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脳を開けても心はなかった―エピローグ

意識研究の未来
 あれから4半世紀がいつの間にか過ぎた。チャルマーズが予想したように、意識研究は少しずつ進んだが、当時のような熱気が持続したわけではない。大きなブレークスルーがあったわけでもない。
 哲学者と科学者の25年越しの賭けが哲学者の勝利に終わったのはその表れだろう。
 一方で、意識の理論への注目度は上がってきた。意識研究に興味のある人たちの間では、本書でも紹介した「統合情報理論」や「グローバル・ニューロナル・ワークスペース理論」が議論になっている。それ以外にも英国の神経科学者カール・フリストンが提唱する「自由エネルギー原理」など、複数の理論が話題に上る。
 正直言って、私は「これらの理論をわかるように説明しろ」と言われると頭を抱えてしまう。興味を持った方はぜひ、関連の書籍をお読みいただきたい。
 こうした理論が群雄割拠するだけでなく、実験手法も進歩した。脳の活動を測定する技術が進むことで理論の検証もできるようになる。

 そこへさらなる一石を投じたのが、AIの進化、特に一般の人にも身近になったチャットGPTのような生成AIの進化だろう。
 その周辺から新たな意識研究と、それをめぐる論争が生まれる予感がある。AIの意識を論じることが、人間や動物の意識を考えることに跳ね返ってくるのは間違いない。
 一方で、ちょっと残念なのは、かつてのように「正統派科学の大御所」の中に、意識研究に突っ込んでくる人があまりみられないことだ。
 これはいったいどうしてなのか。本書のテーマとは逆に、「なぜ、最近の正統派科学者は意識研究にのめり込まないのか」という疑問も、考えてみる価値がありそうだ。

 そしてもうひとつ、忘れてはならないのは、意識の謎の解明には、光とともに影もつきまとうということだ。
 20世紀の科学を振り返れば、それは明らかだ。核分裂反応に伴って放出される莫大なエネルギーの発見は、原子爆弾の開発へと結びついた。原子力発電の事故は大惨事を招いた。急速に進む遺伝子工学や発生工学もまた、社会との摩擦を生み出している。
 意識の謎が本当に解けるとなったら、人々は興奮すると同時に、不安も感じるに違いない。意識をコントロールする力を誰かが手に入れたとしたらどうなるか。取り返しのつかないことにならないとは限らない。

 4半世紀前に青山の国連大学で開かれた脳と意識の国際会議は「Tokyo'99 宣言」を採択して幕を閉じた。そこには、意識研究を平和利用に限って行なうという決意と願いが盛り込まれていた。
 21世紀を生きる私たちにとって、この願いは以前にも増して切実である。

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