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藻類 生命進化と地球環境を支えてきた奇妙な生き物―訳者あとがきにかえて──地球進化と生物進化を再構築できる藻類研究の魅力

筆者が藻類に関わり始めた1970年代初頭は、藻類の多様性がわずかながら垣間見えてきた時代だった。顕微鏡の下で、さまざまな色、形、動きを見せる微細藻類の姿に魅せられた。以来、いろいろな藻類を培養して、細胞の微細構造や系統的位置を調べる研究に携わった。当時、藻類の研究は海藻が中心で、微細藻類については珪藻類、渦鞭毛藻類そしてユーグレナ(ミドリムシ)藻類に関心を持つ研究者がいたが、それ以外の微細藻類の研究者は皆無に等しかった。それから半世紀近くを経た今日、培養技術の向上、電子顕微鏡の本格活用、そして遺伝子情報の導入によって、藻類の多様性や系統、進化、生態そして藻類の生物学に関する理解は飛躍的に進んだ。

藻類が起こしてきた地球史の重要事件
この間、地球科学の発展もめざましかった。おかげで藻類の研究と地球科学の研究が呼応しあうことで、大まかながら地球史の重要事件と藻類の系統や進化を対応づけることが可能になった。たとえば、生物進化を推進する大気中の酸素濃度の急激な増加はおよそ24億年前と6.6億年前の二度あったことが明らかになってきた。

それぞれ第一次大酸化事変(Great Oxidation Event 1: GOE1)、第二次大酸化事変(GOE2)と呼ばれる。正確な年代はまだ不明だが、GOE1が引き金になって真核生物が進化し、GOE2をきっかけにして単細胞生物の多細胞化が進んだと考えられている。そして、GOE1後の原核生物から真核生物への進化で細胞の体積が100万倍に増加し、GOE2後の単細胞生物から多細胞生物への進化で体積が再び100万倍に増加したこともわかってきた。いずれも大規模な酸素濃度の増加によるものだったことは明白である。原核生物から多細胞生物への進化としてとらえると、体積が実に一兆倍に増加したことになる。単細胞の大腸菌と縄文杉の違いと考えれば想像しやすいだろう。このことから、生物界が、藻類が作り出した利用可能な酸素分子にかくも依存して進化し、現在も依存し続けていることが理解できる。

GOE1とGOE2の間の、本書でも登場する退屈な10億年についてはまだ評価が定まっていない。しかし、決して停滞した退屈な時代ではなく、実際には真核生物の多様化が進んでいた期間だったと考えられている。紅藻類と緑色藻類の化石もこの時期に遡ることも明らかになってきた。このように、藻類研究の最大の魅力は、藻類の進化と関連づけて地球進化と生物進化を再構築できることだと言ってよい。これまでに明らかにされてきた多くの事例がある。時系列に沿っていくつかの成果や可能性を紹介しよう。

現代の海洋生物の主役になった微細藻類と褐藻類
生物の陸上進出の基盤である緑色藻類の進化は、藻類研究の主要な課題の一つである。植物の陸上進出は4.5億年前とされている。そこに至る過程で地球と藻類の相互作用があった。系統解析の研究から、約7.5億年前の全球凍結(スノーボール・アース)事変であるスターチアン氷河期の後、緑色の藻類は緑藻植物と陸上植物につながるストレプト植物に分岐したと考えられる。その後の二度の全球凍結(6億年前のマリノアン氷河期と5.8億年のガスキアス氷河期)を経て、シャジクモ藻類のさまざまなグループが分岐して、4.5億年前に、ついに最初のコケ植物である苔類が陸上への進出を果たした。

なお、現存する動物のほとんどのグループが一斉に出現したカンブリア爆発は5.4億年前の事件である。これらの経緯から、動物の進化がシアノバクテリアに加えて緑色藻類の寄与によって実現した背景が見えてくる。

その後3.5億年前の古生代石炭紀に入るとシダの巨木からなる最初の本格的な陸上生態系が出現し、それ以降現在に至るまで、水圏の藻類と陸上植物が地球生態系を支えるようになった。しかし、藻類の世界では大きな変革が進んでいた。2.5億年前の古生代と中生代の境界(ペルム紀・三畳紀境界:P/T境界)は生物進化史上最大の生物大絶滅を示す事件として知られている。

