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夢のユニバーサルシアター【92】

 映画『こころの通訳者たち』の主演、【シネマ・チュプキ・タバタ】の代表・平塚千穂子さんの著書です。
 映画と舞台挨拶で、すっかり平塚さんのファンになってしまった私は、トークショーが終わるやいなやこの本を買い、サインもしていただきました。
 ここには【シネマ・チュプキ・タバタ】ができるまでと、実際の音声ガイドの入れ方を『ローマの休日』を例に解説してあります。映像を文字化する技術は、点訳にも役立ちそうです。

利用者の声は尊い

 音声ガイドが完成した際、上映前に先天盲の方に対して試写を行い、検討会をするそうです。そのモニターさんとの対談も載っていて、とても参考になりました。見えない人は何を知りたくて、どの情報は要らないのか。やはり実際に利用する人の声は、何よりも尊いです。とても参考になりました。

アイヌの人

 「チュプキ」は、アイヌ語で《自然界で光るもの》を意味するそうです。なぜアイヌ語?

 ふと「アイヌ語」はどうだろうかと思いつきました。アイヌの人々は、争いを好まず、平和で持続的な社会を築いていた縄文人の正当な末裔だという説があります。彼らの間では、目や耳、肢体が不自由な人たちは、神に近い存在として崇められていたという話を聞いたこともあり、昔からアイヌ人の暮らしや文化に興味を抱いていたのです。

本文より

 たしかに縄文時代の遺跡からは、明らかに手足の不自由な成人の骨が発掘されています。自分で歩けなければ生きていけなかった時代に成人できたのは、介護されていたからだと考えられます。縄文人・アイヌ人に限らず、ある時代までは、村で障害がある子どもが生まれたら、その部分を「神様に持って行かれた」と言って、その子は村全体で大事に育てられたという話を聞いたことがあります。
 大昔から日本人は、障害者を社会の一員として受け入れ、共に生きていたんです。いつから差別したり、迫害したりするようになってしまったのか・・・

ここに障害者は存在しない

 私がチュプキを好きな理由のひとつに、障害者割引がないことが上げられます。ユニバーサルシアターなのに障害者に優しくないのでは?と思うかもしれません。でも、障害とはそもそも環境や社会がつくるものなのです。
 たとえば、ろう者の劇団が演じる公演を観に行くと、観客もほとんどがろう者です。ここでは、聞こえる私はろう文化の中のマイノリティ。ろう者は自分の出す音に無頓着なので、公演中でもスマホの着信音が鳴ったり、奇声を上げる人がいたり、どこからともなく雑音が聞こえてきたりします。実は舞台よりも客席の方がうるさい(笑) その中で舞台上の手話を読み取るのは、なかなか困難です。
 聞きたくない雑音に集中力を奪われて肝心の舞台を楽しめないとしたら、この場での私は、聞こえるが故に障害者ということになるのです。

 「障害」の「害」という文字は、「碍」と書き、「障碍」としていました。この「碍」は、大きな岩を前にして、人が思案し悩んでいる様子を表しているそうです。つまり、障害はその当事者にあるのではなく、環境や社会の方にあるという考え方だったのです。
 チュプキで上映する映画は、常に日本語の字幕がついているし、全ての席に搭載されたイヤホンジャックからは、音声ガイドや自身で好みのボリュームに調節できる映画本編の音が流れてきます。(後略)

本文より

「人生は意味じゃない。願望だ」

 チャップリンの言葉です。「映画を観たい」という気持ち、「一緒に観たい」という想いが、音声ガイドを制作する原動力となりました。身体的な機能だけで見えるか見えないかを問うよりも、その願いが生み出す「想像力」を信じたいと思ったのです。

はじめにより

 私がなぜ点訳をしたり、手話を習ったり、要約筆記者をめざしたりしているのか・・・? それは、社会貢献とか、福祉目的なんかじゃなく、単に《見えない人とも、聞こえない人とも、一緒に感動したいから》だったんだと、この本を読んで気づきました。まさに「意味ではなく、願望」だったのです。
 願うことが何よりの力になるのだと、気づかせてくれた1冊でした。