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小説『モモタマナと泣き男』 第7話 


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                第3章  葉を広げる夏

           1.
 
 今年も、うだるような暑い季節がやってきた。
 モモタマナのチューリップみたいな芽は、あっという間に幅広の大きな葉へと成長し、今では、夏の日差しを立派に受けとめてくれている。
 
 木陰に身をひそめる側からすると、その葉は献身的すぎるようにも思えたが、「モモタマナは、自分のためにも日光が必要なんだ」とサワオが言っていたので、その言葉のおかげで罪悪感も少しやわらぐ。

 「弔いの式」を行うにあたり問題だった費用は、町からのわずかな予算にくわえて、真那の提案でクラウドファウンディングを通して集めることになった。
 『身寄りのない故人を、大切に送りたい』
 そんなタイトルに予想以上の反響があり、しばらくはその資金をもとに運営できそうである。


 午前十一時。
 今日も民宿の前には、何台もの車がとまっている。

 今日の「弔いの式」は、六十一歳の男性、滝本さん。
 両親を看取ってすぐ、自身にも癌が見つかったのだという。ひとりっ子で結婚はしておらず、親戚などとも疎遠だったため、引きわたせる人が見つからなかった。ただ、近所づきあいは悪くなく、となりに引っ越してきた家族や、老夫婦なども「弔いの式」を訪れていた。

「滝本さん、早期退職をしてご両親の面倒をみていらしてね。食事も普段は自分で用意していたそうなの」
 母が台所で料理をしながら、真那に言う。
「だから今日のお膳は、ちょっと変わり種にしようかなと思ってね。ほら、滝本さん、病人食が多かったかもしれないから」

 母が弔い膳として用意していたのはなんと、ハンバーガーだった。ダブルパテに、巨大なバンズ。真那の口から思わず、えー、と声がもれる。

「近所のパン屋さんに相談したら、とくべつに焼いてくださったのよ。朝採れの野菜と、手ごねハンバーグ。玉ねぎは赤ワインで炒めてみたんだけど、どうかな」
「絶対おいしいでしょ」
 あんまりこういうの作らないからと、母は少し自信なさげだったが、味見をしたら、うなるほど美味しかった。

「もしかしたら滝本さん、こういうのもお好きだったんじゃないかなって。想像でしかないんだけどね」
 滝本さんの遺影を見る。がっちりとした体格が印象的で、丸顔の、鼻から顎にまで生えた白髪まじりのひげと、垂れた目尻が愛らしい人だった。

 まことには毎回、参列しなくてもいいからねと伝えていたが、ぼくも出ると言って、今日もサワオと真那のあいだに座ってきた。お経がはじまると、サワオは「泣き」のゾーンへと入っていき、まことも静かに目をとじた。

 と、その時だった。
「ぎゃあああ」と、大きな声がする。参列者の席のほうからだ。子どもの泣き声のようだった。その声は少しずつ音量が上がり、叫び声へと変わっていく。
 
 滝本さんの近所に住んでいたという親子が参列していたが、どうやらその子が泣いているようだった。三、四歳ほどだろうか。泣き声のせいで、お経が聞こえにくくなる。となりの母親は動揺し、その男の子を外に連れ出そうとしていた。だが、男の子はのけぞって抵抗し、さらに大きな悲鳴をあげていた。男の子が、母親の髪をぎゅっとつかむ。外に出るのも大変そうだし、連れ出したところで泣きやむかも分からない。

 ああ、と、閉じこめていた記憶がよみがえってくる。
 あれは、あの日の私だ。
 紘平と結婚してすぐの頃。まことは三歳。二人ではじめて乗った電車だった。ほとんど泣くことのないまことだったが、あの日だけはちがった。

 まことをひざにのせて座っていると、手に持っていたぬいぐるみを床に投げだした。
「落としちゃだめだよ」
 真那はかがんで、それを拾った。パンダのぽんちゃんは、まことがずっと大切にしてきたぬいぐるみだと聞いていた。まことはきょとんとした顔で、それを受けとると、また、ぽーんと床に投げだした。

