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樹木の恵みと人間の歴史―訳者あとがき

 庭仕事をする人は誰でも(多分)知っているが、木は切るとそこから伸びてくる。ただし、いつでもそうなるわけではないし、どこを切っても必ず同じように生えてくるわけでもなく、木の種類(樹種)によって反応は違ってくる。

 多年草は秋の終わり、地際ぎりぎりまで切り詰めてやる。すると春、新しい芽が生き生きと伸びてくる──はずだ。

 ブルーベリーの栽培を始めた知人は、最初の収穫のあとの剪定を果樹の専門家に依頼したところ、あまりにも思い切りよくバチバチ枝が落とされていくのにハラハラし、同時に、自分には到底あそこまで切れなかった、と頼んで正解だったと感じ入ったそうだ。果樹は、一度実のついた枝には実をつけない、という記述をどこかで見た覚えがある……が、そうとわかっていても生きている(ように見える)枝を断つのは抵抗がある。

 わたしのような素人は、枯れている(ように見える)茶色くなった枝先を切り落とすのがせいぜいだが、例えば秋も深まったバラ園で、てっぺんが切られ、数本の枝(それも枝先は断ち落とされて茎から10センチもないくらいまで切り詰められている)だけになってしまっている木々を見たことはないだろうか。あるいはまた、街路樹がほとんど丸裸に近いくらい刈り込まれているのを見たことはないだろうか。

 ニセコの我が家の近所では、枝の1本すらなく、ほんとうに丸太棒になったシラカバが10本ほど、一列に植えられているのに出くわした。

 バラ園や街路樹のその後は特段追跡しなかったが、丸太棒シラカバはどうなることかと推移を見守った。1年以上は沈黙していたように思う。やはりみんな立ち枯れてしまったかと思っていたら、すべてではないがそのうちの数本がいつしか芽吹き、枝から葉を出したのだった。数年たった今では、何事もなかったかのようにごく当たり前のシラカバらしく、夏には葉を繁らせ、秋になると落葉している。

 こんなふうに、断たれた幹や枝、はたまた地中に残った根から芽吹いて再生することを、萌芽更新と呼ぶ、らしい。そして、顕微鏡的な知識によってではなく木々と対話を繰り返した経験によって樹木をよく知る人々は、萌芽更新という特質にあずかって、木から糧を得てきた。

 本書(原題Sprout Land のsprout は名詞では新芽、動詞で芽吹くという意味になる)の著者であるウィリアム・ブライアント・ローガンは、知識と経験の両方から樹木をよく知る人である。日本ではよく「樹医」「樹木医」と訳されるarborist であり、その知識と経験とを駆使して樹木を管理する会社を運営している。公園の木や街路樹、個人住宅の庭木を手入れするだけでなく、苗木を植えこみに適するまで育てるナーサリー、種苗場も有しているから、日本でいう植木屋さんに近い仕事をしていると考えればそう的外れでもないだろう。

 アメリカ西海岸、カリフォルニアのベイエリアで少年期を過ごし、現在は東部ニューヨークを拠点にしている。

 その彼の会社がメトロポリタン美術館前の植栽管理を依頼されたとき、豊富だったはずの知識と経験が揺らいだことが、本書の出発点となる。見る影もなく刈り込まれたプラタナスは果たして再生し、夏には木漏れ日と葉の影が薔薇窓を思わせる日陰を地面に落とす木になるのだろうか──。

 萌芽更新による再生を期待するしかない、と腹をくくったローガンは、この特性を生かした剪定手法を学べるところはないか、どこかにマニュアルがあるはずだ、と探し始める。だが合衆国内にそれを教えられる人は存在しなかった。そもそも萌芽更新による樹木の管理自体が、どうやらすでにすたれた手法らしかったのだ。

 そんな中、萌芽更新を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとしているのはイングランドと聞き、大西洋を渡った旅のどこかの時点で、プラタナスの再生に関しては自信を取り戻していたことと思われる。それでもローガンは旅を止めなかった。萌芽更新する樹木の特性がなければ、木を原材料とするさまざまな産品を、人々が暮らしにこれほどまでに利用することはできなかったことに気づき、木々の利用が人類の歴史の礎の、少なくともひとつになっていると思い至ったから、そして行く先々で、「あそこではこんなことをやっているらしい」と耳寄りな情報を仕入れてしまい、自分の目で確かめずにはいられなかったからだ。


 本書に触れるまで、林業というものは、手ごろな太さになった木を一定の間隔で切り、周期的に植林して補っていくものという漠然とした認識しかなかった。もちろん、育ちのよくない木を間引いたり、下草を刈ったり、日差しや風の通りがよくなるように枝を払ったりと、林そのものの管理が不可欠であることは知識として知らなかったわけではないが、要するに林業は、丸太を「採取」するものだと考えていたのだ。そのイメージがあったからか、原書で使われているharvest という語に「収穫」という日本語をあてるのに、当初抵抗を感じ、何かほかにいい訳語はないかと考えあぐねていた。自然の恵みをそのままいただくのが採取だとすれば、収穫という言葉には、自然の助けを借りて自分(たち)で作ったものを採るという含意がある。

