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#21 "コロナのウラ②"「すぐそこにある武器」

 昨日の続きです。

 今日も体力温存のためサクッと短めに書きます。

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 昨日の記事では『コロナ禍において人々が最も不得意としたのは「死」そのものへの受容ではなく、新しく死の種類が増えるのに慣れること』ではないか、ということを書きました。大学最後の一年を奪われた身として腸が煮えくり返るような思いを抱えていましたが、結局、そうした死の敬虔さを前にすれば人は(また、自分も)無力だと受け容れることで、その過去の記憶もある程度は寛解したように思います。

 その寛解を手助けしたものとして、もう一つ書いておかなければいけないなと思うことがありまして。

 それが『正しさという武器の誘惑』について、ですね。

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 自粛自粛うるせえ、という内心でコロナ禍のほとんどを過ごした自分ですが、その中でも唯一「命を大事にするべき。自粛しておこう」というポジションに立った経験があります。

 コロナで部活の引退試合が消えたというのは昨日書きましたが、それで部活動の任務をすべて終えたわけではありませんでした。大学を卒業しOBになった1年目の代が、その年のOB戦(部の卒業生と現役を混ぜて行う試合)を仕切ることになっており、その年の開催を行うかどうかの決断が我々の代に委ねられることになったのですよね。ちょうど2021年の5月ごろだったと思います。世間がオミクロン変異株の登場に慌てふためいていたころで、高齢者からワクチンの接種が開始されたあたりの時期でした。

 正直、開催はほぼ不可能でした。現役の対外試合すら未だ何一つ開催されないという状況にもかかわらず、全国の各世代から人を呼ぶようなOB戦を開催するというのはあまりに現実味に欠けたように思います。こうした意見を踏まえ、後輩のためにも開催してやりたいと話す同期もいる中、自分はその開催を見送るべきという考えを譲りませんでした。

 結果、開催は見送られました。

 今振り返っても、そうするべきだったと思っています。開催してコロナ罹患者が現れれば、部活、さらには大学の威信に関わることでしょう。「ワクチンを打ち始めたタイミングで何をしているのか」と叩かれるのも目に見えています。

 ただ、今振り返ってみると、ここに「正しさ」というものの性質が隠れているように思うのです。

 何かしらの要因(今回であれば、感染に伴う世間イメージを負うリスク)により、自分たちが望むような結果を引き寄せることができないことがわかったとき——言い換えれば、自分たちの敗北がほぼ決まってしまったときこそ、正しさの誘惑というものはこれ以上なく甘い香りを放ってしまいます。

 自分の考えていたこともまさにそうでした。引退試合や卒業旅行を我慢したのは、他でもなく感染防止のためです。青春の一ページをこれだけ断腸の思いで切り取った、他人のために自分は敗北してやった——そう思っていたからこそ、その自粛は『正しかったのだ』と自分に言い聞かせなければいけなかったのです。変異株が登場しワクチンをようやく打ち始めようかというタイミングでOB戦が開催できるというのなら、年齢にして20前後の若者がちょこっと移動するだけの引退試合を我慢したあの我々の苦労は何だったのか―—と。自分はれっきとした「奪われた者」だったからこそ、その奪われに見合う対価が欲しかった。その対価として、誰でも気安く手に取れるもの——それこそが『過去の私は正しかった』という信仰なのではないでしょうか。

 全国から人を撹拌するのは感染対策としてまずすぎる、ワクチンを打ち始めようといつ落ち着くかは分からない。そうした意見を口にした記憶がありますが、それらは蓋を開ければ結局のところ、自分の過去の行動に正しさを脚色したいという願望に他ならかったのかもしれない、今振り返るとそう思います。

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 そしてこれの厄介なところは『今の自分も、開催の中止を決定したこと自体は何一つ後悔していない』という所なのですよね。

 つまり、どれだけ考えてもやはり開催は見送るべきだったのです。それは感染状況が云々という話ではなく、あらゆる若者の行事が制限されているなかでOB戦を開催することの『空気の読めなさ』的な意味合いにおいて、です。もしそこでOB戦を開催していれば、引退試合がなくなったのにオリンピックを開催するのを見て僕たちが心の底から冷めきったのと、まったく同じ感情を覚える第三者がいたでしょう。何で我々が我慢しているのにお前らは——と。

 そうして空気を読み、周囲の雰囲気になぞらうことを、我々はどちらかといえば『美徳』と判断します。しかしそれを美徳とするからこそ、個人単位の行動規範のハードルはさらに上がってしまう。「お金がない」「体力がない」といった外部的な要因だけではなく「周りの空気を読む」という内面的な要因によっても欲望が制圧される日本民族は、それだけ、「何かができない」という敗北が決定するタイミングも早いのではないでしょうか。

 だからこそ、その「早さ」を正当化するための方便として、何をするにもどこからかその正しさを持ち出しておかないといけないというのが、なんというか日本的な価値観であるように思うのです。

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 例えばコロナ禍の初期、県外からの車に出て行けと張り紙が貼られたりしたことがありました。さすがにそこまでいくと自分には想像もできない過度な嫌がらせですが、ただそれはレベルが違うだけであって、OB戦の開催に反対した自分と地続きの感情なのではないか、とも思うのですよね。

 あの時期の日本は多くの我慢で溢れていました。どれだけ立派な反対意見を持っていようと、出る杭は打たれます。その空気感からは逃れられず、即ち早期のタイミングで敗北が決まったからこそ、それを『正しい敗北』にしないといけない——そうして人々が一斉に自らを脚色し始めた時代でもあったように思うのです。

 間違った成功と、正しい敗北。

 日本人の多くは、後者を手に取ってしまいます。

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