見出し画像

人の暮らしを変えた植物の化学戦略―はじめに

地球上の生物は、食料となる何らかの有機化合物を摂取し代謝することでエネルギーを作り、生命を維持し子孫を残している。我々人間も例外でなく、毎日食事をして栄養となるものを体内に取り込みエネルギーとして生命を維持し、繁栄している。そのもととなる有機化合物は究極的には一次生産者である植物によって与えられたものである。まさに植物に生かされていることになる。

植物は光合成を行うことで自ら生きていくためのエネルギーを作ることができるようになり、動物とは異なる生き方をするために二次代謝産物という、いわゆる植物成分を生合成しこれを利用する生存戦略を確立した。人類は、植物が自らのために生合成する二次代謝産物の存在は知らなかったが、植物の有用性を知り、有史以前から香料、スパイス、色素や生薬として利用してきた。科学技術の進歩した現代においても香料、甘味物質、色素、機能性物質、医薬品などの多くを植物基原の二次代謝産物に依存することで我々の生活を豊かにしている。我々人類は植物から計り知れない恩恵を受けていることになる。

前著『植物 奇跡の化学工場』では植物がかくも多彩な二次代謝産物をなぜ生合成しているのかに焦点を絞り、どのようにして己の生存に用いているのかという視点でお話しした。今回は、植物が生産する二次代謝産物を我々人間がいかに利用し日々の生活を豊かにしているのかという視点でお話しする。

植物は光合成を行うことで地球のエネルギー循環を駆動し生命維持を担うとともに大地に根を下ろして生きる選択をした。その結果、二次代謝産物を利用する生存戦略を進化させている。植物の二次代謝産物の生合成は人知の及ばないほど合理的かつ巧みであり、人類の最先端の合成化学技術を凌駕するものである。植物の二次代謝産物は多彩な化学構造と機能を持っている。そんな二次代謝産物をなぜ植物は生合成するのか、どのように役立てているのか、二次代謝産物とはどんなものなのかなどについて第1章で述べる。

植物は子孫を残すため受粉を効率的に行うことが必要である。また、熟した種子を広く放散し生息域を広げていく必要がある。そのため他の生物の力を借りる目的で、花から魅力的な香りを発散し、甘い蜜を提供して花粉の媒介者を誘っている。また、熟した種子を広く散布してもらうため、果実を甘くし良い香りを放ち、媒介者を誘う方法を進化させている。これらの香りや味覚は我々にとっても魅力的で、人々の生活を豊かにしているが、それらの二次代謝産物は植物によりさまざまだ。身近なバラの香りから植物由来の甘味物質まで、第2章で紹介する。

植物は、多くの草食動物や昆虫にとって魅力的な、そして必須なエネルギー源である。そのため多くの植物が食害を受けるが、植物も黙っていない。植食者が嫌がるような刺激的な味や香りを持つ物質を生合成して体内に蓄え、食害から我が身を守る方法を進化させている。しかし人間はこれらの刺激物質を嗜好品に変え、スパイスやハーブとして利用することで食生活などを豊かにするという抜け目なさを発揮している。植物が生み出す辛味や刺激物質について第3章で述べる。

四季それぞれに咲きほこる美しい花は、我々にとっても日々の生活に潤いを与えてくれるが、目立つ花の形や特に色彩は花粉の媒介を助けてくれる昆虫を誘うための植物の化学戦略である。また、熟した果実のさまざまな色も、種を広く放散し子孫繁栄のために他の生物の力を借りる植物が編み出した方法である。これらの植物基原の色素も我々人間の日々の生活に彩りを与えてくれる重要な植物からの贈り物となっている。この植物基原の色素について第4章で述べる。

植物は光合成を効率的に行うために葉を広げ、枝を伸ばしている。そのため植物は有害な紫外線を容赦なく受けることになり、多くの過酸化物にも晒されることになる。そこで、植物は有害紫外線の遮蔽や酸化ストレスを防ぐための手段として、フラボノイドやカロテノイドを生合成している。フラボノイドやカロテノイドは抗酸化活性作用をはじめとするいろいろな機能性を持っており、生活習慣病などの緩和や予防に効果がある食品中の機能性物質として期待され利用されている。食品中の機能性物質に関して、フラボノイドおよびカロテノイドを中心に第5章で述べる。

5000年以上の昔から、エジプト、メソポタミア、インド、中国など世界の文明の開かれた土地で、植物には何らかの生理活性のあることが知られており、植物基原の生薬が病気の治療に用いられてきた。その伝統は今でも医療の現場で生きている。我が国では漢方処方などに多くの生薬が用いられている。特に有名な生薬や身近な植物が生薬として用いられている例について第6章で述べる。

植物が生産する二次代謝産物の中で、特にアルカロイドをはじめとする生理活性の強いものは、古くからその存在が知られている。特に強い生理活性を含む植物の多くは有毒植物としても知られていたが、ヒトの知恵でうまくコントロールすることにより医薬品である生薬として病気の治療に用いられるようになっている。このような薬用植物の中から医薬品を取り出すことも行われ、19世紀の半ば頃から次々と生理活性物質が分離され、多くの植物基原の医薬品が開発され治療に用いられてきた。これら植物基原の医薬品について第7章で述べる。

本文中では記述できなかった関連事項で、特に興味が持たれるものについては、コラムとして紹介しているので、参考にしていただきたい。また、本文中で説明できない専門用語はできるだけわかりやすくなるように心掛けて、巻末の用語解説で説明した。

植物は単に食品として我々の栄養源になっているだけでなく、植物が生合成する二次代謝産物が我々の日々の生活を豊かにし、そして健康に大きく寄与してくれていることを感じていただければと考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?