ペン立て

引っ越しの準備中、昔、親友からもらった手作りのペン立てが出てきた。さまざまな種類のシールが貼られたジャムの瓶をもとに作られたペン立ては背が低く、私は鉛筆のキャップを入れていた。

親友とはもう何年も会っておらず、今は連絡も取れない。そして、彼女のことを思い出せるものはペン立ての他にない。

彼女は初めてできた私の友達で、後にも先にも親友と呼べる人はいない。
家が近所同士で、小学校に上がる前から家族ぐるみで仲良くしていた。遊びや通学など、何をするにも彼女が一緒だった。
実は、ペン立ては私も作って彼女に渡している。それ以外にも月1くらいのペースで何か一つ決めて作り、送り合っていた。

しかし、中学生になると、家からたった数分の距離にある学校への通学はおろか、別の部活動を通してお互いに友達が増えたことで、2人きりで話したり遊んだりすることはなくなっていった。
何度か同じタイミングで帰ることがあり、私はその度に「近々遊ぼう」と言ったが、彼女は一度も誘いに乗らなかった。

別々の高校に入り、彼女と話す手段はLINEしかなくなった。LINEではお互いの誕生日や節目にメッセージを交わすだけで、それもいつしかなくなった。心当たりはないが、ある時から彼女にメッセージを送れなくなったのだ。
彼女が連絡先を変えたことでLINEにログインできなくなったのか、私をブロックしたのか、確かめる術はない。
私は、彼女との連絡手段を失ったことを極力考えないようにした。彼女は私を避けたのではない、きっとスマホの不具合かなんかで連絡が取れないだけなのだと。

それから今に至る。
私は地元を離れて進学した。彼女も県外に引っ越したらしい。
帰省すると、人伝に彼女の近況を聞くことが増えた。彼女から直接聞きたいのに叶わないもどかしさ、彼女の心に私はまだ存在しているのだろうかという不安を、私は払拭しきれていない。

彼女は明るくて可愛くて、誰とでも仲良くなれるタイプの人だった。暗いし可愛くないし社会性もない私にとって彼女は憧れの的だった。

たとえ相手を嫌いでも、小さな田舎町にいる限り関係を断ち切ることは難しい。そのことを利用したわけではないが、薄々自覚しつつ、私は彼女に依存していたのだと思う。

私は純粋に彼女が好きだったが、ただ家が近いだけで執拗に仲良くしようとする私は彼女の目にどう映っていたのだろう、もしかして嫌々付き合ってくれていたのかな。
答えはいくら考えても出ないが、私はどうしても考えることをやめられず、自分が悪かったのだと後悔を重ねる。

彼女と距離が空いてしまってから、私は友人の作り方や距離感がわからなくなった。深く関われば相手を傷つけてしまうかもしれない、私自身も傷つくかもしれないと思うようになった。

ペン立てはまだ使えそうだが、見ると辛くなるので思い切って捨てた。
本来なら私は簡単に物を捨てられない。物持ちがいいと褒められるほど、どれだけ時間が経っても汚れても長く使うのに。

唯一の思い出であるペン立てを捨てれば、綺麗さっぱり彼女を忘れ、新たに友人を作ったり今ある諸々の人間関係を円満に続けられるのではないかと期待した。
しかし、私の浅はかな企みは散った。文章化したことで当時をより強く思い出してしまった。
自分の心の弱さを改めて自覚するくらいなら捨てずに残しておけばよかった。

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