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時間軸で探る日本の鳥―前書き(黒沢令子)

 2020年には新型コロナウイルスが大流行し、市民の日常生活は激変した。自宅に籠る生活の影響からか、小動物を飼ってペットにしたいという関心が急速に高まったという。鳥は小さいものが多くて飼いならしやすいうえに、愛らしい行動を見せたりするので、特に人気が高い。こうしたペットブームを見るにつけ、日本人はいつの時代から愛玩用の鳥を飼う文化を持っていたのだろうかという歴史的な経緯が気になってくる。

 また、同じ鳥といっても、野生の鳥は人とは別の世界に生きている。日本の野生動物の中でも、鳥類は観察しやすく、分類群の大きさが扱いやすいサイズなので(昆虫ほど多くなく、哺乳類ほど少なくない)、行動や生態などについて比較的よく解明されてきている。そのため、人の活動が生態系に及ぼした影響を知るための指標としてもよく利用されている。

 例えば、鳥類が暮らす場所は、植物を中心とした生息環境に大きく影響される。そうした特性を活かして、環境省の自然環境保全基礎調査などのように、鳥類の個体数の経年変化を追うことで環境変化を知るモニタリングという手法にも利用されている(第6、7章参照)。

 21世紀の現在、日本産の鳥類として633種が知られている。日本列島とその周辺で進化し、ここに自然に分布するようになった鳥たちだ。本書は、『時間軸で探る日本の鳥』というタイトルが示すように、そうした鳥たちについて、いつ、どこに、何が、どのくらいいる(いた)のか?という基礎的な4つの疑問を追求することと、その鳥たちはどのような進化過程を経て、どのような事情で分布域を変化させ、人とどのように関わって生きてきたのか?という点を時間を追って探ることを目的とした。時代を遡って鳥の世界を覗き見ることは、日常のバードウォッチングでは不可能である。本書では、そうしたロマンを満たしてくれるような方法を紹介し、いずれはその手法を確立させて広めるための道筋としたいと考えた。

 本書で答えようとする、いつ、どこに、何が、どのくらいいたのか?という4つの疑問は、不幸にして今後実践的な役割をもつ可能性がある。現代では、生物のすむ環境自体が損なわれたり、失われたりして、種の絶滅率がかつてないほど高まっている。人の手によって損なわれつつある生態系は、人の責任において守る必要があるというのが保全生態学のスタンスであり、日本ではそうした活動と研究は生態系管理や順応的管理と呼ばれる(第7章参照)

 一方、損なわれた、あるいは失われた生態系を積極的に本来の自然の在り方に再生・復元させるというアイデアが、欧米で始まっている復元生態学の分野である。一度危機に陥った生態系を復元するためには、本来の健全だった状態を知ること、人に喩えれば処置が必要な高熱があるかを判断するために平熱を知っておくことが不可欠である。本書では新進気鋭の研究者たちが、過去の鳥のバードウォッチングを試みることで、この際の有力な手掛かりとなる手法と分野についての情報を提供しており、復元生態学のような新しい分野の土台にもなれるだろう。サブタイトルの『復元生態学の礎』にはこのような思いを込めた。

 第1部では、人類が誕生するよりはるか前の地質時代から先史時代までを取り上げた。鳥の骨やその化石が地中に埋もれた状態で保存されることがあり、それを丹念に調べることで古い時代であってもその場所に生息していた鳥類の姿が浮かび上がってくる。こうした分野は古生物学や考古学が得意とする研究だが、現代では分子生物学も強力なツールとなっている。この遠い昔の時代については、基礎的疑問のうち、いつ、何が、どこにいたか?という定性的な知見を期待するのが現段階では妥当だろう。いずれ、よりデータが積みあがって、定量的な評価をできる時代が来ることを願っている。

 第2部では、人間の営みの中で記録された鳥類の歴史的資料から、その当時に、どのような鳥が、どこにいたのかを探る。近世においては百科全書的な資料もあるので、現代の鳥類相の知見とどのくらい比定できるのかという定量的な評価に思い切って迫ってみる。さらに、当時の鳥が生息していた場所は現在と同じなのかという分布変化の評価も試みる。こうした定量化やデータによる分布変化の評価という作業は、歴史分野の人にはなじみがないかもしれないが、鳥類学分野との協同によってなしえた企画であり、今後、より洗練された研究が花開くことを期待したい。

 第3部では、現代の西洋流の科学的な調査方法を利用して、鳥類相を定量的に記録し、比較するモニタリング手法を紹介する。ここでは、基礎的疑問のうち、どこに、どのくらいの数がいるのか、そして変化があるとすれば、どのような原因で変化したのか?という最後の疑問に迫る。さらに、地球規模の温暖化や気候の乱れが日常化している中で、この列島に適応してきた鳥類が今後どのようになっていくのかという将来を見据えた考察も試みた。これは一つの仮説であり、日本列島の鳥たちがそのようになるか、または別の道筋を辿るかは、実はこの列島に住まう私たちの暮らしぶりにかかっている。

 本書は時代ごとに鳥の顔ぶれを紹介する必要上、いきおい鳥の名前が数多く登場する。種の名前や分類は日本と世界や、また時代によっても違いがあるので、本書では基準として日本鳥学会による日本産鳥類目録第7版(2012年)に従った。ただし、それ以後の研究で登場した新しい説を取り上げたり、亜種や外来種に言及することもあり、国際鳥学会(IOC)の目録やそれ以外の文献に準拠した場合もあるので、詳しくは各章の文献や注を参照していただきたい。

 本書は、日本列島の鳥類相の歴史を紐解くための道筋の一つを示す布石である。他にも民俗や言語など関わりのある分野があるし、地域によって異なる部分があるかもしれない。こうしたことを洗い出すためには、同じような研究を各地域ごとに、またそれを広域に渡って行うことも必要だろう。

 今後、このテーマを追求する人々にとって貴重な資料が、各地の露頭や遺跡をはじめとして、地方の博物館、教育委員会や学校などの施設や古民家にもたくさん眠っているかもしれない。そうした資料を調べるには、プロの研究者である必要はなく、地域をフィールドとする一般の研究家(シチズンサイエンティスト)でもできることかもしれない。本書が、そうした宝の山を発掘することで得られる、次世代の新しい研究分野を紹介・鼓舞する礎となることを願ってやまない。

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