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人類を熱狂させた鳥たち―エピローグ

世界は野生の内にこそ保たれている
   ──ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1862年)
  『ウォーキング』大西直樹訳


新時代への転換点
 2021年に、新型コロナウイルス感染症のCOVID─19が流行する中でこの章を書いていて、20年ほど前に出版されたマルコム・グラッドウェルの『急に売れ始めるにはワケがある』を思い出した。この本は、アイデアの広がりをウイルスに例えている。タイムラグがあった後、突然にウイルスが「ティッピング・ポイント〔転機〕を迎え」、急増しはじめることがある。グラッドウェルの本の批評家の中には、この本を「ひどくあたりまえのこと」の研究だと考える人もいたが、それでもベストセラーになった。2020?22年にかけて、COVID─19という感染症のパンデミック、気候変動による大規模な森林火災や洪水、そして未曽有の人類移住や世界中の社会不安など、さまざまな恐ろしい出来事が起こったが、こうした事象が私たちの地球への接し方を変える転機になるだろうかとも思う。

 2003年に起きたSARS、2009年の豚インフルエンザ、2014年のエボラ出血熱と、相次いで難を逃れたのは幸いだったが、世界的に感染症が大流行するのはほぼ必然だった。そして、何十年にもわたって否定されつづけてきた気候変動が、突然、現実のものとなり、重大な脅威になるのが明白になった。また、パンデミック期は、科学に対する考え方の転換点となる可能性がある。科学がなければ、COVID─19のウイルスは解明されず、さらに大事なことには、私たちを守るワクチンも開発できなかっただろう。

 私はこの大流行を契機に、自然に対する私たちの態度が根本的に変化するとよいと望んでいるが、他にもそう思う人は多いだろう。つまり、私たちは地球に依存しているということと、地球が適切に機能するためには慎重に管理する必要があるという点を理解することだ。現在わかってきたように、このことは、なりふり構わずに欲を追求するショートターミスト〔短期志向主義者〕と、将来を見据えてより共感をもつ人々との間でくり広げられる戦いの結果にかかっているのだろう。

 何よりも、パンデミックの最中にはロックダウンが相次いだことで、クリスマスや冠婚葬祭などのような社会的な集まりや儀式が、私たちの帰属意識や幸福感にとってきわめて重要だということが強調された。未曽有の規模で社会的機能を剥奪するという望まない実験が引き起こされたわけだが、その結果、人間の生活において儀式が果たす役割と、それが祖先にとってもいかに重要だったかをより理解できるようになった。エル・タホ洞の壁に描かれた絵は、私たちの祝祭の飾りつけに相当するもので、ハンダ湿地のよく肥えたノガンを一緒に食べるなど絆の儀式の一部と考えることもできるかもしれない。

 古代のギリシャやローマでは、エジプト人の鳥崇拝が否定されていた。このようなエリート意識は、植民地に侵略した者が他国の先住民に向ける態度に典型的にみられるが、富裕層が貧困層に向けたり、宗教的信条が異なる国民集団の間でもみられる態度である。新旧の石器時代の人々がなぜ洞窟や岩窟に動物の絵を描いたのか、エジプト人がなぜトキやハヤブサをミイラにしたのか、今日の考古学者はまだ理解できていない。スペイン人の征服者たちは、アステカやインカの民によるケツァールなどの鳥崇拝を理解しようとはしなかったし、私はイヌイットが語る鳥にまつわる物語を残念ながら理解できなかった。

 現在、異なる信念体系を受け入れて、科学に基づいた私たちの生命観と同等の重みを与えようという動きがある。私たちに理解できない文化であっても、もっと共感をもって接することは、人類史でくり返された残忍な植民地主義を解毒するのになくてはならない薬になる。一方で、自然界の仕組みについて、すべての解釈が等しく妥当なのかどうかということも問われるべきだろう。特定の文化圏では多くの人々に受け入れられていることでも、他の文化圏ではそうでないものもある。たとえば、COVID─19感染症の予防法は科学によって成し遂げられたが、先住民の知識で開発できたとは到底思えないからだ。

