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『94歳のゲイ』から自分を見つめ直す

ドキュメンタリーを観るようになったのと、当事者性を持たずして研究することの是非を考えるようになった時期は同じだったように思う。大学に入って、自分を囲む環境も人間関係も大きく変動した。それだけガラリと変わった状況において、「研究」が日常に入ってきた。自分語りが必要でない論文を書くこととなり、相当に困惑した。教養がない私は、自分が経験したことしか語れなかったからだ。
ここでは、わざわざセクシュアリティを明言はしないが、ジェンダーをはじめとする社会的事柄を調べていると、自身の当事者性について考えることがよくある。
「自分が〇〇でなかったら関心は持たなかったのだろうか」
「自分が〇〇だからといって、気軽に首を突っ込んでいいものか」
答えは出ない。

これまで神事、伝統芸能、性的マイノリティなどさまざまなテーマのドキュメンタリーを観てきた。
正直、大学に入る前は、ドキュメンタリーは好んで観る方ではなく、たまにNHKで特集番組を観たりするくらいだった。それが、最近になり、面白みを感じながら観れるようになった。
登場人物に気持ちを重ね、自分がこの状況だったらどんなふうに生きるだろうかと考える時間が楽しい。時に、研究への向き合い方や人生そのものに悩んだ時期を思い出すこともある。

院試の面接で大学院へ進学したい理由を問われ、「自分の生き方を見直したい」と言ったのが懐かしい。

当時は、嘘はついていないものの、果たして真にそう思うのか自分もよくわかっていなかった。でも今日、改めて「ああ、自分は自分を理解するために学び、生きたいのだな」と感じた。
自分を認めるために、行いの結果に納得したいがために、答えを出したいと思う。でも、自分をありのまま認識できれば、言葉ほど簡単ではないが、それができればもっと人生を楽しめる気がする。

上映後にロビーで、映画タイトルの当事者である長谷さんと監督の吉川さんにサインをいただいた。
長谷さんは、私の顔を見て「幸せそうやね」と仰った。自分ではあまりそう思えていないので、面食らってしまったが、周りからそう見られているのだとしたら言葉のまま受け取っておこう。

他人の人生の映画を観て、自分を見つめ直す。
今後も大切にしたい時間。
良いドキュメンタリーだった。

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