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八百屋と泥棒(短編小説)

 よく晴れた朝の商店街。真っ直ぐ伸びる一本道を、児童たちがパタパタと駆けていく。街灯には商店街が主催する桜祭りのポスターが貼られ、そより、春風に揺れていた。
 商店街の中ほどには、一軒の八百屋。寡黙な店主の代わりに、じりじりと鳴る裸電球が、並んだ野菜を照らして売り込んでいる。近所の奥様方からは「あそこの野菜はスーパーより質が良いが、店主は大きなじゃがいもよりも無口だ」ともっぱらの評判である。

 商店街では毎年、祭りの係を決めている。皆んなが口々に「これこれこういう理由で今年はできない」と断るなか、八百屋だけが黙っているものだから、今年も係を押し付けられた。
 ただでさえ店では、今晩の献立を一方的に相談してくる主婦や、「トマトはフルーツの仲間ではないのか」と得意げに迫ってくる小学生の相手もある上、祭りも近づいており、手一杯である。
 同じく祭りの係を務める時計屋は、いつ顔を合わせても最近入荷した新作の秒針のことばかり話してくるし、文房具屋はぶつぶつと偏屈なうわ言を並べていて気を揉むばかりだ。
 疲れの溜まった八百屋は、今日もこっそり、秘密の場所へと出かけた。

 皆んなが寝静まった夜の商店街。
 小さなスーパーの野菜コーナーにはつややかな野菜たちが整然と並んでいる。野菜棚の間のひんやりした通路に横たわり、壁際の冷蔵庫がヴゥンと響く音を聞きながら目を閉じるのが、八百屋の唯一の楽しみだ。
 もちろん、スーパーの鍵は閉まっているが、がたついた大きな窓があり、そこからこっそりと忍び込むことができる。気が済むとまたこっそりと抜け出して、朝には店に戻る。不思議とスーパーの店主に怪しまれている様子もなく、見つからずに上手くやれているのだった。

✴︎✴︎✴︎

 ある夜、八百屋がいつものようにスーパーのきゅうりとかぼちゃの間に横たわり、目を閉じて深呼吸をしていると、忘れ物をした店主が懐中電灯を片手に搬入口の鍵を開けて入ってきた。
「0時前なんて、自分の店とはいえなんだかおっかないな。最近は物騒だと聞くし、店内の見回りもしていこう」
 ついに見つかってしまうかもしれない。店主の独り言を耳にした八百屋は飛び上がり、アイス売り場を抜けて裏口へと一目散に駆けた。

 銀色の冷たい扉を押し、無我夢中でスーパーから出た八百屋は、危うく転びそうになった。裏口を出た先の暗い道は、おおよそ八百屋の商店街にはない大きな丸い石畳の小道だったのだ。
 体勢を立て直してみると、向こうから黒ずくめで覆面をした男が近づいてきた。何かから逃げるようにこちらへ向かってくる男を前に、八百屋は思わず道を譲ってしまった。余計な会話に発展せぬよう、いつも八百屋がしていることだ。
 気がつくと、八百屋の背後ではスーパーの裏口の扉が音を立てて閉まった。男が中へ入って行ってしまったのだ。八百屋も後を追って戻ろうとすると、今度は扉がびくともしない。どうしたものだろう。

 仕方がないので、八百屋は恐る恐る石畳の道を先へと進んだ。
 奥には樽のような木でできた古びた戸があり、手をかけるとギィと音を立てて開いた。中は天井の低い屋根裏のような形になっており、大小さまざまな荷物が雑多に並んでいた。倉庫として使われているらしいそこには、嗅いだことのない異国の埃の様な香りが漂っていた。
 倉庫の奥をよく見ると、鈍色に光るケースを携えた覆面の人影があり、「早く来い!」という身振りで八百屋を奥へ呼んでいる。おそらく、先ほどの男と勘違いされている様だ。すれ違った男の焦りぶりを思い出し、八百屋はひとまず呼ばれた方へついていくことにした。

 どうやら、自分がついていっているこの一団は、盗みを働いているらしい。
 八百屋がそう気がつくまでには、まあまあ長い時間を要した。なぜなら、裏口の先の世界の不思議さにすっかり目を奪われてしまったからだ。