 だが読み進むうちに、萌芽更新した枝を刈り取る行為に充てる日本語には、「収穫」以外考えられなくなる。人々はかつて確かに、こういう材が欲しいという明確な意思をもって樹木に刃を入れ、芽吹いたものを収穫して念頭にあった用途に充てていたのだ。そのためにはどこをどう切ればいいのか、いつ切ればいいのか、そこまで育つには何年待てばいいのか、経験は蓄積され、世代を渡り、地域社会に継承されていった。ヨーロッパでも、アフリカでも、アジアでも──日本でも。

 ローガンが発見したのは、20世紀前半まで世界中で営まれてきた、農林・畜産一体の生産方式が解体され、萌芽更新先駆地のヨーロッパでさえも、周期的に樹木を伐採し萌芽枝を収穫する林産業は、ごく細々とした個人的な営みを除けば、ほぼ失われていることだった。長らく人間の生活を支えた木質繊維が、燃料としての薪炭が、石油とその産物であるプラスティックにとってかわられ(とはいえ、石油もまた、大昔の植物ではあるけれども)、収穫までに5年、10年と要するテンポが、拡大再生産至上の20世紀後半の時間観念と折り合わなかったのは想像に難くない。

 しかし時代は生物多様性と持続可能性の21世紀だ。そして、萌芽樹利用という究極の循環を手放すまいとする動きもまた、20世紀後半から静かに各地で進行していた。もちろん、SDGsという政策目標によってかろうじて支えられている側面もあるだろうし、技能の継承も課題ではあるだろう。けれどもローガンは旅の後半で、北欧や極東に着実に芽吹いているそうした動きを、衰退に抗う段階を越えて、具体的な手法として新たに蓄積されていきそうな営みを希望をもって見つめている。

 木材がどのように使われ、それによって人類の文明が支えられてきたかを紐解いた本は数々あるけれども、芽吹くこと、切られてもなお、そこに人との対話が成立していれば木は芽を出して応えてくれることに着目した作品はきわめて珍しいのではないか。Arborist たるローガンの真骨頂だろう。


 それにしても、樹木の、植物のなんとダイナミックなことだろう。

 今はそんな教え方はしないのかもしれないが、訳者が小学生だった半世紀ほど前は、理科の授業で「動くのが動物で動かないのが植物」と教わった。だが本書を読むと、そんな思いこみは軽々と覆る。たまたま条件のいい場所に根づけば、根と主幹はその場を死守するかもしれない。それでも、わずかな日差しの変化や風向き、人間をはじめとする動物の介入、周囲の植物との競争などによって樹形は変わっていく。まして、水の乏しい場所、うっすらとしか土のない場所、日光のほとんど当たらない場所に着地してしまったなら、わずかな日光を、水を、土を求めて、根を伸ばし、枝を伸ばし、向きを変え、這い上る。切り詰められれば横に伸び、縦に伸びられないところでは地面を覆う。

 石油製品の時代が静かに幕を下ろし、植物性素材とバイオマスエネルギーの時代を迎えようとするならば、すでに数千年も前から、植物の中の構造など見えなくても、人々がその活かし方を知り、与えようとしてくれる分だけを受け取って、一方で生育に手を貸していた歴史を、今一度見直してみるちょうどいい時機なのかもしれない。

 本書のふたつのキーワードcoppice とpollard については本文中にも語源の説明があるが、一言でこれ、と置き換えられる日本語が見当たらず、訳出に苦慮した。木を伐採する行為についても言うが、そのようにして伐採された木そのものや、そうした木々の集まった林について言っている場合もある。林業の専門書というわけではないので、あまり日常から乖離した訳語を使うこともためらわれたため、同じ原語に対して幾通りもの訳し方をしている。

 編集部を通じた萌芽更新に関する術語についての問い合わせに、伊藤哲さん、正木隆さん、山浦悠一さんなどに大変丁寧にご教授いただいたものの、訳者のこだわりから、ひょっとしたら専門的には不適切な表現となっている部分があるかもしれない。

 また、本書には日本人も複数登場する。インターネットなどで確認できた方については漢字表記にすることができたが、確認しきれなかった方は、カタカナ表記とさせていただいた。バランスを欠く表記になってしまったことをお詫びしたい。

  (中略)

 今年の北海道はとりわけ雪が多い。それでも雪の下に見えている枝には、もう膨らみかけている芽がある。若い芽がこれだけ萌え出ようとしている大地ならば、この世界もそれほど悪いところではない、とソローのように思える春を迎えられることを祈りたい。

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