見出し画像

自分の農地の風・水・土がわかれば農業が100倍楽しくなる―序章

 南北に長く、サンゴ礁から万年雪までさまざまな景色が広がり、標高が3000mを超える山岳や火山も有する列島、それが日本です。一つの国内に多様な気候があり、また食べ物があります。そこで暮らす人々には、多様な気候・地形に沿った伝統的な暮らしがあり、農業をはじめ、林業、漁業、そして製造業や工芸、さらには販売業にいたるまで、さまざまな生活、生産様式が受け継がれています。
 これらを風土と呼び、風土との結びつきと人間の活動は切っても切れない関係にあります。
 さて、そうした地域固有の風土に変化が訪れているように思います。それは受け継ぐ人たちの変化です。
 これまで人間の生活・生産活動は、それぞれの地域固有の風土に馴致(じゅんち)・順応してきました。ところが近年になり、風土と無関係に営めるように進化した人間活動が主流になりつつあります。それは、人々の暮らしが都市型になっていったのと同様に、食べ物においても伝統食への依存度が低下し、コンビニや外食で手に入るバラエティに富んだ食事であったりファストフードであったりする方向へと、人々の志向が向かっているということです。
 また農業生産スタイルも、密閉隔離型の温室での多収栽培が一般化し、種子においても地域固有の種子で栽培する人たちが激減してきました。
 その方向性が間違っているというのではありません。ただ、この傾向が続いた場合、将来的に持続可能な日本人の生活・生産様式になるのかと問いかけたいのです。
 環境の変化は、作物の生産においても顕著です。気候変動や環境汚染、資源枯渇に自然災害、海外を含めたサプライチェーン(商品生産の流れ)の分断、労働力不足、さらには予想外のさまざまな事象が発生し、それらが従来行ってきた生産体系に大きな影響を与えます。
 そうした中、汎用性や弾力性のない生産様式では、たった一つの歯車が欠けただけで、生産ができなくなります。それは飛行機の小さなリベットと同じです。小さなリベットが一つ足りないだけで、飛行機は飛ぶことができません。
 本書では、工夫や考え方で、自立した持続的発展可能な栽培・農業はできないだろうかと考えていきます。
 そもそも、地域の風土と呼ばれるものは地域固有の特性で、このマクロな風土に抗うことはできません。
 読者であるみなさん個人でできること。それは、自分の目が届く、行き届いた管理のできる空間での試み・挑戦です。菜園畑、小さな田畑、農場単位が理想だと考えます。本書ではその小さな単位を、「マクロな風土」に反して「ミクロな風土」と呼びます。
 なおここでは、ミクロな風土における基本的な考え方を、「風水土(ふうど)」と呼ばせていただきます(※本タイトルは書誌情報に整合させるため、風水土(ふうすいど)としています)。水(う)は、上空から落ちてきて地面を潤し地面に浸透していく水、つまり雨とも置き換えることができます。ですから、水を雨の音読みで「う」と読ませていただきます。
 風水土は、風・水・土の3つに分けて、それぞれを小さな単位ごとに、自立した美しい農空間をデザインすることです。その結果作り上げられた空間を、あなたの心が「居心地いい空間だ」と幸せに感じられるようになることが本書のねらいです。

■なぜいま、風水土(ふうど)なのか
 風土は、ローマ字で記すとFUUDOですが、FOOD(食べ物)と非常によく似ています。もし仮に「FOOD×風土」と表記すれば、×かけるは「作られる」という動詞で結びつきます。そうです。風土は、食べ物(FOOD)を生み出す重要な要因の一つなのです。
 本書の目的は、風土は地域固有のものであるという従来の考え方に則って、地域ごとの栽培手法を展開することではありません。ミクロな風土、つまり小さな畑の中で風水土をきちんと理解して作物を作ることができれば、日本全国いかなる場所いかなる作物においても栽培が容易になります。それを目指すのです。
「栽培が年々難しくなる。どうしたものか」という言葉をよく耳にします。それは、就農間もない若い人が言う言葉ではなく、何十年も栽培をしてきたプロ農家の声なのです。さらに、これはある地域に限定されたものではなく、あらゆる地域、あらゆる作物で生じている切実な悩みなのです。
 では、なぜ難しくなってきているのでしょうか。取沙汰されるのは、地球温暖化です。
 以前より収量が減った、甘味が落ちた。腐りが早まった。害虫が増えた。いままでなかった病気が出るようになった。短時間豪雨が増えて、種を蒔(ま)いても発芽しない。こうした栽培上の問題が多出するようになった原因を、地球温暖化という地球規模の変化に求めているだけなのです。
 その原因と結果を論述するのは、他の本に譲ります。
 なぜ、いまミクロな風土、風?土を再考しなければならないのでしょうか。それは、まさに菜園や農園で起きている諸問題が、販売されている農薬や資材の手に負えなくなってきているからに他なりません。いろいろな農薬や資材を複数組み合わせて苦労して問題を解決するというのは、非常にハイコストです。
 一方各メーカーは、そのような農家の声を重く受け止めています。だから、耐ストレス性能を向上させる遺伝子の研究や、干ばつや高温に強く病気にかかりにくくさせるバイオスティミュラントのような資材の開発に躍起になります。
 いくつかの商品を列挙しても、毎年のように発売される新商品の出現によって、常に更新しなければならなくなります。そういう農薬や資材で問題が解決するのであれば、その道を選べばいいだけのことです。
 ですが、もっと根源的な部分や仕組みを整えるといったことが重要なのではないでしょうか。仕組みは、生産する空間のデザイン、言い方を変えれば風水土をデザインすることです。『自然により近づく農空間づくり』(築地書館)の続編である本著は、前著をさらに掘り下げた、理念と技術論をあわせ持った本にしたいと考えています。これらをまとめて教示することで、今後の地球環境の変化に十分耐えうる、いや変化を克服できる方法を伝授できると考えています。