この時、海産動物の95%が絶滅した。原因は特定されていないが、海洋で長期にわたる酸素欠乏状態が続いたとも言われている。特筆すべきは、P/T境界を挟んで海洋の微細藻類の主役が一次植物の緑藻植物から二次植物の藻類に変わったことである。おそらく古生代に進行した複数回の二次共生によって多様な二次植物が進化したことが、中生代以降の藻類と地球環境の関係を大きく変えることになったと思われる。

代表的な二次植物の微細藻類に渦鞭毛藻類、円石藻類、珪藻類があるが、これらの化石が中生代以降の地層から出土する。渦鞭毛藻類と円石藻類は中生代初期に出現して大いに繁栄したが、6500万年前の隕石の落下(白亜紀・古第三紀境界:K/Pg境界)後の新生代以降に多様性を減少させながらも海洋の主要な植物プランクトンとして現在に至っている。

それに対して、珪藻類は白亜紀(1.45億年~6500万年前)の初期に出現し、K/Pg境界後に多様性をさらに増して、現在の海洋植物プランクトンの主役の座を確立した。これらはそれぞれユニークな微細藻類である。ウェブで検索してみて欲しい。芸術的とも言える二次植物の不思議な姿の数々に触れることができる。褐藻類は多細胞化を果たした二次植物の海藻で、現在の海洋で圧倒的に優占している。現在の海洋は二次植物の世界であると言ってよい。

陸上に目を向けると、花を咲かせる被子植物が出現したのは中生代の白亜紀で、新生代に急速に多様性を拡大して、現在、陸上植物の95%を占めるに至っている。藻類は古い生き物と思われがちだが、珪藻類が出現したのは被子植物よりも後のことだったことは特筆すべき事実である。陸上でも海洋でも生物進化は並行して続いているのである。

ほとんどが未知の世界──発見のフロンティアである藻類
最後に、地球史との関連以外のことにも触れておこう。長い歴史を持ち、かつ多様な系統からなる藻類は、体制や体の大きさ、光合成色素、細胞の微細構造、すみか、さらに栄養・生活様式が極めて多様で、それに応じて、細胞機能や代謝産物も多様である。カラギーナンやアルギン酸、寒天、オイルなど本書でも素材としての藻類の活用の可能性が取り上げられている。まだ研究が十分進んでいるとは言えないが、生理活性物質やさまざまな薬効を持つ物質が発見される可能性は極めて高く、天然物有機化学の重要な研究対象である。本書が主張している藻類オイルの開発、実用化も必然の課題で、我が国でも研究が盛んに進められている。

藻類の生産生態学のさらなる発展も強く望まれる。長年にわたって海洋藻類の生産力は陸上植物のそれに比べて低く評価されてきた。これは調査海域が十分でなく、また水深200ートルまで垂直に分布する植物プランクトンの生産力を正確に把握することが技術的に困難だったことによる。1973年の時点で海洋の一年間の生産力は275億トン(炭素換算)で、陸上の537億トンの半分ほどと評価されていた。2007年になると、観測の回数と測定精度が上がったことで、海洋の生産力は650億トンと測定され、陸上の600億トンを上回った。

しかし、まだ過小評価されているようだ。2000年から2009年の10年間に、80を超える国から2700名の研究者が参加して実施された540回の海洋調査の研究成果をまとめた『Census of Marine Life 2010』が出版された(海洋研究開発機構HPから入手できる)。この中に驚くべきことが書かれている。海洋には10億種近くの微生物が生息している可能性があり、しかも、これらは全海洋のバイオマスの90%を占めているというのである。

これをもとに考えると、そのうちの90%以上が食物連鎖を底辺で支える生産者で、光合成細菌とシアノバクテリアそして微細藻類を含む光合成生物であると考えられる。それぞれが占める割合はわからないが、シアノバクテリアと微細藻類も相当部分を占めていると想像できる。これまでに記載された植物プランクトンは6000種ほどだから、海洋には何百倍もの未知の種が存在していることになる。つまり海洋の真の生産量、そしてそれを実現している生産者の実態はまだ何もわかっていないのである。地球生態系を理解するためには、藻類の真の多様性とバイオマスを把握することが不可欠である。

藻類はほとんどがまだ未知の世界で、ダーウィンやウォーレスが一九世紀に世界で新たな動植物を探索していた時代と同様に、ナチュラルヒストリーを進めていく必要がある。藻類は発見のフロンティアである。

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