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魚と人の知恵比べ―序章 ビッグウッド川のトルストイがいない冬

彼は釣りが好きだったが、それはまるで、こんなばかげたことが好きだということを、
わざと自慢しているみたいであった。
──レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』
(木村浩訳)

 冬の日、ビッグウッド川に足を踏み入れると、旧友に抱かれるように流れが脚を包み込むのを感じた。凍てつく川が温かく抱擁するというのは、自然の皮肉の一つだ。
 アーネスト・ヘミングウェイはビッグウッド川で釣りをし、その川岸を死に場所にまで選んだ。彼はわかっていた。トルストイは、人間の本質を多く理解していたが、わかっていなかった、あるいは少なくとも、わかっていない登場人物を生み出した。
『アンナ・カレーニナ』でトルストイは、裕福な地主の二人兄弟を描いた。兄にとっては、畑仕事に勝るものはなかった。彼にはなぜ弟がパーチ釣りに出かけたがるのかわからなかった。一日の終わり、兄は弟にばったり出会うと、一日中釣りをして一匹も釣れなかったのに、なんでこんなに楽しそうなんだと戸惑った。
 それは珍しくもない断絶だ。釣りをする者としない者。する者はしない者に、その衝動を説明することができない。
 アイダホ州中部で毎年冬、上流階級の連中がサン・バレーの山々を滑降して、彼らなりの爽快感を得ているのをよそに、私は雪の積もった川岸を、大きくて見事なニジマスが自分のフライに食いついてくれることを期待しながら、凍ったビッグウッド川へ降りていた。十何匹も釣れる日もあれば、一匹も釣れない日もある。だが私はいつも、すばらしい一日を過ごしたあとの平穏な気持ちに満たされて、街へと帰る。魚が釣れなくても、凍えた指が真っ赤になってまったく動かなくても──そんなことは構いはしない。冬の川で釣りをした一日は、いつもすばらしい一日だ。『アンナ・カレーニナ』を書いた男に、それがわからなかったはずがない。

