事をする技能はなかった。二人は指導者たちから「けだもの」「厄介者」、あるいはもっとひどい呼び方をされる社会の難民だった。そしてとても貧困に苦しみ、人種によってとても厳しく序列をつける街の黒人女性だった。貧しい黒人居住区に住むことは余命を30年縮めるのと同義だった。彼女たちは二人のよちよち歩きの子の面倒を見なければならなかった。車の運転はできなかった。誰が雇うだろうか。たとえ誰かができたとしても、二人はどうやって職を得ることができるだろうか。
 彼女らには支援を頼れる家族がほとんどいなかった。子どもの父親たちは何千キロも彼方に住んでいた。マリアムのパートナーはドイツに再定住していた。ソフィアの方はスウェーデンだ。若い女性の写真が、額に入れられ小さな棚の上に置かれていた。エリトリアに住んでいるソフィアの娘だ。ソフィアがエリトリアをあとにしたとき、その娘はよちよち歩きの子どもだった。今ではティーンエイジャーだ。ソフィアは何年も会っていない。森の中を通る高速道路のように、国境は彼女の家族を断ち切り、大陸を越えてばらばらに分解してしまったのだ。
 先日、12月のとある夕刻に、クリスマスの明かりを見にボルティモアの繁華街へ二人を連れていった。車を停めたあと、氷点下の気候の中を数ブロック歩かなければならなかった。その間二人は、教会で特別な食事を摂り、近所を訪問して回って祝うエリトリアのクリスマスの様子を話してくれた。そのあと、私が二人に見せようと連れてきたアメリカの過剰な電飾が目に入ってきた。特にこのブロックでは、地域の人々がピカピカ光るイルミネーションを、窓やポーチや屋根から、並んだ家々の間や狭い通りを横切らせて向かい合った家々をつないでいた。小さな前庭には、巨大な電飾付きのキャンディケインや、まるまる太った腕を揺り動かしているプラスチック製の雪だるまや、ビールの空き缶と古いホイールキャップでこしらえた彫刻のようなクリスマスツリーを詰め込み、ツリーの下にはピカピカの包装紙の贈り物が置かれていた。サンタクロースの衣装を着た女性が、この壮観を眺めに集まってきた観客にクッキーを手渡していた。通りの端では子ども用防寒着を着た赤ん坊をおんぶしたカップルたちが、フェルト製のトナカイの衣装を着た男性の隣に立って写真を撮ろうと列を作っていた。
 アパートへ戻る途中、車の中で二人は言葉少なだった。「きれいよ」、ようやくソフィアがうなずきながら言った。「アメリカのクリスマスは」と。私はどう言ったらよいかわからなかった。甘ったるい赤と白の豪華絢爛(けんらん)ショーが私の未熟な文化的センスを刺激した。あれが彼女にとって意味があったとは想像もできなかった--私にとってはまるで意味をなさなかった。私は暖房を強めた。マリエルのつま先はかじかんでいた。黒い薄っぺらなスニーカーの下に靴下も履いていなかったからだ。
 数キロ先の彼女たちの地区へ着くまで、私たちは無言で車を走らせた。二人が仕事を見つけるには数ヶ月かかった。マリアムはある産業用のコインランドリーで夜間の仕事をしている。ソフィアはカフェテリアの掃除をしている。私道に入っていくと彼女たちの住むビルが暗がりから現れた。
 その夜の珍奇さ、将来の不確実さ、思いも寄らない目的地へ自分を連れてきた旅路の不安定さにもかかわらず、ソフィアは自分のビルの光景を見上げ、まるで予期していなかったかのように自分自身に向かってそっとつぶやいた。「わが家だわ」

 移住者たちが横切ってずたずたになった自然環境は、人々と野生生物、両方のために回復できる。
