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思い出写真と作品としての写真

写真と一概に言ってもこの二種類の写真を僕は撮っていて、更に付け加えるなら記録としての写真とメモ的な写真があって、記録としての写真とメモ的な写真については語るところなんて無いのですが、思い出写真と作品としての写真は自分の中でハッキリ違っていて、思い出の写真って構図云々なんて全く関係無いと思っててこの時のその場の空気感とか雰囲気とか、その時の事が思い出されるような写真であとでこんな事あったなとかこんな時もあったなって思い返せるようなそういう事がしたくて撮ってるというか、他所の人が見たらこの写真なに?っていう写真ほど本人たちはその写真に思い入れがあったりして、そういう写真って良いなって思って日々撮り続けてて、それはもう返ってこない時間とかを取り戻そうとしてしまうような、そんな行為にも似ててこういう事をやり始めるとやめる事が出来るなくなるんですよね。

かと言って止めようとか止めたいとかも思わないんですけど。

作品としての写真って見た目カッコイイとか綺麗とか第一印象はそういう感じだけど少なくともそれ以上でもそれ以下でも無いのかなと。

思い出の写真って見返してる時の状況とか心情とかそういうものが加わっているから、見返す度に写真に対する見方が変わったりしてその写真の存在が見てる人に対して変化があったりする。

思い出の写真ってそういうものなんだなと。
作品の写真ってこういう写真が撮りたいと思ってて、そういう写真を真似たりして撮ろうとしたり撮ってみたりする事が殆どだなと気付いたらなんかつまらないなと思って、大好きな人とか友達とか楽しかったシーンとかそういう写真の方が自分にとっては圧倒的に存在価値が高いなってあらためて気付いた時にそういう写真をたくさん撮るようなになってて、作品としての写真を撮るのが好き撮ってたけどそういう風に変化しても写真を撮るという行為自体に違いは無くて、写真を撮ってると撮る対象が変化していくとか聞くけど、撮る意味とか意義とかそういうものも変化していくんだなと思うと写真って何なんだろうって思って、その時のその瞬間を写してるだけなのに、色んな方向にいつでもどんだけでも広がっていけるという撮る人次第で無限大に楽しめるめちゃくちゃ良い物だなって思うんですよね。

そんな僕が一番好きな写真ってやっぱり僕に関わってくれた人が写ってる写真ですね。


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