 満員とまではいかなかったが、それなりの人が乗っていた。座席の前に立っていたスーツ姿の男性のひざに、ぽんちゃんがぽこんと当たってずり落ちていく。すみません、と真那は頭を下げながら、また、かがんでぽんちゃんを拾う。
「なんで、ひろうの?」
 まことが不機嫌そうな声で訊く。
「なんでって、ぽんちゃんかわいそうだよ」
 ぽんちゃんは、かわらず口元だけで笑っている。
「かわいそうじゃないよ。ぽんちゃん、たびにでるんだよ」
 まことが不満そうに口を歪ませる。
「たびって……。ここは電車のなかだよ。床に落ちたらよごれるよ」
 あたり前のことを、言いきかせたつもりだった。きちんと伝えれば分かってくれると思った。
「ちがうよ。たびしたら、つよくなるんだよ。まえのママがそういってたもん」
 まことはそう言って譲らなかった。
 きっとすごい形相だったのだと思う。まことは真那を見て、うー、ぐふん、と低い声で泣きはじめた。ぽんちゃんの首をにぎった真那の手に、ぎゅうっと力がこもって、ぽんちゃんの頭がかくんと傾く。

 まことの泣き声に、車内の視線が集まりはじめた頃だった。やりきれなくなった真那は、つい声を荒らげてしまった。
「もう、ぽんちゃんなんか、持ってこなければよかった!」
 後悔した時には、もう遅かった。
 まことは真那の顔を見て、うわあーん、と大きな声で泣きだした。周囲がざわつきだすものの、直接、声をかけてくる人はいなかった。
「まこと泣かないで」
「ね、もういいよ」
「おねがい」
 焦り、後悔、いら立ち、むなしさ。泣きたいのは真那のほうだった。感情が入り乱れ、すべてを投げ出したくなる。でも今は、とにかくなだめなければ。

 ぽんちゃんは旅に出したらいいから、ね。ぽんちゃんは床でも、外でも、どこにでも放りなげたらいいから、ね。まことのしたいようにすればいいから。ね、そうしよう。お願い、だからとにかく泣かないで。
 
 窒息しそうな空間で、そんなことをどれくらい言いつづけていたのだろう。ふと、開いた電車のドアが目にはいった。真那はまこととぽんちゃんを抱きかかえると、逃げだすように電車の外へと飛びだした。
 ようやく息を吸えた気がした。まことは鼻をすすり上げながらも、すっきりとした表情で、ぽんぽんと、ぽんちゃんをホームのコンクリートの上に落としていた。
 
             
            〇

 
「ぎゃあん、ぎゃあん、ぎゃああん」
 男の子の泣き声は、いっそう激しくなっていく。
「サワオ、どうしよ」 
 念のためサワオに訊くと、サワオは即答した。
「このままでいい」
「え?」
「子どもが泣くのは自然なことだろ。ある程度泣いたら泣きやむ子もいるし、ずっと泣きやまない子もいる。いろんなタイプの子がいる。それは大人もいっしょだ。この子はきっと後者なだけ。それだけだ」

 サワオの言葉がすうっと肚に落ちていく。真那はうなずくと立ち上がり、男の子のほうへと歩いていった。母親は額にべっとりと汗をかき、だれにともなく頭を低く下げつづけていた。
「大丈夫ですよ」
 母親がふっと真那を見る。
「ここは泣く場所なので」
 ふと気がつくと、まことが真那の横に来て、泣いている男の子の背中をとんとんと、やさしく叩きはじめた。男の子はハッとした顔をして、まことを見る。しゃくりあげた声がすぐにやむことはなかったが、少しだけ声が丸みを帯びた気がした。お経と調和した声が、青い空へとのぼっていった。

                 

「ご迷惑をおかけしました」
 式が終わると、ひっつめ髪が乱れたままの母親が、また深々と頭を下げた。
「迷惑だなんて、とんでもないです」
 真那は全力で首をふる。
「滝本さんには、この子もよく遊んでいただいたんです。いっしょにかくれんぼしたり、お菓子をいただいたこともあって。よく泣く子だから参列に不安はあったんですけど、でも最期のお別れだと思って連れてきたんです。それなのに……」
 母親はまた申し訳なさそうに頭を垂れた。

「いいえ。連れてきていただいてよかったです。滝本さんを送りだす式ですし、滝本さんもきっと、微笑んでおられたと思います」
 少しえらそうな言い方だったかもしれない。それでも真那の本心だった。

 大泣きした男の子は、式が終わるとぴたりと泣きやみ、ハンバーガーをもりもりと食べた。それから外に出て、サワオとまことと縄跳びをした。
 楽しい時間だったのか、「まだかえりたくなーい」と何度かごねたが、真那が小さなチョコレートの包みを差しだすと、照れくさそうに手を伸ばし、「またね。またあそぼうね」と、小さな笑顔を残して帰っていった。

 となりで手を振るまことに、真那は「ありがとう」と声をかける。まことは少し照れくさそうにしながら、「べつに」とこたえて駆けていった。



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