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魚と人の知恵比べ―訳者あとがき

 世界的なベストセラー作家、マーク・カーランスキーが自身の趣味でもあるフライフィッシングについて書いた本書は、原題をThe Unreasonable Virtue of Fly Fishing(フライフィッシングの理屈のつかないすばらしさ)という。そのタイトルの通り、著者は理屈では説明しようのないフライフィッシングの魅力を、歴史、哲学、倫理学、生物学とさまざまな視点からのアプローチによって考察しようと試みている。

 訳者は小学校の高学年で釣りを始めた。中学生のころにはかなり熱中したが、その後は熱が冷め、ときどき思い出したように戻ったり、人から道具を借りてちょっとやったりといったことをくり返して今に至っている。ほとんどは海での餌釣りだ。渓流でルアーを引いたことは何回かあるが、釣れたためしはない。

 フライフィッシングについては、もちろんやれば楽しいのだろうと思っていたが、これまでやってみたいとも思わなければ、自分がやっているところも想像できなかった。道具の値が張ることもあった。どんな釣りにだって高価な道具はあるが、それは何十キログラムもある大物を引き上げる強力なリールだったり、仕掛けを200メートル以上沖まで飛ばすトップレベルの竿だったりで、そこまでの機能を求めなければ手頃なモデルもいくらでもある。ところがフライフィッシングのタックルには、少なくとも私が釣りを覚えたころは廉価なものがほとんどなく、低価格帯のものでも他のジャンルの釣り具と比べれば高く、しかも価格が機能に見合っているとも思えなかった。もちろん多少の偏見もあるが、そんなこと自分には縁遠いものだと思っていた。

 ところが本書を訳すうちに、私はフライフィッシングを始めたくなり、残念ながら時間が取れず実現できなかったが、「取材」と称して行ってしまおうかと本気で考えた。理由は説明しにくい。やはり原題のThe Unreasonable Virtue of Fly Fishing のなせる技だろうし、また、それを伝える著者の筆力の影響も大きかったと思う。

 一方で、この本は誰に向けたものなのだろうかということも考えた。フライフィッシングをする人なのか、しない人なのか。フライフィッシャーは興味を持って読むだろうが、その人たちにとってフライフィッシングのすばらしさはいわずもがなだ。餌釣りの経験はあるがフライフィッシングはしたことない私には、その魅力が余すところなく伝わった。だが、釣りを一切しない人は、本書をどう読むだろうか?

 本書13章で著者はこう述べている。「フライフィッシングの本は2つのカテゴリーに分類できる。『なぜ釣るのか?』という問いを検討する本と、『どう釣るのか?』という問いに答える本である。前者は私たちを感動させ、後者は私たちを教育する。前者はあらゆる人のための本であり、後者はもっぱら釣り人に向けた本だ」。

 ならば本書は、過去の釣り人たちが「なぜ釣るのか」をどのように検討し、「どう釣るのか」にどう答えてきたかを解き明かす本と言えるだろう。著者は、現存する最古の釣りの本とされる15世紀のA Treatyse of Fisshynge wyth an Angle(直訳すると「釣り針による漁についての小論」だが、『釣魚論』のタイトルで邦訳もある)に始まり、名著として何度も邦訳された『釣魚大全』、さらには料理本まで渉猟し、釣り、ことにフライフィッシングの起源やその思想の源流(なぜ釣るのか)、フライ、竿、リールなど釣り具の発達(どう釣るのか)、また文学に表現された釣りについて幅広く考察している。これらの何か一つでも関心が持てれば、釣りをしない人にでも、その理屈のつかないすばらしさはきっと伝わると確信している。

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