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小説『モモタマナと泣き男』 第6話

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           2.

 高齢化の進んだこの町では、日々だれかが亡くなっている。
 「お葬式」はたいてい、町にひとつしかない葬儀場か、自宅かで執り行われることが多かった。葬儀場の前の道路に看板が出ると、どこのだれが亡くなったのか、町中にすぐ知れわたっていく。

 同様に「泣き男」の存在も、この町ではいつのまにか広く知られるようになっていた。

『泣き女は、どうして《女》だったのか』

 こんなタイトルの記事が、「町だより」に掲載されたせいもある。書いたのはもちろん民族学者の保井先生で、「泣き男」であるサワオの紹介も交えながら、昭和初期まで日本各地で見られた「泣き女」について、面白く分かりやすく書かれていた。

 さらには古今東西の「泣く」という行為について、また、町の沢女サワメ神社についてなど、身近な話も町の人々の興味をさそい、今では連載まではじまっている。沢女神社といえば、保井先生とサワオがよくいっしょに出かける場所のようだが、いったい何をしに行っているのだろう。

 とにかく、その「町だより」のせいもあり、最近では、サワオは「泣き男」として「お葬式」に呼ばれることも増えていた。

 依頼の電話は民宿にかかってくるので、真那がしぜんと日程の調整や値段の交渉などを請け負っていた。

 免許を返納した父の車をゆずり受け、マネージャーのように、サワオの送り迎えをしている。「お葬式」にもいっしょに参列する。遺族はサワオの泣き顔を見てすすり泣き、ときに慟哭が起きることもある。
 
「どうして、サワオが『泣き男』なんですか? 正直、おもてだって慈愛精神があるようには見えないし、すごくぶっきらぼうですよね」

 サワオがいないとき、保井先生に冗談まじりで聞いてみた。もちろん、サワオの泣き顔には、真那も魅了されていたのだが、サワオが泣く必然性がよく分からない。
 
 保井先生は丸眼鏡のよく似合う五十代ほどの男性で、東京の大学ではそれなりにえらい先生らしいが、そんな雰囲気はみじんも感じさせない気さくさがあった。

「たしかに『泣き女』や『泣き男』になるには、何か理由が必要です。泣くのがうまいとか、巫女的な感受性があるとか。でも、そういうものも、おそらく後づけですよね」

 保井先生はそう言って、眼鏡の奥に余裕をふくんだ笑みを浮かべる。

 後づけ? たしかにサワオは「泣き男」になろうとして、なったような気はしない。お金に興味があるわけでもないし、巫女みたいに何かが降りてきたような乗っ取られ感もない。なんというか、自分の内側から想いが湧きでているような感じだった。

「普段はあんなふうですが、実際サワオくんはとても慈悲深い人だと思いますよ。それにサワオくんには、もともと備わっている資質があります。つまり生まれながらにして、そうであるべき理由がある。おそらくは、サワオくんの意思を超越した何かです」
 保井先生は質問に答えてくれているはずなのに、真那の頭はさらなる混乱をきたしていた。

「あの、その理由というのは……?」
「そうですね。それはまだ、私の想像でしかありませんので」
 好奇に満ちた顔をしながらも、保井先生はそこでぴたりと口を閉ざした。研究者として、それ以上軽はずみな発言はできないということだろうか。

「話は変わりますが、真那さんは『涙壺』を知っていますか?」
「涙壺、ですか?」
 真那は首をかしげる。
「涙をためておく壺のことです。古代ローマ時代からあったんですよ。戦争などで離ればなれになった夫や恋人のことを想って、女性が涙をためておく壺です。イランやトルコの涙壺は、コバルトブルーのきれいなガラスでできていましてね。博物館などでも目にすることができますよ」

 保井先生はそう言って、抱えていた大きなカバンからファイルをとりだし、写真資料を見せてくれた。コバルトブルーの涙壺。たおやかな流線を描いたツルのような首からは、妖艶ささえ感じられた。

「自分がどれだけ想ってもらえたか、それを涙の量で計りたい。人間はいつの時代も、目に見えるものを望んでしまうものなのでしょうか」
 先生はそんなことを言いながら、ぺらぺらと資料をめくった。そこには、いろんな国の涙壺の写真がおさめられていた。

「あの、どうして、泣くのはいつも女性なんでしょうか?」
 素朴な疑問が真那の口をつく。先生はふっと真那を見上げると、おだやかな表情でこたえた。

「いろんな要素があると思います。女性のほうが感情表現が豊かであること、歴史的にも男性が戦場に行くことのほうが多いというのもありますよね。くわえて、西欧社会の影響も大きいでしょう。男が人前で泣くのは恥ずかしいという、西洋の慣習が日本にも入ってきました。でもね、あの強靭なヘミングウェイだって、晩年はほんとうは泣きたかったのだと思いますよ」

 先生はそう言って、ファイルをぱたんと閉じた。

「むかしの日本では、たとえば平安時代などは、男性がさめざめと泣くのはポジティブな美でしたからね。文化が涙の価値を変えるんです」

 いずれにしろ、と、保井先生はすかさず付けくわえる。
「涙を流すのは、きっと必要なことです。男女関係なく、だれにとっても」

 最後に涙を流したのはいつだったか。
 真那はうまく思い出すことができなかった。
 

 

      
          3.
 