 私たちは、信念体系は国が異なれば違いがあると思いがちだが、実は同じ文化圏内でも差異があるし、富や教育機会の違いで格差が生じることもよくある。たとえば、卑近な例だが、アマチュアとプロの鳥類学者とで は、鳥類研究の論文に対する理解度に差がある。テレビで有名な鳥類学者に、私と同僚が書いた「ウミガラスはなぜ洋ナシ形の卵を産むのか」という長年の疑問を解決する科学論文のコピーを送った時、私はこのことを思い知らされて、みぞおちにパンチを食らったような気がした。相手は「何のことかさっぱりわからない」と言ったのだ。相手が科学的訓練を積んでいると思い込んでいたのが間違いだった。そして、あたりまえだと思い込んでいたことがいかに多いかを、自分で認識していなかったことに、科学者として愕然とした。私はさっそく、もっとわかりやすい解説文を書こうと思い立った。

 実際、野鳥愛好家の間では、科学的研究の書き方や発表の仕方についての不平がよく聞かれる。このことは、科学者もいわゆる一般向けに解説を書くことを求められる立派な理由になる。イギリスの科学研究協議会は、ふつう、研究費を申請する人に「非専門家に適した」平易な説明を申請書に含めるよう求めている。こうした応募書類を審査する際に、私はいつもこの部分を最初に読む。研究の目的を理解するためだけでなく、申請者の心の中が驚くほど透けて見えるからだ。申請者が自分の考えを単純明快に表現できなくて、がっかりすることもけっこう多い。ここには不思議なパラドックスがある。学部生だった頃は、科学の方法についてほとんど知らないで、大学院で前期(修士)や、時には後期(博士)という訓練を受けて初めて、科学的アプローチの特徴である言葉や表現方法を習得する。しかし、その技術は一度獲得したが最後、二度と解除できないようにもみえる。科学的トレーニングの儀式は、表現を一方向にしか流さないようにする心の弁のようなものだ。

 本書を書くにあたって、一番興味深かった発見は、中世の黙示録のイメージについてだった。私は世俗の育ちなので、漠然とこうしたイメージは地獄を表わすという程度で、まったく理解していなかった。2020年、2021年とCOVID─19感染症の死者数が増えつづける中で、ペストの時代に生きていた人々と同じように、私たちも「審判の日」に向かって突き進んでいるのだろうかと考えた。1980年代に放映されたバリー・ハインズ監督のテレビ映画「SF 核戦争後の未来・スレッズ」は、核戦争の惨状を私たちの居間と意識の中にもたらした。シェフィールドを舞台にした作品だったので、私にとっては特に印象が深かったこともある。ハインズが力強く描いた社会秩序の崩壊、無政府状態、そして人々が必死で食料を求める姿は、それ以来、わたしの心を捉えつづけている。この感覚は、バリー・ロペスも同じように感じている。自分自身をもっとよく知りたい、特に恐怖の根源と本質を理解したいという願望は、今、薄暗がりの世界で妖怪のように我々の前に迫ってきている。呼吸できない空気、住処を追われた人類、第六の絶滅、統治不能の政治的暴徒といった殺戮の光景の上に不気味な夜明けがやってくる。

 このようなことから、私はフェロー諸島の島民が鳥の捕獲を擁護して継続したいと言っていたのを思い出した。もし彼らの経済を支える漁業やサケの養殖が失敗したら、1800年代にアイルランド人がジャガイモ疫病で飢饉に見舞われたのと同様に、貧困に陥ってしまうだろう。海鳥(とゴンドウクジラ)の捕獲に関する伝統的な知識と慣習を維持することは、フェロー諸島の未来に対する保険なのだ。狩猟そのものには反対でも、彼らの言い分は理解できる。

 もしも、あるいは、黙示録のような状況に直面することになれば、100年余りの間に苦労して得た鳥に対する共感も、一瞬にして海の藻屑と消えるだろう。共感は、少なくともある方面にとっては、十分な資源があってこそ生まれる贅沢である。豊かならば自動的に共感が生まれるわけではない。むしろ、鶏小屋やカモメのコロニーに入り込んだキツネが、当面の必要を満たした後も余剰な殺生を続けるのと同じように、豊かさがさらなる欲望を引き起こす場合もあるのだ。キツネは好機は逃さず、余った分は後で食べるように進化してきたからだ。

 私自身、ある夏、カナダのラブラドール州でこの現象を目撃した。冬の終わりに氷が後退し、ホッキョクギツネが数頭ばかり海鳥の島に取り残された。ホッキョクギツネはおもにツノメドリを殺して回り、繁殖期が終わって残った数少ない鳥が島を去るまで、延々と殺戮を続けた。また、ラブラドールでは、地球温暖化の影響で冬の海氷が減少し、タテゴトアザラシが海氷の上ではなく本土の海岸で出産するようになった。このため、地元の人々は海氷が張る年よりも多くのアザラシの子を殺して毛皮を得ることができ、まさに天からの授かりものとなった。この前代未聞の収穫を聞いた時、私はその残虐さにぞっとした。後年、カナダ政府から事実上見捨てられてしまい、その後は数十年も困窮を強いられたという現地民の話を聞いて、初めてそうだろうと納得がいった。