 孤立した公園や保護区の境界を延ばすのではなく、私有地、牧場、農場、公園をつなぎ合わせて、動物たちが安全に移動できる広く長い回廊にしようという新たな自然保護活動が行われている。たとえばイエローストーン・ユーコン・イニシアティヴは、カナダ北部から130万平方キロ以上南方へ延ばし、その区域全体で野生生物が移動しやすいように管理すべく、何百もの保護団体を集めた。同様の野心的プロジェクトが、メキシコからアルゼンチンまで14ヶ国の数百万平方キロに及ぶジャガーの生息地を保護しようと計画している。自然保護論者たちは少なくとも世界の20ヶ所の保護すべき地域を特定してきた。それにはタンザニアのイースタン・アーク山地やブラジルの大西洋岸森林が含まれる。これらの地では同様な緑の回廊によって、ばらばらになっている保護区を野生生物が自由に動き回れる2000平方キロ以上の連続した森林につなぎ合わせることができるかもしれない。
 野生生物のために作られた新たなインフラによって、彼らは人間が作った障害物を越えて移動しやすくなるだろう。カナダではグリズリー、クズリ、ヘラジカがトランス・カナダ・ハイウェイの上と下に架けた野生生物用の橋を通って歩いている。オランダではシカ、イノシシ、アナグマが、彼らのために特別にデザインされた600の回廊のおかげで、線路、工業団地、複合スポーツ施設を横切って移動している。モンタナ州ではアメリカクロクマ、コヨーテ、ボブキャット、ピューマが州間高速道路を越えて建設された40以上の横断構造物を通って歩いている。ほかの場所では自然保護論者たちがカエル用のトンネル、リス用の橋、魚類用の階段式魚道を作ってきた。彼らは鳥や蝶が頭上を過ぎるときにくつろげるように、緑溢れる生きた屋根を取りつけた。こうした活動は一体となって、広大な地域を包含する野生生物用の境界のない回廊を作り上げ、野生生物用の州間ネットワークを創出できるだろう。
 移動の能力が万能薬でないのは言うまでもない。生息域が消滅して分布域を移す生物種は、危険にさらされることが少なくなるよりもむしろ多くなる。ロシアでは、ハーレムを作れないタイヘイヨウセイウチの雄たちが、海氷が融けたので今では遠方の岩礁海岸まで泳いで集団を作っている。2017年夏、巨大な生き物が岩だらけの崖のてっぺんに登ってへとへとになり下の海岸に落ちて死ぬのを、野生生物の映画製作者たちが観察した。分布域を移すことに成功したものたちは「侵略者」として非難されるかもしれない。望まれざる侵入者として非難されてきた野生生物には、ベトナムや中国からやってきてハワイにうまく定着し、今は絶滅の危機にある淡水ガメ、カリフォルニアやメキシコで絶滅の危機にあってオーストラリアやニュージーランドに辿り着いたモントレーパイン、カナリア諸島に着いた絶滅危惧のバーバリシープ、カリフォルニアで絶滅する前にはアメリカ西部全般に分布していたスズキ目の魚、サクラメントパーチなどがいる。
 それでも、現在極地へ向かって、また高地へ向かって移動中の何千もの生物種にとっては、移動は気候が混乱する新時代で生き延びる最善の試みなのかもしれない。
 同様に人々が地上を安全に移動する世界を夢見ることができる。気候が変動したり生計が立ちゆかなくなったとき、移動しようとしている人々が国境監視員に追い立てられたり、海に沈んだり、砂漠で死んだりするリスクを負わなければならないことはない。現在武器を携行した監視員や有刺鉄線や境界壁だらけの境界は、もっと穏やかでもっと通過しやすく、たとえばマサチューセッツ州とニューヨーク州、あるいはフランスとドイツの境界のようにできるかもしれない。安全で、秩序ある、正規移動のための「国連グローバル・コンパクト」などの構想では可能な枠組みを提案している。この協定では、新たな生計を模索している移住者のためのより合法的な経路を創設するよう、各国に呼びかけている。各国が移住者に関するデータを収集、かつ共有し、移住が整然と秩序立って行われるよう、移住者に身分証明書を与えるよう求めている。これには移住者があとにした地へ資金や支援を送りやすくする方法も含まれている。また、移住者の拘留を逆戻りの第一段階ではなく、最終的方策への指標に変えるよう呼びかけている。
