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同志少女よ、敵を撃て【93】

  独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。藩を討ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした”真の敵”とは?

データベースより

真の男女平等とは

 もっとも印象に残ったのは、訓練兵同士で男女平等について語るシーン。
 家庭に押し込むのではなく、チアリーダーにするのでもない。我が国は女性が望んで戦争に行くことができる、真の男女平社会なのだ。―― そうなんです。男女平等を声高に叫ぶなら、この覚悟がないとダメなんです。「戦争」は比喩です。でも、究極は、命をかけて仕事ができるかどうか。ご都合主義の男女平等論では、ダメなんです。

行動の本質

 私たちはよく行動に理由付けをします。たとえば「世の中のためになるから」「誰かのためになるから」「何かを守るため」等々。でも、行動している瞬間も、はたしてその理由を考えているのかというと、そうではないことに主人公は気づきます。
 彼女の「行動」は、狙撃。訓練を重ねていく過程で、その先に何があるのかを上官に問うたとき、禅問答のような答えに困惑します。そして、同僚の「狙撃の瞬間は、自由になれる。自由になるために狙撃部隊に入ったのだ」という言葉とともに、そのことを理解する。
 私は、このシーンがいちばん好きです。何をするにも理由を聞かれるので、それに対する答えを用意します。できるだけ多くの人に共感してもらえるように。できれば褒めてもらえるように。でも、本当のところは、そんなご大層な理由なんて考えずに行動してしまっているんです。そのことを肯定してもらえたようで、とても楽になりました。

まとめ

 なんとなくタイトルに惹かれて手にした本です。ソ連が女性兵士を戦地へ送っていたとは知りませんでした。
 随所に出てくる殺人シーンの描写は生々しくて怖かったけれど、訓練校時代の様子は楽しむことができました。特に本校生との模擬戦は、イリーナ教官と彼女の教え子たちがいかに優秀かを知ることができる名場面でした。訓練生それぞれの個性が丁寧に描かれていて親しみやすく、横文字の名前が苦手な私でも、その特徴と名前を一致させることができました。それだけに、彼女らが戦死する瞬間や、戦後PTSDに苦しむエピソードなどは本当に辛かったです。
 何気なく手に取った本でしたが、今まで知ることのなかった世界を知ることができて、幸運だったと思いました。