自然への共感
 人と鳥との関係を形成するのに、科学が果たした役割について、私は長いこと興味を抱いてきた。『人間と自然界』を著したキース・トマスは、1600年代に科学が発展したことで、自然を搾取する態度から、自然界をより共感的に見るようになったと論じている。これに対して、小説家ジョン・ファウルズは『The Tree〔樹〕』の中で、リンネやダーウィンのような科学者は、命名したり記述することに執着した結果、私たちを自然から遠ざけてしまったと、反対の主張をしている。自然との関係における最悪の時期は、ヴィクトリア朝時代だとファウルズは述べているが、私もそう思う。鳥類学者は、科学と植民地主義の名の下に、鳥やその他の動物を殺して収集し、博物館に収蔵することに力を注いだのだ。ヴィクトリア朝では、鳥を単に食物、羽、糞(肥料)という実用性の観点から、あるいは生命の木における位置を探る知的パズルとして見ていたのだという。「今や私たちの生活のあらゆる側面に、理由や機能、収穫量などを求める依存性が浸透したので、それは事実上、快楽と同義語になっている……現代において地獄とは、無目的である」

 一見、トマスとファウルズの見解の相違は大きく見えるが、実はそれほどでもない。また、両者の見解は排他的でもない。ここで紹介したように、私たちと鳥の関係は歴史を通じておもに搾取の関係だったが、古代エジプトのトキ、アステカのケツァール、フェロー諸島のシロカツオドリ、エドマンド・セルースが観察したヨーロッパヨタカなどのように、もっと精神性の高い糸も織り交ぜられてきた。それ以前より崇高で共感に基づいたこの鳥類観は、20世紀初頭になって始まったものだが、実用性優先をじわりと追いやっていることに、私は非常に心強さを感じている。

 Fowles〔ファウルズ〕という姓は文字通り"fowl"〔野鳥〕を意味する。ファウルズは反科学、反ダーウィンの立場だが、私の感覚では、科学、特にダーウィンに始まる動物行動学、生態学、進化論の分野は、私たちをより鳥に近づけてくれたと思っている。ファウルズの見解には大いに同感できるところもあるが、見方が近視眼的であり、ヴィクトリア朝以前の数千年にわたる鳥類の搾取と、1900年前後からの態度の変化の両方を見落としている。ヴィクトリア朝時代だけに焦点を絞ったことで、根拠の弱い主張になってしまった。

 科学とは不思議なもので、一般大衆が科学者にもつイメージは、冷静で無感動な獣のような人間というものがよくある。科学のプロセスでは、客観的かつ批判的に証拠を評価することが強いられるわけだが、鳥を研究する科学者はバードウォッチングから出発した人も多く、鳥の間に身を置いてその習性を研究することで心に響くような体験を味わうことがよくあり、鳥に対する共感をもちつづけるし、それを発展させていくということもあまり知られていない。また、いわゆる「ニュー・ネイチャー・ライティング」の中には、自然に対する客観的な反応と主観的な反応をうまく融合させ、チャールズ・パーシー・スノーの言う「二つの文化」の橋渡しをするものがある。

心のときめきと科学
 1900年代初頭、アメリカでフローレンス・メリアム・ベイリーやイギリスでエドマンド・セルースが、鳥に共感する態度を提唱していたまさにその頃に「エンパシー〔共感〕」という言葉が英語に入ってきたのは驚くべき偶然だと思える。心理学では、冷静な「認知的共感」から感涙にむせぶような「情動的共感」まで連続しており、その間に「同情的共感」(論理と感情の間のつり合い)があると認めている。共感は生まれと育ちの両方によって決定されるが、それは他の多くの性格特性と同様だ。思いやりのある同情的共感は学習できること、また、人は信念や価値観の似た人に対してはより共感的に行動しやすいことが研究で示されている。それを考えると、ベルナルディーノ・デ・サアグンやフランシスコ・エルナンデスがメキシコ先住民との間に築いた関係(第6章)は特に注目に値する。

