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地球を滅ぼす炭酸飲料ー日本語版に寄せて

 私の母国語の英語で書かれた本書の初版は、2020年3月3日に刊行された。その直前の数カ月間は、表紙のデザインを選び、誤植の最終チェックを念入りに行ない、毎日が無我夢中だった。何カ月も費やした調べ物の段階は、とっくに終了していた。あの幸せな日々がなつかしい。オフィスで作業の合間に窓から中庭を見下ろし、季節の移ろいを楽しんだものだ。秋には落ち葉が舞い、冬には雪が降り、やがていつもと同じように、緑色の世界が戻ってくる。こうして空想にふける時間の合間には、データセットをつぎつぎダウンロードし、私が生まれてから50年という短い期間で、消費活動や廃棄物や気候の動向がどのように変化したのか、パターンを見つける手がかりとなる数字をくまなく調べ上げた。

 作業は楽しかったが、私の分析からは厳しい現実が導き出された。この50年間で世界の人口は2倍、食糧の生産量は3倍、世界のエネルギー消費量は4倍に増加した。日本に関しては数字がやや異なるが、それでも注目しないわけにはいかない。日本の人口はこの50年間で20パーセントしか増えていないが、エネルギーの総使用量は倍増しているのだ。こうした一連の変化が気候に深刻な問題を引き起こし、悪い流れを逆転できない可能性もあるという結論にいたった私は、できる限り率直に筋道を立てて執筆に打ち込んだ。やがて、本書『地球を滅ぼす炭酸飲料』(原題:The Story of More)を読者が手に取る日がやって来る。ついに3月、初版が書店に送られたときは、天にも昇る気持ちだった。

 ところが、『地球を滅ぼす炭酸飲料』の英語版が出版されたのと同じ週、世界では新型コロナウイルス感染症の陽性者が1日で1000人以上確認され、翌週には1日で1万人にまで膨れ上がった。そして3月が終わらないうちに、日本国内では2000人ちかくのコロナ感染者が報告され、ヨーロッパ全体が事実上ロックダウンされた。私が現在暮らしているノルウェーでは、職場も子どもたちの学校も閉鎖され、公共交通機関を利用できるのは医療従事者と公務員に限られた。みんな家にこもり、外出先は食料品店と薬局だけになってしまった。

 今日は8月20日で、『地球を滅ぼす炭酸飲料』の出版からちょうど170日目に当たる。現在、コロナの感染拡大はもはやヨーロッパでピークを過ぎた。私たちはとりあえず巣ごもりをやめて、公共の空間で仕事や遊びや学習を再開している。それでもまだ、このウイルスのワクチンも治療法も見つからないし、対処の仕方さえわからない。これらの問題が解決に向けて大きく前進するまでは、人との交流の仕方を見直さなければならない。

 いつの日かコロナが落ち着いて社会が「正常に」戻った後、かつてと同じようにエネルギーを消費し、たくさんの食べ物を無駄にして、環境を破壊するようになるのかと、私はよく尋ねられる。それに対しては、コロナウイルスによる社会活動の停止から私が学んだ最も大事な教訓を答えとして伝える。私たちは車を運転し、大人数で集まり、モノを購入し、飛行機に乗り、買い物や旅行に出かける習慣を長年続けてきたが、それはいずれも自分たちの仕事や家族や生活に必要不可欠だと思ったからだ。ところが今回、その大多数は不要不急であることがわかった。良くも悪くも、それが最善の結果だったにせよ最悪の結果だったにせよ、私たちはこの数カ月間というもの、過去50年間の消費活動によって植えつけられた習慣におとなしく従うことをやめ、それでもほとんどの人たちは生き残ったのである。

 まもなく私の大学は再開され、私も仕事を再開するだろう。たとえソーシャルディスタンスを取りながらでも、みんなと集える日の訪れを楽しみにしている。そして今回、『地球を滅ぼす炭酸飲料』がつぎの段階に進み、日本語版が出版されることを嬉しく思う。私の英文の日本語訳を誰かが読んで聞かせてくれたら、それはこの世のものとは思えない美しい響きだろう。内容を理解できないのは残念だが。いずれにせよいまの私は、本書が伝える希望に満ちたメッセージの正しさを、以前よりもさらに固く信じている。すなわち、人間には問題を生じさせる能力が備わっているが、そのなかには、問題を解決する能力が隠されている。

 私も家族や知人と同様、コロナが憎いし恐ろしい。こんなものが来なければよかったと思う。でも、韓国の偉大な詩人の柳致環(ユ・チファン)は、「希望は破れたポケットにも入り込んでくる」と書いている。少なくとも現世代ではじめて、私たちはスピードを落として立ち止まった。モノを手放し、なくても困らずに暮らした。そう、いざとなれば私たちは、どんなこともできるのだと、今回のコロナ禍は教えてくれた。

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