 サワオと「お葬式」に参列した帰りだった。
 母から買い物を頼まれていたので、近所のスーパーに立ちよった。小さな町のスーパーはせまく、商品の種類も自動的に少ない。迷う余地がないので、買い物もあっという間にすんでしまう。

 レジに並んだところで「あれ?」という声がした。
「もしかして、真那?」
 目の前の店員が、目を丸くして真那を見ている。
 え、だれだっけ? 真那も見かえしたけれど、さっぱり思い出せない。
「ほらユウコだよ、ユウコ。覚えてる? 小中でいっしょだったぁ」
 金髪に見えかくれする耳元には、丸くてごつい銀のピアスがいくつも揺れている。派手な見た目とは不つり合いな、緑色のやぼったいエプロンの胸元に、「橋谷」というネームプレートが付いていた。
 
 橋谷ユウコ。
 
 記憶の断片がうっすらと浮かび上がってくる。たしか目が細くて、おかっぱで……。それで、アヤの髪をむりやり切った、あのユウコ。たしか、ユウコの好きだったナガセくんが、アヤを好きになったからとか、なんとかで。

 つなぎ合わせた記憶をもとに、店員の顔をもう一度見る。化粧のせいか面影はまったくない。
「えー、真那って、超優秀って聞いてたよぉ。町にいるの、なんでー?」
 マスクのせいで、ユウコの表情はよく分からない。笑ったような声なのに、目はちっとも笑っているように見えなかった。

 真那が返事にとまどっていると、ユウコはレジの手を止めずに、横にいたサワオの顔をちらりと見た。
「えー、サワオと知り合い? うけるっ」
 サワオはまったく動じることなく、なんならユウコの顔さえ見ずに、黙り込んでいた。普段は饒舌なくせに、こういう時は何も言わないのか。

「だれ?」
 真那がサワオに小声で訊いた。
「知らん」
 え、知らないの? 沈黙の数秒後、真那ははたと気づいた。
 サワオは、この町でそれなりの有名人なのだ。目立つ風貌にくわえて、仕事も特殊、何より「町だより」に掲載されたことがあるのだから、一方的に知られていてもおかしくはない。

「まぁいいや。帰省? 真那は都会で優雅に過ごしてるーって聞いてたよ。ほら、うちでもよく真那の話してるからぁ。車で来たの? あれおじさんの車だよね? おじさんって今どうしてるの、まだ元気なの?」
 ガラス張りの店内から駐車場に目を向けたユウコは、つぎつぎ質問をかぶせてくる。うちの車種まで知っているのかと、げんなりする。何から話せばいいのだろう。いや、できれば何も話したくはない。

 返事をしない真那を放って、ユウコはしゃべりつづける。

「ほら、スーパーでさ、おじさん万引きとかめちゃくちゃ困ったことするから。警察に来てもらっても、なかなか治んなくてさ。言うこともけっこうひどかったし。わたし、小学生の頃、おじさんに怒られたことあったなあって思い出したよ。自転車乗りながらポイ捨てしたら、ゴミはゴミ箱に捨てろーってうしろから怒鳴られてね。たしか、勤めてたの市役所だっけ? なんか、しっかりしてるふうだったのにねぇ」
 
 耳も、頬も、のども、指先も。頭頂からは蒸気が噴きだしそうなほど、体が熱くなるのを感じた。何か言わなければいけない。でも何を? ユウコには何を言っても伝わらない。そんなことは分かりきっている。

「あんたさ、口の聞き方、気をつけたほうがいいよ」
 サワオが袋の荷物をまとめながら言った。
 「は?」とユウコが半笑いする。あきらかに気色ばんでいる。
「でも、レジ打つの早くて助かった」
 そう言ってサワオは袋をもちあげると、足早にドアから出ていった。真那はその背中をあわてて追った。

「なんで言い返さないの?」
 助手席に乗り込んだサワオが、シートベルトをはめながら真那に問うた。
「あんたには、わかんない」
 サワオの言葉をはねのけながらも、まだ自分のなかにこんな意地が残っていたのかと、安堵感を覚えて妙だった。雑にアクセルを踏みつけると、車体ががたんとぐらついて、サワオの髪がふわんと揺れた。

