見出し画像

樹木の恵みと人間の歴史―本文より ニューヨークを救う木 ヤナギの再生

 わたしたちはニューヨーク市で、樹木の手入れを生業(なりわい)としている。今まで、目に触れた木を好きになれなかったことはまずないのだが、例外があるとすればおそらくこの木だ。マンハッタンの、たいそう美しくしつらえられたコミュニティ・ガーデンのど真ん中に鎮座していた。ほとんど幹だけになっていて、その太さはといえば水道管並み、ニューヨーク市のバスを、フロントグラスを下にして逆立ちさせたみたいにそびえていた。中はほぼ空洞で、何も入っていない円筒を、薄いベニヤ板ほどしかない健康な部分で取り囲んだようなものだった。幹のてっぺんや側面のそこここから、しおたれた小枝が突き出している。廃墟からにじみ出た生命の痕跡だ。

 わたしたちが手入れを任される一年か二年前に、誰かが上部の枝をほとんど刈り払ってしまっていた。狙いは定かではないけれども、想像するに、幹の健康な部分があまりにも薄っぺらく、木のてっぺんがまるで紙の管にのっけた植木鉢よろしくぐらぐらしていて、今にも通りがかりの人に倒れかかりそうになっていたからだろう。またおそらく、刈り払われた枝のほとんどが、すでに枯死していたのかもしれない。幹のてっぺんは、近くにあるしっかりした木とケーブルでつないであった。

 なぜこのヤナギは、ここで息も絶え絶えになっているのだろう──わたしたちは自問した。ヤナギといえば生命力の代名詞だ。倒れても必ず新芽を出す。嵐で折れた枝は、落ちたところに根を張り、あまつさえそこを新たなヤナギの林に変える。

 サマセット・レヴェルズという、イングランド南西部に広がる泥炭地を含む平坦で広大な湿地にあるヤナギ林は、もう1000年も前からくる年もくる年も枝を刈りこまれてきた。これは萌芽更新と呼ばれる森林利用の手法で、季節になるたびに、ヤナギは新しくしなやかな枝をすっくと伸ばす。当地には今でも、このヤナギを使って美しいサーモン色の編み垣をこしらえる会社がいくつかある。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)がきわめて密に編みこまれ、顕微鏡で見る紗織(しゃおり)のシャツさながらだ。

 マサチューセッツ州とニューハンプシャー州では、アメリカ先住民がヤナギを焼いて、生えてきた若木を魚捕りの罠に使う。時として探求心旺盛なる冒険家たち──おおむね12歳未満──が、日照り続きで干上がりかけたよどみでそうした罠を掘り起こしてしまうことがあり、感嘆の声を上げることになる。ソローが出会ったアイルランド少年の二人組は、ダリー・チャンクと名づけた道具で魚を獲ろうとしていた。それは1.2メートルほどの長さのヤナギの新枝で、先端に馬の毛をわっかにしたものが取りつけられていた。身を休めている小ぶりなパイクにそっとわっかをかけると、無造作に引き上げる。ヤナギの竿はよくしない、獲物をしめあげるのだ。

 こんな具合に、新芽を出すことにかけてはヤナギは樹木界のチャンピオンなのだが、今わたしたちの前に立つヤナギには、新芽がほとんど見当たらない。明らかに根が腐っているのだ。根ごと取り除く許可をとったほうがいいのでは?

 ところがどっこい。このヤナギは名のある木だった。E・B・ホワイトが1949年、ホリデイ誌に寄せたエッセイ「Here Is New York」でこの木のことを書いているのだという。記事は、わたしのようにこの街を愛する者なら誰しも涙を誘われる内容だ。ニューヨークは決して一枚岩ではない、とホワイトは書いている。小さなご近所が密になって、もがきながらも何かを生み出そうとしている球体の集まりで、その一つひとつに個人商店がある。

クリーニング屋、食料雑貨商、小間物屋、靴の修理屋、新聞販売のスタンド、果物屋、そしてホワイトの時代にはまだ氷と石炭の売店もあった。街はどこからやってくる人でも、惜しみなく抱きしめる。人々はそれぞれに夢を抱き、構想を練り、あるいはカバンに計画を詰めてやってくる。800万の希望が織りなす場所なのだ。ホワイトは書いている。「詩は、小さな空間に多くを詰めこむ。そして音楽が加わり、その意味を高めるのだ」と。彼にとってニューヨーク市は壮大なる詩であり、名を成した者たちがうらぶれた者たちと、偉大な芸術がさもしい盗みと、豪商がジプシーの王者と袖すり合う場所だ。

