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雨もキノコも鼻クソも大気微生物の世界―はじめに

空気中には、どのくらいの微生物が漂っているのだろうか? そもそも無色透明な空気は、微生物どころか、粒子すらそんなに含んでいるようには思えない。ただ、部屋の中に光が差しこみ、その光路の中に無数の埃(ほこり)が漂っているのを見たことがある人はいるだろう。この光の筋に満ちる埃こそが空気中を漂う粒子であり、その中に微生物も含まれる。

〝微生物〟は、2~10マイクロメートル程度の微小サイズの生物を言う。澄んで見える空気でも、微生物を含めた同サイズの埃を1リットルあたりに1000個くらい含んでいる。そのうち一割くらいが微生物なので、1リットルあたりに100個の微生物が身のまわりを漂っていることになる。一呼吸の吸引量を0.5リットルとすると、50個の微生物を吸引しているわけだ。ヒトは一日で約2万5000回(少なくとも)呼吸するので、一日あたり125万個の微生物を吸引している計算になる。

空気中を浮遊している微生物は、同体積の土壌や汚水に比べると希薄であるが、呼吸を通じてヒトの体に接触する機会は多い。鼻から吸引された空気は、鼻腔を通って肺に入りこむ。この過程で、鼻腔の毛(鼻毛)や鼻腔粘膜が、吸引された微生物を濾し取るフィルターの役割をする。これらのフィルターを通過した微生物が気管支や肺にまで到達してしまい、感染症や気道の炎症を引き起こすのである。

鼻毛や粘膜に捉えられた粒子は集積され、鼻腔内の垢〝鼻クソ〟となる。よって、鼻クソには多くの微生物が含まれているはずだ。鼻クソの一片で水を濁らせ、その濁った液中の微生物を染めて顕微鏡で見ると、視野いっぱいに微生物が確認された。さらに、鼻クソ液を寒天培地に塗って数日培養すると、無数の微生物コロニーが形成された。微生物は鼻の中で生きていることがわかる。時々鼻クソを食べている子どもを見かけるが、未知なる微生物を多量に摂取していることになるのでやめたほうがいいと、サイエンティフィックに思う。

ちなみに、これは私の鼻クソで、私が生活する東大阪の空気中を飛んでいた微生物であると思われる。ほかの街に住む知己に鼻クソを提供してもらって比較しようとしたが、断られた。皆、恥ずかしかったようだ。

鼻クソは微生物が凝集しているので過剰な例であるが、我々は、空気中の微生物と皮膚や粘膜を通じて常に接触していることになる。しかし意外なことに、空気中を浮遊する微生物を専門に研究した事例は未だ少ない。特に、野外や上空の大気を浮遊する微生物に関しては、自由に往来しているであろうと信じられていただけで、学術的に研究されるようになったのはこの15年くらいである。

一般的に〝微生物〟と聞くと、感染症や腐敗菌を思い浮かべ、負の側面が危惧されやすい。ちなみに、微生物には、細胞構造が単純な〝細菌〟や、カビや酵母などの〝真菌〟、ミドリムシやミジンコなどの〝プランクトン(原生生物)〟までが含まれる。これだけ多様な微生物には危惧すべき有害種ももちろんいるが、中には我々の生活に欠かせないだけでなく、高等生物の進化に欠かせなかったものもいる。また、有害な微生物はすべて地球上から消えてしまえばよいということにもならない。矛盾しているようだが、有害な微生物種であっても、人や環境にとって有益な場合もある。

シアノバクテリアは、湖沼を緑色に染め悪臭を放ちアオコを引き起こし、毒性物質などを出して水道水を劣化させるので忌み嫌われている。一方で、30億年前に進化したシアノバクテリアは、はじめて光合成で酸素を産出してエネルギーを得るようになった生命体で、生息域を海全体に広げ、大量に酸素を大気に放出し、現在の大気に近い環境を整えたと言われている。環境中に増えた酸素は、海水中に溶けていた鉄を酸化し海底に沈降させた。この沈降した鉄が鉄鉱床を形成し、現在、鉄鉱石として鉄鋼の原料になっている。さらに、シアノバクテリアは、ほかの生物細胞内で葉緑体へと共生進化し、植物プランクトンを生み出す要因となった。植物プランクトンは長い年月消長を繰り返し、海底に沈降した細胞は、海底堆積物として数億年にわたって熟成され石油となって、現代社会を支える主要エネルギー源となっている。

さらに、大気中に増えた酸素(O2)は太陽光によってオゾン(O3)へと変じ、オゾンによって地上に降り注ぐ有害な紫外線が吸収され激減した。すると、酸素呼吸で効率よくエネルギーを利用できる大型生物が進化し、陸上へと進出するようになり、植物も陸上で根を張り繁茂するようになった。植物の根に生息する根粒(こんりゅう)菌は、大気中の生物に取りこまれにくい窒素を生物が利用しやすい硝酸へと変化させ、植物に欠かせない栄養を与えている。このほかにも物質代謝を共同で担う微生物群である菌根(きんこん)菌が植物の根圏(こんけん)に生息し、植物の成長を助けている。穀物であっても例外ではなく、菌根菌が減少すると穀物の収穫量も大きく減少してしまう。

アオコは臭いし問題ではあるが、シアノバクテリアがいなければ、今の地球環境はなかった。人の糞便も臭くて汚いが、これも腸内細菌の成れの果てであり、腸内細菌がいないと非常に困る。健康な人と疾患を抱える人とでは腸内細菌の種類の割合が明らかに異なる。健康な人の腸内細菌は消化の過程で有益な物質を生産し、宿主の体を健康にするだけでなく、精神的な安静をもたらしているらしい。腸内細菌が第二の脳とも言われる所以(ゆえん)だ。そのため、疾患を抱える人に、健康な人の腸内細菌をそのまま移植し、健康増進につなげようとする試みもある。植物だけでなく、人間も微生物とは切っても切れない関係にある。

これだけ微生物研究が進展してきたにもかかわらず、先述のとおり、大気中を浮遊する微生物についてはわからないことだらけなのである。土壌や水圏には微生物量が多いので、有用な、あるいは物質循環にかかわる微生物が多く生息しているだろうとイメージしやすい。また、土壌だと土をそのまま取り、海洋や湖沼だと水をすくうだけで、少なくとも試料を得ることができ、若手研究者であったり、研究室を立ち上げて間もなかったりしても研究を始めやすい。大気中を浮遊する微生物だと、その密度は希薄であり、微生物が含まれる空気中の粒子を〝試料〟として持ち帰る段階でさまざまな課題に突き当たる。こうした煩雑なハードルのため、大気微生物の研究は敬遠されてきたのかもしれない。

本書では、この15年で盛んになってきた大気微生物の研究について、著者自身の取り組みをまじえながら、エッセイ風に紹介した。
是非とも遠くて近い、近くて遠い、大気微生物の世界を味わっていただきたい。
なお、文中の敬称は略させていただいた。

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