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校正の“根っこ”を考えてみた

Web校正と紙媒体の校正。違いはあるものの、根っこは同じだと思っています。

今回はその点について、大西寿男さんのインタビュー記事や著書『校正のこころ 増補改訂第二版 積極的受け身のすすめ』をもとに書いていきます。

▼Web校正と紙媒体の校正の違いについて書いた記事はこちら

たんなる“間違い探し”ではない校正

「校正って間違い探しみたい」

私が校正の勉強を本格的に始める前は、そう思っていました。

でも、今は違います。

校正者は、スキルや経験を必要とする技術職だと思っています。ただ間違いを探すだけではないですし、ただ誤りを正すだけでもないからです。

誤字脱字はもちろん、不適切な表現や事実関係の間違いは可能な限りなくしていかないといけない。それだけでなく、言葉がよりよく伝わるために、読者対象に合った表記や文字組み、表現を考えることも必要です。校正はたんなる“間違い探し”ではありませんから。

校正は「人との付き合い方」と同じ。ぼっと舎・大西寿男『校正のこころ』インタビュー | FREENANCE MAG

この大西さんのインタビューでも触れられているように、校正者はその言葉が何を伝えたいのかを、じっくり向き合って考えることが必要なのです。

決定権を持たない校正者

校正者は判断しません。添削もしませんし、指示も出しません。

校正者は日本語の規範ではないとする理由の二つめとして、原稿に対して校正者はなんの決定権をももっていない、ということがあります。このことは案外知られていないけれども、非常に重要な大原則です。

『校正のこころ 増補改訂第二版 積極的受け身のすすめ』大西寿男

大西さんの本に書いてあるように、ここがあまり知られていないところ、誤解されているところなのではと思います。

これは「校正者の名前を記載するか、しないか」という話にもつながってきます。

Web記事で校正者の名前が記載されているケースは、私の知る限りでは見たことがありません。書籍や雑誌であれば掲載されているケースもありますが、その対応はそれぞれ異なります。

私は、自分が校正したものに自分の名前があったら、うれしいと思います。自分が仕事をした証のように感じるからです。しかし、もし見落としがあった場合に、校正者が責任を問われる雰囲気になるのは違うと思っています。

なぜなら、校正者は決定権を持っていないからです。そのため、校正者が「ここは修正したほうがよいかもしれません」とお伝えしていたとしても、さまざまな理由で反映されないことがあります。

それを知らないがゆえの非難や指摘を見かけると、校正者の名前を記載しないほうがよいのではと思わずにはいられません。

ですが、私はこのような状況を変えるために、まずは校正者側が「校正者の仕事とは」といった情報を発信していくことが大切だと考えています。

最後に

校正の根っこを考えて、「たんなる“間違い探し”ではない」「校正者は決定権を持たない」という2つを挙げてみました。これは校正者自身も理解しておくべきところだと思いますし、広く知られてほしいところでもあります。

ですが、Web校正だろうと紙媒体の校正だろうと、根っこの根っこはやはり「校正はおもしろい」の一言に尽きるのではと思います。

内外の知識を総動員して、「どんな表現がいちばんふさわしいのか」を探っていく過程は、とてもおもしろいものです。もちろん、それが採用されないこともあります。でも、校正者はあくまで判断材料を提供する人。そこはわきまえています。

校正者として、日々言葉と向き合いつつ、校正のおもしろさを伝えていきたいなと思います。


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