「あんたさ、なんで怒らないの? そんで泣きもしないだろ? これだけいっしょに葬式出てるのに、涙でないの?」
 そう言われたらまだ、この町に帰ってきてから一度も泣いていない気がする。

「泣かなかろうが、怒らなかろうが、サワオには関係ないでしょ」
 前だけを見て、車を走らせる。
「なんで、そんなバリア張んの?」
 サワオは容赦がない。
「……私はね、感情がこぼれないように生きてきたの。あんたとはちがう」
「こぼれない?」
「そう、怒りも、悲しみも、喜びだって、なるべく感情がはみ出さないようにしてきたの。家でも、仕事先でも。私が怒ったらきっとその倍の怒りが返ってくるし、悲しんだらそれ以上の悲しみにおそわれる。喜んだって、結局はむなしさにつながるんだし、結局、傷つくのは自分なんだから」

 何それ、と呆れたようにつぶやくサワオのほうを、真那は見なかった。

「無闇に傷ついてたら、立ち上がれなくなる。前もってそうならないようにしてるだけ。自衛手段なの。だからサワオにとやかく言われる筋合いはない。みんながあんたみたいに強いわけじゃない。私みたいな人間だっているんだから」

 はじめて口に出す言葉ばかりだった。どうして、サワオにはこんなことを言ってしまうのだろう。

「いい調子だ」
 え? サワオが、にっと口をひらく。

「でもさ、なんで怒りや悲しみや喜びのお返しが、ナイフだと思いこんでるわけ? どうして誰かと共有したり分けあったりできるかもって思わないの? 恭造さんに、紘平に、まことにだって、きちんと今の真那の気持ちをぶつけたことがあんのか? こうしたいとか、ここがイヤだとか、ちゃんと話したことあるのか?」
 父親の名前はまだしも、なぜ夫の名前や関係性まで知っているのか。真那がひるんでいる隙に、サワオは言葉を重ねてくる。

「どうせ、分かってもらえないからとか、傷つくからとか言って、自分の感情を消そうとして、それで逃げてるだけだろ。泣いても騒いでも、事態は変わらないから? それが大人の対応だとか勝手に悟ったふりして、気どって生きてるだけだろ?」

 言いすぎだ。よくもここまで無遠慮に。何がわかる。サワオに何が――。ためこんでいた想いが、体中で膨れあがっていく。

 父には、これまで何ひとつ認めてもらえたことはない。勉強も、運動も、内面のことだって、何ひとつ。それなのに、真那がやりたいと願ったことは頭ごなしに否定して、自分の思い通りにしようとしてきたんだから。それなのに、こんなにも脅かされてきたのに、そんな過去なんてなかったかのように、すっかり萎んで記憶なくしたみたいになっちゃって。これまで悩んでた時間は何だったのよ。

 紘平には、裏切られた。真那しかいないなんて、結婚当初は甘い言葉でごまかしておいて、ほかにも女性が何人もいた。マッチングアプリでつなぎとめている人が何人も。私と結婚を決めたのは、私を選んだからじゃない。まことをいっしょに育てたいって伝えたから。紘平にとって、ただ都合がよかっただけ。だから、こうしてまことと二人でこの町に来ていても、連絡らしい連絡はない。週末まれに「元気?」程度のメールは送ってくるけど、それ以上の話をどうしてしようとしないの? たしかに損保会社で働く紘平は忙しいだろうし、ストレスもあると思う。とはいえ、自分の息子でしょう? 放置するにもほどがある。

 まことも、まことだ。まだ五歳だというのに、気づかいばかり上手になって、真那には本音をちっとも話してくれない。こっちは母親になるって覚悟を決めたのに。もっとわがままを言ってよ。こんなに想っているのに。何もかもうまく伝わらない。何もかも……。
 
 
 ハッとして、ブレーキを踏む。路肩に停車し、ゆっくり息を吸う。となりのサワオがあまりにも静かだったから、自分が声を出していたかどうか定かではなかった。

「わたし、今……?」
「うん、かなり」
 サワオは、いつになくおだやかな顔をしている。
 弔いの時の、すべてを包みこむような顔つきだった。

「いくらでも聞くから。続けて」
「つ、続けてと言われても……」
 調子が狂う。やさしい言い方ではなかったが、そういうものだとでも言いたげな、淡々とした顔だった。

「もう、大丈夫です」
 大丈夫なわけはなかったが、とりあえず大きく深呼吸をしてみると、胸の奥まですうっと空気が入ってくるのが分かった。ギアを下げると、ゆっくりと車道に戻る。

 きらめいた海面がまぶしくて、目がちかちかした。ボックスからサングラスを取りだしかけてみたけど、視界がにじんで前が見づらい。サワオはとなりで、まったく聞いたことのない鼻歌を口ずさんでいる。
 目の前の海に、空に、サワオに、すっかり飲まれているような気がして、真那は何度もきつくまばたきをした。




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