 バスクへの興味、それがそもそも、私がアイダホ州中部のケッチャムの街に来た動機だった。作家として駆け出しの頃、私はバスク人に関する本を書いており、その故郷、彼らの言語でエウスカル・エリアと呼ばれるスペイン北部からフランス南西部に、長く滞在した。バスク人は農場で羊を飼っており、それこそが彼らが、私が到着する一世紀前に、アイダホ州中部へと移り住んだ理由だった。
 険しく人里離れたケッチャム近くの山地によそ者を連れてくるという習慣は、一九世紀、地元の牧羊業者がスコットランド人を呼び寄せたときに始まった。畜産業の拡大につれ、地域の巨大な群れの面倒を見る羊飼いが足りなくなったのだ。アイダホ州中部では、牧羊が鉱山業に取って代わろうとしていた。スコットランド人は羊の世話について知っていたが、やがて同化すると子どもたちに教育を施し、すると子どもたちは他の分野で成功したり、新たに工業化されたスコットランドに戻ったりするようになった。ちょうど同時期、20世紀初頭だったが、ヨーロッパのバスク人の農場、特にフランス側のものは危機にあり、そのためアイダホの地域社会はバスクの農民(やはり羊について知っていた)を誘い込むことができた──農民はニューヨークのグレニッチビレッジにある建物に収容され、世話をするのに恰好の群れが見つかると、西へ向かう列車に乗せられた。その後バスク人はスコットランド人と同じ道を歩み、アイダホ州中部に繁栄した大きなコミュニティを築いた。そして20世紀末には、ペルー人が連れてこられた。
 バスクとのつながりから、毎年秋にケッチャムで開催される羊祭りで、私は講演を頼まれた。妻と娘が同行し、三人ともたちまち半原野のようなこの地域が気に入った。それでまた冬に来て、世界クラスのスキーを楽しもうということになったが、私たちの誰ひとり世界クラスのスキーヤーではないことは、なぜか頭から抜け落ちていた。私はクロスカントリースキーを好み、もっとなだらかなバーモント州のいくつかの山で経験していたが、リフトやゴンドラに乗って山頂まで行き、猛スピードで滑り降りてまた引き返すというのは好きになれなかった。スキーで最高の瞬間は、やっとブーツが脱げたときだと、私には思われた。
 初めてのアイダホの冬、私は少しだけスキーをしたが、ビッグウッド川で冬のフライフィッシングができると聞いて、スキーはやめにした。妻のマリアンはスキーを続け、娘のタリアは何日かスキーをしては何日か釣りをし、どちらもとてもうまかった。以来私は、冬が来るたびにビッグウッドへ戻るようにしている。
 ビッグウッド川は、海抜およそ2650メートルのガリーナ・サミットに端を発し、急流となって険しい山地を下る。いみじくもソートゥース(のこぎりの刃)の名を持つ山脈は、荒々しくとがって雪を被った白い山頂が一列に並び、オオカミの下顎の歯のようだ。そこで荒れ狂う流れは集まり、それから間違いなく地球上でもっとも美しい地点の一つで、サーモン川とビッグウッド川に分かれる。
 サーモン川は685キロに及ぶ峡谷を形成し、ところによってそれはグランドキャニオンより深い。岩がごつごつした急な河岸は、時にはほとんど垂直で、明るい黄緑色と黄色の地衣類に覆われ、暗く澄んだ水がその下を渦巻きながら勢いよく流れている。ルイスとクラーク(訳註:一九世紀初頭に太平洋岸までの行程を調査した探検家)はサーモン川を「リバー・オブ・ノーリターン」と呼んだ。流れが強すぎて漕ぎ上ることができないからだ。だがネズ・パース族(彼らの領域をこの川は流れている)は、上流へと漕ぐ方法を心得ていた。彼らは熟練のサケ漁師であり、この川を遡上する豊富なサケを糧に生活していた。のちに彼らは乗馬と射撃を覚えて、巧みな騎手にして必殺のライフル射手にもなり、合衆国陸軍に打ち負かされた最後の先住民となった。サーモン川の最後の族長ホワイト・バードは、降伏することも捕虜になることもなく、カナダへと逃げおおせた。
 私はサーモン川での釣りが大好きだが、冬は禁漁だ。ビッグウッドではマスは禁漁にならない。ただしキャッチ・アンド・リリースのみだが。
 サーモン川と分かれたあと、ビッグウッド川は220キロを時には楽しげに時には荒々しく流れ、ソートゥース地方のボールダー山脈を下ると、ケッチャムを少し過ぎたあたりで、川岸が低くキャスティングが楽になる。途中、別の支流が何本か合流する。その一つ、ウォームスプリング・クリークとの合流点は、すばらしいマス釣り場だ。ケッチャムを過ぎると、ビッグウッド川はリトルウッド川と合流し、マラド川となってスネーク川に注ぐ。それからすべてのアイダホ州の川同様、州を離れてコロンビア川に合流し、最後は太平洋に注ぐ。
 ビッグウッド川は決して立ち込みが楽な川ではない。冬は特にそうだ。流れは強く、川底を大きく滑りやすい岩が覆っているので、バランスを崩して転びやすい。私は転んだことはないが、もし転べば、その日の釣りは終わりだ。濡れた服を脱いで、どこかで温まらなければならない。この川には、急流の端に滞った、深く静かな瀞場(とろば)がある。そこでニジマスは好んで身体を休めたり、餌を摂ったりする。釣り人の毛鉤も含めて。
 そのようなわけでフライフィッシングには、破ってはならないルールが2つだけある。水の中で転んではならない。フライをできるだけ長く水中に保たなければならない。それ以外は状況によりけりだ。
 ニジマスは見事な造りをしている。川の中では黒っぽい背中だけが見え、うまくカモフラージュされているので、針にかかるまでほとんど気づかない。だが魚を水から引き上げると、虹がきらめくような鮮やかなパステルカラーに息をのむ。
 ビッグウッドのマスは「カットボー」と呼ばれている。ニレインボートラウトジマス特有の輝きを脇腹に持つが、時に鮮紅色が一筋、喉元に入っている。赤い筋は同属で別種のマス、カットスロートのしるしだ。この魚は近隣のスネーク川にたくさんいる。つまりビッグウッドでは、カットスロートがニジマスとどうにかして交雑しているのだ。
 ビッグウッドでは人工孵化(ふか)した魚を放流していない──これは重要なことで、なぜなら放流魚は少々鈍いからだ。彼らは天然魚のような生存技術を持たない。だから放流をしている川の価値を疑う者もいる。ビッグウッドの魚は天然物で、経験から来る知恵がある。夏のあいだひっきりなしに押し寄せる、ロバート・レッドフォード監督の映画『リバー・ランズ・スルー・イット』を見たキャッチ・アンド・リリースの釣り人の群れを相手にしているからだ。1925年にヘミングウェイは、スペインからF・スコット・フィッツジェラルドに書いた手紙の中で、天国についての自分なりの定義を明らかにした。ヘミングウェイが求めるものの一つが、自分以外に釣りが許されない、マスの棲む小川だった。冬のビッグウッド川での釣りは、そこまでではないにしても、特に寒い日にはそれに近い。だから私は冬の釣りが好きだ。私は自分だけの川を持つことができる──そして経験豊富な魚たちと渡り合わなければならない。夏の釣り人の列をくぐり抜けてきた魚は、毛鉤と、竿を持って川の中に立っているあのおかしな生き物をよく知っている。魚は学習するのだ。
 放流魚が天然魚より簡単に釣れる要因の一つが、規則正しく餌を与えられることに慣れているので、いつでも食べることだ。天然魚は事情が違う。科学者によれば、マスは水温が10℃から20℃のあいだのときに餌を摂るという。ビッグウッドではもっと冷たくなり、そして水温が下がるにつれて魚の代謝は低下して、必要な餌の量は減る。だが、それでも魚は釣れる。結局は餌を食わなければならないからだ。ある日ビッグウッドで釣ったときには、あまりに寒く糸が凍らないようにするのに苦労したが、それでもマスは食い続けた。冷たいとはいえ水温が上がってきているとき、冬の終わりにはよくあることだが、マスはよく食ってくる。だが水温が20℃を超えると、マスは餌を摂ることも繁殖することもなくなる。それどころか死んでしまう。一つには、温度の高い水には含まれる酸素が足りないからだ。マスにとって最大の脅威の一つが地球温暖化だ。(後略)

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