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lalalandとかいうクソ(サイコー)な映画


こんばんは。あと45分で日本VSスペイン戦がはじまりますね。楽しんでください。わたしは見ません。1人じゃつまらないので…

明日は朝ちゃんと10時には起きてコピーしようと思います。ストレッチと筋トレもします。今夜分はしました。TOEICの勉強もはじめます。3月の試験を受けようと思います。夜食を味噌汁だけに抑えられました。バイトも探しました。そういえば就活もそろそろ始めなきゃです。

この間、お前っていっつも大事なニブイチをミスってるよなー と言われました。
いつもだなんて、そんなことないです。いや、ミスってはいたのかもしれないけど今考えるとミスってないですね。

と、言うより、あらゆる選択を間違いじゃなかったことにしようと一応努力しています。日々

まあまずダイエットとケツトレです!最後に笑うのはわたしだ、というマインドで頑張ります。

LALALANDっていうかの有名なミュージカル映画が大好きなんですけど、これはずっと言ってるんですが、最後の「5 years later....」だけ本当に許せないんですよね。その上あの回想シーンですよ。あれは当時映画垢界隈でも世間一般でも物議を醸していたのをよく覚えています。

あれは、誰の?夢?て。

まあ、言うたらそんなことはどうでも良いんですけど、私は。ガチでそんなのはどうでも良くて、てかあんなの2人の回想に決まってるやんバカ言えよ!

やっぱり私は、あの運命とも言える2人が5年もお互いを放っておけたことに納得がどうしてもいかないんですよね。私がガキなんでしょうか?でも2人は夢を叶えたんでしょ?と大人は言うのでしょうか。
私だって一応夢追い人です。という自負はあります。それでも、どうしても許せないです。

だって5年ぶりに再会して、懐かしいピアノを聴けばグンと引き戻されてしまうような2人が、別々の道を歩んでいいわけないんですよ。絶対にダメでしょ。

ミアもミアで、新しい人と大恋愛をしたんでしょ。そうじゃなきゃキモいじゃん。と、いう意見もありますね。ハイ。もしそうだったら、そうだとしても、本当にキモくないですか?

でもねそうじゃないと離れた意味がないんだよね。夢を叶えて、幸せになるために離れたのに不幸だったらそれもそれで報われなさすぎ感はあります。ケド…?そもそも最愛の人間の手だけは離したらいけないと私は思うのです。なにがどうであっても。

でもこれは私がガキなんですね、きっと。最後2人は言葉を交わすでもなくただ視線を交わして、そのまま去っていくんですよ。大人ですね…♡なんそれ。いや無理!ダメダメダメダメ!意味がわからない!私には無理!

これは元カレ元カノ結局永遠1番理論でしょうか?思い出は美化され、感情の弾力性が年々下がっていくのならば、私たちはこの先一体どう生きていけばいいのでしょうか?

知り合いが読んでると思うともちろん、嬉しいんですけど、恥ずかしくて怖くてソワソワしてしまいます。環境的にはこのnoteものすごく書きにくいです。なんとか映画や音楽を使って言いたいことを遠回しに言っているつもりではあります。これは私のnoteなので、どうか、許してください。

ガラスの仮面、という 一生完結しない漫画が中学生くらいの時から大好きなんですけど、
当時はまあ、へえ!?そういうもんか?!くらいでしたが、、

〝魂の片割れ〟といういわば運命の人、ソウルメイト的な話を、本筋である演劇と並行してわりとずっとしていて
北島マヤという主人公と、速水真澄という冷血若社長が、この漫画の中ではそれにあたるという設定なのですが
2人が別々のところで、魂の片割れ についてこう、同じことを言います

そういう人に出会ったらきっと、今まで自分がどれほど孤独だったかに気がつくと思う

という感じで。このセリフね、好きです。人は元来1人だし、1人で生まれてきて1人で死にます。それが当たり前で、私も昨晩ちょい久々に帰宅して、あー、今、1人だなあと思いました。
みんながW杯を見てるであろう夜に爆睡してしまいました。まあ、寝れただけよかったかな?ちょっと孤独でしたね。

でもここで言う孤独とはそんなものではなくて、、なんか説明するのめんどくなってきたから読んでほしいわ、ただ、気づいてしまった以上、そこからずっと孤独なわけです。しんどいですね、、ほなミアセブは魂の片割れではなかったのでしょうか…?!

けれど、そんなのもまあ慣れます。私はそうでした。たとえば今晩、あの人がどこで誰といて、どんな言葉を送っていようと、誰の隣で眠りについていようと、そんなことはもうどうでもいい。同じ地球のどこかで健康に生きていて、思い出さなくとも忘れずにいてくれたらいいや。という、そういう感じ。

いやけどやっぱり5年は無理かも、、。歳を取ったら違うのでしょうか…半年先すらも何が起こってるか分からないもんね。それなのに、1年は長い。そのくせ、人生は短い。だから本当はこんなんじゃだめなのに、、でも私もなんだかんだ言って5年くらい結局、経ってそうな気がします。そして、それでもいいのではとさえ思いますね。

話が前後しまくりなのですが、LALALANDでミアの言う「I'm always gonna love you.」というセリフが大好きです。この先もずっとあなたを愛しているわ、というセリフ。永遠はない、人は死ぬし、別れは来る。それでも、この先ずっとです。

『ガラスの仮面』に登場する「紅天女」という作品中に、「死ねば恋が終わるとは思わぬ」というセリフもあります。マヤはこれに白目向くんですけど。死ねば終わるわけでもないらしいです。死んだことないので分からないですが…でも、感覚はわかります。ずっとって、そういうことなんでしょう。

『クラウドアトラス』という輪廻転生の映画があります。性別や身分を理由に前世では結ばれなかった2人が、時を経て来世で結ばれたり違う形で出会ったりします。

こういう作品がパッと思いつくだけでもこんなにあるのです。人は皆、正解にできなかった選択が正解になるいつか、5年後か数世紀後か、その"いつか"に期待しているのでしょうか…

皆さんは何か思い残したことはないですか?後悔はありますか?いまだに正解にできていない選択はありますか?忘れられない人はいますか?みんなは一体どうその感情や過去と向き合ってどう消化して、どういう形で抱えていますか?本当に時間が解決してくれるのでしょうか?それに必要な時間が、5年だったということなのでしょうか?それでも結局、引き戻されていたら、それは、どうなんでしょうか。。それもそれで仕方がないことなのでしょうか。。

起きて昼ごはんを食べ、コピーを進めます。私の計画はロングスパンなので。ここからゆっくりいきましょう。


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