 記事の最後で、彼は当時としてはまだ目新しかった原子力による破壊について触れている。「雁の編隊ほどのちっぽけな飛行機が一飛びしただけで、この島の夢をたちまちにして無にしてしまえる。塔を焼き、橋を砕き、地下街をガス室に転じて幾百万の民を葬る」

 この恐怖の前に、ホワイトは何を対峙させたか。

 もうおわかりだろう。息も絶え絶えにくたびれはてたこのヤナギだ。ホワイトの手によれば、「長く風雪に耐え、多くのものが登り、ワイヤでなんとか支えられているけれども、この木を知る人々からはとても愛されている」。もしもこの木が朽ちることがあれば、市全体が崩壊するだろう、と彼は書く。この木が守られている限りは、ニューヨークは保たれる。

 なるほど。
 それならば。

 わたしたちは力をつくして手入れをした。年に2度、盆栽並みに刈り込み、生きている枝はできうる限り陽に当てた。ヤナギに少しでも光が差すように、周辺の木々の枝を払った。根の部分が競合するほかの木々を遠ざけた。根にフミン酸やフルボ酸を与えた。さらに、支えのケーブルを3本増やした。1本はワイヤで、2本はもっと柔らかいポリプロピレン製。5年の間、わたしたちはなんとか安全に生きながらえさせた。

 そしてある春の初め、コミュニティ・ガーデンを見まわっているときに、ケーブルが役に立たなくなっているのを見つけた。ヤナギは真っ二つに裂けてこそいなかったものの、ケーブルを渡した箇所で砕けていた。まるで焼き物が割れたかのように。わたしたちはすでにずっと前から、ヤナギに極力体重をかけないようにしていた。てっぺんを見るときには、近くのカエデの枝に結びつけたロープをよじ登って、空洞になった幹を調べたものだ。ヤナギ自体には、木質の部分はもはやほとんど残されていなかった。正直、磁器さながら に薄く、やわだった。ほかの2本のケーブルを渡したところにもひびが入り始めていた。わたしたちは大いにためらいながらも、ヤナギを撤去する許可を求めた。

 ガーデンの所有者たちも、最後にはそれしかないと認めてくれた。よく晴れた春の日、わたしたちはヤナギを倒した。幹の断面は、円形の額縁のようだった。枯れた2本の根は、すでに崩れかけている。だが驚くなかれ、グランドセントラル駅も、クライスラービルも、エンパイアステートビルも、掘りつくされたヤナギの根っことともに崩れ落ちはしなかった。ニューヨークタイムズ紙の記者が事態を嗅ぎつけ、偉大なヤナギに引導を渡すという役まわりを引き受けなければならなかった不運な連中と、わたしたちのことを記事にした。だが実際にはその反対に、手入れをするうちにわたしたちはヤナギに愛着を覚え始め、あたかもホスピスの職員のように、心をこめて木を安息へと導けたと感じていた。

 安息などという言葉がヤナギにはとんと無縁であることを、わたしたちはまだ知らなかった。

 木の残骸は大部分はチッパーにかけられ、マルチになった。枝をほんの数本、砕かずに残しておいた。若いひょろっとした枝を3本、ブルックリンはレッドフックの種苗場の隅に突き挿した。3本とも、箒の柄(え)くらいの長さだった。

 別に害にはならないし、あくまでも記念として。
 そのまま、ヤナギの枝を挿したことなどすっかり忘れていた。
 その年の秋、わたしたちは種苗場の木の棚卸をした。

アメリカサイカチ        6本
ウィローオーク         2本
ケンタッキーコーヒーツリー   4本
サービスベリー         3本

 あの隅っこにかたまっている、黄色い葉の細っこい木はなんだろう? あんなところにウィローオークがあったっけ? 似ているけれども……。黄麻布で根をくるんでいないし、鉢植えでもない。普段移植用に使っている土の中から直接生えているようだ。

 なんてこった、あのヤナギか!