 覆面集団の最後尾、音を立てぬように侵入する商店街の店は、どこか不思議なものばかりだった。
 まず、時計屋。カチカチと時を刻む振り子の代わりに、色とりどりの鳥たちが並んでいた。夜中だからか、皆んな眠そうに時刻を鳴くのだった。鳩時計が好きな人からしたら、これこそが天国だろう。
 日が昇る頃、マンホールの中へ降りながら仲間から聞いたところによれば、この街では文房具屋で毎日誰かが一本の鉛筆を買うことで、商店街の平和が保たれると信じられており、それを知るごく少数の者たちが足繁く文房具屋へ通っているのだという。そんなことって、あるだろうか。
 太陽が傾き日もかげる頃、スーパーにも行ってみると、こちらはあまり変わったところはないようだった。ただ、見慣れた特売の呼び込み機があったので点けてみたところ、これが円周率をメロディアスに歌い上げ始めたので、八百屋は眉間に皺を寄せた。

 そのスーパーにも野菜の棚があったが、不思議とそこへ横たわる気にはならなかった。この商店街のもっと他のところも見てみたいと思った。八百屋はそんな自分に驚きながら、仲間に連れられアジトと呼ばれるところへ戻ったのだった。

 一味のアジトで一息ついた八百屋はふと、「今は何時だろう」と考えた。あたりは夜。あのスーパーを出てから、早くも一日が経とうとしているのではないか。時計も鳥も不在の部屋ではそれを知る術もなかった。
 明日の朝には、店に立たなくてはならない。身体に染み付いた習慣で現実に引き戻され、八百屋は帰路に着くため立ち上がった。

✴︎✴︎✴︎

 一方、スーパーの裏口に駆け込んだ覆面の男はどうしていたか。
 この男、何を隠そう泥棒である。
 八百屋とすれ違う前、倉庫にお宝を隠していたところ、スピーカーから聞こえる捜査官の呼びかけに思わず返答してしまい、居場所がバレたと一目散に逃げてきたところだった。
 「黙るが花」と言われる泥棒の仕事は、仲間もみんな無口で、これがどうにも性に合わない。ひょんなことで決めた仕事だが、「口から生まれた」と言われる生来の話し好きが支障をきたすばかりだ。こんな見つかり方をしたのも、当然、初めてのことではなかった。

 無我夢中で倉庫の裏口から逃げた先、見慣れぬ小道に現れた扉を開けると、そこは自分の知るスーパーではなかった。がたついた窓から外へ出ると、商店街そのものが見知ったものとは違っていた。ふらふらと見物するうちに辿り着いたのは、美味しそうな野菜の並んだ八百屋の軒先。店先に出ていた椅子に腰掛け、覆面を取った途端、疲れがどっと襲ってきて、ひと眠りしてしまった。

「おはようさん。おなす、くださいな」
 声をかけられて泥棒が目を覚ますと、そこにいたのは見知らぬ女性。この商店街の老舗の漬物屋の女将である。
「おはようございます。これはこれは、お美しい貴婦人が目の前に。朝から私は幸せ者ですね。いかがされましたか」
 いつもは無言でずっしりとしたなすが差し出されるところ、急に流暢なおべっかが返って来たものだから、女将は目を丸くした。しかもこの人、こんなお顔だったかしら。女将はじっと見つめ返して、首を傾げた。
「そんなに見つめられては困ります奥様。あなたを照らす朝の光が私に嫉妬してしまう。見惚れるのであればこちらの立派なお野菜。こんなに新鮮そうなものはそうそう見ませんよ」
「いやねこの人、その野菜を売るのがお前さんの仕事でしょう。あ、そうそう、おなすよ、おなす。二袋お願いね」
 泥棒の仕事では滅多にない、人との軽快な会話のやりとり。嬉しくなった泥棒は、こうなればひとまずここの野菜を皆んな売ってやろうと腕捲りをした。

「おや、今晩はロールキャベツですか。いやあ羨ましい。うちのきゃべつはロールキャベツにぴったりです!夫さんもお子さんも、揃っておかわりおかわりの大合唱になりますよ」
「まあ嬉しいね、ありがとさん。お金置いておくよ」
「毎度ありがとうございます! 良い一日を」

「やあ坊ちゃん、おつかいする時も元気だねえ! でもね、こっちのそらまめも負けてないよ! これおまけだよ、お母さんに持ってきな」
「おじさん、ありがとう!」

 この商店街の漬物屋、菜漬けの石はズシリと重いが、女将の口は羽より軽い。八百屋の店主が、人が変わったように口が上手くなったとの評判はあっという間に商店街を駆け抜け、質の良い野菜と相まってその日は大繁盛となった。
 売る物が何もなくなった夕方深く、泥棒はハッとした。一日夢中で気がつかなかったが、隠してきたお宝はどうなった?