■生産高至上主義
 均一な水耕栽培(ハウスの入り口や柱の下とか、場所によって生育環境に違いが生じない)で作られる野菜たちは、一様に形が揃っていて、美しいと形容されます。一方、有機農業の現場では、大きいものもあれば小さいものもあり、不揃いで、個性的な野菜が多いように思います。個性的といえば聞こえがいいですが、市場価値は低くなります。
 不揃い、ばらばら、大小さまざま、というのは、農業経営的には改善しなければならない問題点です。家庭菜園でも、技術レベルが高まってきており、良品、さらにおいしく、さらに栄養価が高く、多収量といったものを目指しているようです。
 不揃いを改善するのには、いい土を畑全体に広げることが大事になってきます。また水やりや温風・冷風による温度調節、さらに光の強さと時間、炭酸ガス濃度も同様です。こうした諸々の要因を追究し、問題点(うまくいかない理由)を排除、あるいは一般的に推奨される解決方法で課題を乗り越えていけば、必然的に施設型の園芸スタイルへと移行していく道筋を選ばなくてはならなくなります。さらに上を目指して、施設内の軒高やフィルムの素材なども、不揃いをなくすために追究していけば、軒が高くなるし、フィルムも透過性が高い高価な素材を選ぶことになります。
 また、土に残留、蓄積していく栄養分濃度が高くなると栽培が容易でなくなり、そういう問題を解決するために、水耕栽培が正しい選択肢だということになってきます。
 施設、設備の多投入だけでなくAIやロボティクス、IoP(植物インターネットクラウドシステム)などのソフトウェアを含めた農業生産システムは、従来型を超えた次世代型農業(スマート農業)と呼ばれています。
 しかしそこでやっていることは、作業的にも経営的にもさらには思考的にも、農家の手から一つずつ離れ、外部化が進行しています。外部化しても安定した所得が確保できる、限られた優れた経営体しかできないことです。多くの普通の中小の経営体は、外部化によって、経営が悪化するでしょう。
 ですから、ほとんどの普通の農家は、ハイテクに依存せず、安価なセンサーやタイマー・計測器などを用いて、栽培状況を知り、管理していくべきだろうと思います。
 それがどのような方向性を持っているか。けっして、生産高至上主義であってはなりません。重要なのは、「作りやすい」という方向性です。それなしには、規模拡大もないのです。作りやすいから、省力化できるし、規模を拡大できるし、儲けられるのです。作りにくければ、手がかかり、農薬・肥料・資材費がかさみ、利益も少ない……。それで規模拡大すれば、経営が破綻します。(中略)

■想定する人、「解く農家」
「篤(とく)農家とは?」と質問されたら、筆者は迷わずこう答えます。「種袋の写真と同じものを生産できる人のこと」と。当然、生業としての安定した収量もついてきます。
 つまり市場システム下において、農業生産に向いている人ということです。
 種袋の写真は、種苗会社が選抜を繰り返し、能力を特化させてきた選りすぐりの種子です。それがどのような形や色になるかは、最高の撮影技術でモデルのように撮影されます。種苗会社で作り出したモデルと同じものを農家の側で再現できるのなら、それは高い技術力によるものです。多くの栽培者には、その再現が難しいのです。
 こうした篤農家にとって、筆者の理論はさほど興味がわく内容ではないかもしれません。また、生産量を最大限に高め、所得の増大を図る農家にとっても、本書に書いてある内容は取るに足らないものかもしれません。
 なぜなら、筆者は本書で、今後確実に起きるであろう、地球温暖化による気候変動、そしてそれに伴う災害、さらに栽培環境の悪化、こうした事態に対応しうる栽培のあり方を探ろうとしているからです。
 現在、農家間の有機/慣行農法の境界は不明瞭になってきています。有機JAS(日本農林規格)という法的な定めによる境界は曖昧で、「私は有機農家だ」という人はたくさんいます。単に農産物に「有機」の表示ができるかできないかだけの違いです。有機JAS認証農家は約4000戸、未認証であっても実質的に有機農業に取り組む農家は約8000戸あるようです(平成22年度有機農業基礎データ作成事業報告書)。
 当然のことですが、農薬や化学肥料を積極的に使いたがる人はいません。できるなら、使いたくないはずです。農薬や化学肥料を使う農家の中にも、アミノ酸や堆肥、ぼかし肥料など、有機質資材を使う人はたくさんいます。
 では、本書はどのような人を想定したらよいのか、本書をまとめながら考えました。結論としては、農薬や化学肥料の使用・不使用、自然栽培などを、あまり区別しません。
 別の言い方をすれば、多くの農家が、作物を栽培するための答え(コツや裏技)だけを欲しがります。どうすれば、うまく作れるか。答え(コツや裏技)を得ようとすることが間違っているのではありません。何が問題かというと、その問題を自分で解こうとしないことが問題なのです。ある農法をそのまま受け入れてしまう農家は、篤農家にはなれるでしょうが、「解く農家」にはなれません。篤農家は、お金を稼いで満足でしょうが、それだけです。100倍楽しむには、お金以外の要素が重要なのです。
 作物だけにとらわれないこと。これこそが、農業を面白くする鍵なのです。面白くする鍵は何か。その鍵は、作物圏という「異なる生物どうしが結びついた家族のような集まり」なのです。「作物圏」は筆者の造語です。作物圏は作物を取り巻く環境や生き物たちを含めた空間であり、それが風水土の最も基本の考え方なのです。(後略)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?