 わたしはその隅っこに突進した。箒の柄は3本とも芽吹き、生き生きと葉を広げていた。死にかけていたなんてとんでもない! その時わたしが思い浮かべたのは、ドイツと英国で、無謀にもヤナギの枝を材料に大聖堂の縮尺模型を設計し、植えつけた、愛すべき連中のことだ。あの聖堂も芽吹いた。英国はサマセットのトーントンと、ドイツのアウエルシュテットに現物があって、見物することもできる。成長する建物を作るのは最高にいかしたアイディアだと感心したものだが、わたしたちのヤナギこそは、真の意味でよみがえった──植物の復活物語だ。

 このヤナギに必要なのは、要は新しい根っこだけだったのだ。古い根を根こそぎとり払うことで、なんと不思議にも、必要な新しい根ができたのだ。木質部の表皮近くにある形成層の薄い細胞は、ラテン語趣味の植物学者に言わせれば、totipotent(トティポテント) ──つまり、分化全能性がある。マーベル・コミックのスタン・リーならば、もっとわかりやすく「全能キャラ(オールパワフル)」とでも呼ぶだろう。同じことだ。植物の形成層は何もないところから、植物のあらゆる部位を作り出すことができ、根でも形成可能だ。刈り取られたばかりの〝箒の柄〟ヤナギは地面に植えられると、全能の形成層が「ふむふむ、このあたりに根が必要そうだな」とつぶやき、根を生やしたというわけだ。

 期待を胸に、わたしたちはできかけの木立を見守ることにした。1年のうちに3本の枝は何本にも枝分かれし、よく生い茂った木々になっていた。5年後には、種苗場で一番高い木になっている。種苗場の家主が電話をかけてきて、ヤナギの葉が溝に詰まって困ると苦情をよこした。わたしたちは溝を浚い、てっぺんを刈り戻した。臆せずひるまず、ヤナギはその年のうちに切られた時点の丈を取り戻したばかりか、さらに45センチも上に伸びた。今では毎年のようにてっぺんを切り戻さなければならなくなっている。オフィスの窓から外を眺めると、10メートルもの高さになってなおも上に伸びながら、ヤナギはゆらゆらと揺らぎ、箒の柄はいまや電信柱ほどの太さになっている。

 そんなこんなで、かの有名なヤナギは今現在もニューヨーク市を守っている。目下ブルックリン地区に引っ越しはしたけれども。

 市のお役所仕事に困惑したり、マンハッタンが金持ちの島になりつつあるのを目の当たりにしたりすると、このヤナギを取引材料に使ってやろうかと思わないでもない。かの尊敬すべきE・B・ホワイトが言うように、ニューヨーク市の安寧と福祉がこの木にかかっているのだとしたら、市長に向かってどすを利かせ、「市長殿、例の木はわたしたちの手中にありますが」と迫ることだってできるだろう。

 結局のところ、あのヤナギが死に絶えたら街も立ち行かなくなるのだから。

 とはいえ、わたしたちとて輝ける都市圏の周縁でもがきつつ成長を続ける界隈の一部分ではある。わたしたちとて、ホワイトの想定するヤナギを、気持ちのどこかで信じたい。ヤナギの枝を折って魚を獲ることはできても、ゆすりたかりは所詮専門外だ。

 それよりもいいことを思いついたのである。毎年、種苗場にあるホワイトのヤナギを刈り込むと、太さが直径6ミリほど、長さ60センチから1メートル20センチほどのまっすぐな枝が100本くらいとれる。これこそ、明日へつながる希望を形にしたものだ。枝で生け垣を編む代わりに、わたしたちは挿し木することにした。

 どこに?
 どこにでも。

 ニューヨーク市のどこかに、わたしたちはヤナギの枝を植えていく。そのうちの何本が根づいて成長するだろう。正確なところはわからないが、少なくとも5パーセントは生き延びるだろう。つまり、毎年5本か6本のヤナギが増えるということだ。

 目をしっかり開いて見ていてほしい。いつかそのうちの1本に、さらには2本目、3本目に、出会えるかもしれない。ヤナギはどこかで成長し、あなたを待っている。

 母なる木の成長に伴い、新芽もたくさんとれるようになったら、わたしたちにも、小さくとも成長する聖堂を作れる日が来るだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?