✴︎✴︎✴︎

 深夜0時。八百屋と泥棒は昨晩互いにすれ違った小道を求め、それぞれ倉庫とスーパーの裏口へと向かった。
 ガチャリと開く扉の先、一瞬視線を交わす小道の二人。
 八百屋も泥棒も、会うのはこれが最後ではないような予感がした。

✴︎✴︎✴︎

 何事もなかったかのように、これまで通りの日常が戻った――かのように思えた。

「立て板に水の口上が聞ける」という八百屋の噂を聞いて押し寄せた商店街の人々は、手の裏を返したようにしんと無口な店主を見て「あの日はきっと何かがおかしかったのだろう」と帰っていった。
 八百屋はあの日、いつもと同じ品質にもかかわらず、開業以来初めて空っぽになった店の棚を見てから、その衝撃を忘れられずにいた。生き生きとした野菜が並ぶ店先はいつもの風景かのように思えたが、何かが前と変わってしまっているのが分かった。
 八百屋は前よりも強く、スーパーの野菜コーナーでの安眠を求めるようになったが、通路で目を閉じるとどうしても、あの銀色の裏口が気になって仕方がなかった。

 泥棒は泥棒で、何か口を開くたびに「この間みたいに静かにしていればいいんだ、やればできたじゃないか」「この仕事は話す必要なんてない、闇に潜んで黙って進めるのが一番」と仲間の誰もから言われた。その度、緑黄色の瑞々しい野菜たちを街の人と談笑しながら売っていく、八百屋での時間を恋しく思った。

 泥棒がまた裏口の扉に手をかけ、八百屋もそれと交代するように、互いの世界と頻繁に行き来するようになるまでは、そう長くはかからなかった。

✴︎✴︎✴︎

 もはや、裏口を介した往来は、日常と化していった。
 八百屋は、不思議と居心地の悪くない世界に慣れ、裏口の扉に手をかける日の方が多くなっていた。泥棒にいたっては、盗みに入っているときでもお構いなしに、何かを手にすると売り文句を考えてはひとりほくそ笑み、自分の本分を忘れかけていた。

 0時になると開く扉。次の0時に戻れる扉。
 そのまた次の0時を逃すとどうなるかは、二人とも知らなかったが、なぜだかそこを逃せば取り返しのつかないことになるという直感があった。

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 八百屋には、昔から夢があった。野菜の仲間になりたいという夢が。
 夜の静かなスーパーで、青物たちと心の声を交わす時は夢見心地だった。八百屋が良い野菜を目利きできるのも、野菜と気持ちを通わせるまでに精通しているからだ。
 いつしか八百屋は、泥棒のアジトで妄想するようになった。自分の一味を持てたら、子分たちは野菜のコードネームで呼ぼう。のっぽはにんじん、アフロはブロッコリー、ひげはもろこし、坊主はたまねぎ。それは理想郷だった。言葉を発しない静かな野菜集団。一味の通称は〝八〇八〟――。一度抱いたそんな夢は、八百屋の脳裏に焼き付いた。

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 秋も終わるある日のこと。

 八百屋の店先に立つ泥棒の耳に、ある噂が届いた。
 明日未明、隣町の大きな料亭から秘密の相談がある。どうやら、調理場の仕入れ先をこの八百屋に変える計画があるそうだ。本当ならば、かなり大口のお得意様になりうる話。隣町の料亭の料理長とは、立ち話から仲良くなり、朝まで語らったこともある関係だ。泥棒は、さらに繁盛して賑々しくなる八百屋の未来を想像した。

 時を同じくして、泥棒たちのアジトで、八百屋は一件の報せを聞いた。
 この盗賊の一味に、明日、裏警察の取り調べが入る。これは確かな筋の情報で、街の日頃の盗難事件について、裏で糸を引いていると疑われているそうだ。そうなると、一番弁の立つ捜査官の、拷問のような質問攻めが続くのだそうだ。その取り調べでは皆んなことごとく口を割ってしまうから、毎度一味の中でもとりわけ寡黙な人間が行くのだと。そして、来たる取り調べで一言も発しなければ、その功績で一味の新たなボスにもなりうる、と。

 店先の野菜と過ごす泥棒と、アジトで沈黙を貫く八百屋に、0時が刻々と近づく。
 二人は、それぞれに決意をした。

 その晩以降、裏口の扉が開くことは一度もなかった。

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