 鳥や自然界への共感がかつてないほど高まっている時代だが、COVID─19感染症の大流行が地球への関心に転機をもたらすとすれば、こうした共感がさらに必要だろう。それは簡単なことではなさそうだ。そして、人間と自然は相互作用すれば心理的な恩恵を得られることがわかってきた一方で、自然界に接する機会が激減しているのは、さらに皮肉なことである。この問題を解決する方法はいくつかあるが、一つは知識を深めることだ。アートギャラリーや遺跡を訪れる際に、その展示物を生み出した人々について何か知識を得ていた方が、より充実した時間を過ごせることはよく知られている。同様に、鳥の行動、生態、構造や進化について知識を得ることで、鳥に対する価値観を一変させる効果がある。私は幼い頃から鳥に対してある種の共感を抱いていたが、20代前半、スコーマー島での博士課程の研究中に起きたある出来事で、その共感は新たなレベルへと高められた。

 ある日、目の前の岩棚で観察していたウミガラスが、数百メートル先の海上にいる自分のパートナーを認識していることに気づいたのだ。その相手は、私の目には茶色の点としか見えない距離だった。その鳥が飛んできてパートナーのそばに着いた時、私はこれまでの経験にもかかわらず、彼らの能力を過小評価していたことを実感した。この一件で、私は鳥であるとはどういうことなのかと、想像しないではいられなかった。誰もがこのような経験をできるわけではないが、その話を伝えたり、文章に書いたり、学生に教えることで、他の人に気づいてもらえるだろう。

 最近、若い環境保護活動家が台頭しているのは頼もしい限りで、地球に対する懸念の転換点をもたらす可能性があるのは彼らの存在だ。その動機は、何もしなければどうなるかという「恐れ」と、自然界の仕組みに対する「wonder〔驚き〕」が混在しているが、一番重要なのは、自然界というスペクタクルを高く評価していることだ。wonder〔不思議に思うこと〕は、科学と共感という別々の糸を一つの織物にすることができる方法でもある。

 私と鳥との関係で最もやりがいを感じたことの一つは、2018年に、学部生のグループに初めて鳥を紹介した時だった。私は奨学金つきの指導賞を受賞したので、何かしらの指導に費やせる費用を手にした。ロンドンで授賞式が行なわれ、受賞者は一人ひとりが賞金の使い道を発表するよう求められた。受賞者たちは次々と、授業を改良したり、活性化させる方法を述べていった。私は、一年生のクラス全員を連れてベンプトンの海鳥のコロニーを観察するという計画をしていたが、それが反対されるのではないかとヒヤヒヤしていた。しかし、そんなことはなかった。

 その日がやってきた。大学の図書館の前にずらりとバスが並んだ。学部生にとっては朝八時という集合時間は早いが、全員そろっていた。

 2時間後、私たちはコロニーに到着し、紺碧の空の下で輝く白亜の崖の上を歩いた。崖は高さが120メートル以上あり、鳥たちでごった返していた。ミツユビカモメ、ウミガラス、ニシツノメドリ、フルマカモメにシロカツオドリ……。あたりには鳥の姿と匂いと鳴き声が満ちて、私には学生たちの興奮が伝わってきた。事前に、海鳥の珍しい生態や生活史、そしてこの50年間で世界的にその数が半減していることは説明しておいた。また、同僚のキース・クラークソンにも参加してもらうことにしていた。キースは1970年代に学部生 で、地元のハヤブサの居場所を明かさなかった人物だ(第10章)。彼は現在、ヨークシャーの海岸にあるベンプトン保護区でサイトマネージャーを務めている。キースはカリスマ性のある情熱家なので、学生たちの心に火をつけている様子を見ながら、私は誇りと興奮で胸がいっぱいになった。

 さらにバスでブリドリントン港まで行き、そこで遊覧船ヨークシャー・ベルに乗り込み、海鳥を海から眺めることにした。船長の計らいで、崖の下にそっと入り込み、鳥の群れのすぐそばまで接近したが、鳥たちは意外なほど気にする様子を見せなかった。

 コロニーは不協和音を奏で、匂いを放ち、並外れた生命力で脈打つ活気に満ちた超巨大組織のようで、私たちもまるで海鳥のコロニーの一員になったかのような気がした。くちばしにニシンを一匹ずつ縦にくわえたウミガラスが群れになって通り過ぎ、船首の下にはニシツノメドリとオオハシウミガラスの一団が泳いでいる、上空ではシロカツオドリが翼竜のように舞っている。100人の学部生の表情を見ていると、私の40年間の教員生活でも最もうれしい経験の一つになった。そのうちの一人でも二人でも鳥への共感を深めてくれたのなら、これ以上の喜びはないと思った。

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