 この協定が想定する通過可能な境界が、新入者が現地の法律や習慣に従う責任を免除したり、現地の文化の特殊性を消し去ったりすることはないだろう。むしろ、移動を安全な威厳ある、そして人道にかなったものにするだろう。194ヶ国の国連加盟国のうちの163ヶ国がこの自発的、非拘束的協定を採用している。2019年、ポルトガルが自国の移民政策にこれを取り入れた。
 人間の移動を妨げる武装国境は、今日では神聖不可侵なものではない。これは私たちの文化や歴史にとって必須のものではないのだ。ヨーロッパの人々が自国の周りに国境を引き始めたのはほんの数百年前のことだ。インドとパキスタンの国境を策定したイギリスの法律家はわずか数週間で区画した。大いに争われたアメリカとメキシコの国境でさえ、数十年前まではほとんど通過可能だったのだ。歴史全体を通して、たいていは王国や帝国はあいまいな国境を持ったまま興亡し、文化や人は次代へと徐々に変化していった。国境が開いたり閉じたりしたのではない。まったく存在しなかったのだ。
 もし、転変常ならず資源が不均衡に分布するダイナミックな惑星上で生活するのに不可欠なものとして移動を受け入れるならば、私たちが進むべき道はいくらでもある。とにかく移動は否応なしに同じ割合で続くだろう。ソフィアやジャン=ピエールやハクヤールのような人々は移動し続けるだろう。私たちはこれを大災害とする考え方を続けることができる。あるいは、私たちの移動の歴史と、自然界における蝶や鳥のような移動者としての私たちの立場を取り戻すこともできる。移動を難局からその逆、解決へと転換させることができるのだ。

 私たちは突き刺すような日差しの強い日に、メキシコはティフアナ市のわだちのできた未舗装路を、壁を探しながら車を走らせている。
 粋に塗装された外観と窓の外の陽気な植木箱を備えた家々の並ぶティフアナのほかの地域とは違って、メキシコとアメリカの国境の壁に隣接したこの地域には不吉な気配がある。家々はシャッターを下ろしている。この地域は麻薬密売組織のボスたちが殺した死体を酸で溶かすところとして悪名高い。壁はそれ自体が死を表現している。壁には手描きの十字架が何百も散在している。そこを乗り越えそこなった命を記録しようと地元の人々が描き残したものだ。
 私は壁の反対側を見ようと古タイヤの山によじ登る。このぐらつく足場からは、東から西へ何キロも進んで、谷へ下ったあと彼方の丘の頂を越えて消えてゆく壁の長さが見て取れる。その前面に立てられた背の高い石版が見える。アメリカの大統領が建設しようと計画した新しい国境の壁の試作モデルで、ストーンヘンジの狂気じみたバージョンのように南に向かって一列に並んでいる。
 壁はあたり一面の山地に溶け込んで無意味なものになっている。山々は北アメリカ大陸の西海岸をメキシコ南部からアラスカ北部まで何千マイルも延びて、数ある野生生物の中でもとりわけビッグホーン、ピューマ、チェッカースポットが気候変動に伴って北方へ、あるいは高地へ移動するための天然の通路を形作っている。国境とその防壁があって、何世紀も侵入者だと非難され、異常な国境往来者だと恐れられても、お構いなしに移住者はやはりやってくる。
 どこか遠いところでチェッカースポットが蛹(さなぎ)から羽化する。オレンジ色とクリーム色と黒の斑点のある繊細な翅が羽ばたき始める。私が見上げている波型の金属の壁は、彼らが常食している砂漠性植物や花々の上、わずか180センチないし240センチの高さしかない。チェッカースポットは彼らが常食している砂漠性植物や花々の上、地上近くわずか180から240センチの高さを旅する。
 時至れば、彼らの華奢な体は空中へ舞い上がるのだ。

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