見出し画像

【#59】「ハッピーバースデー」

みなさん、こんにちは、こんばんは。
帰省して体感30kgは太ったアヤネです。

詳しくは#60のブログで書こうと思いますが、
やはり「ちょっと厳しいな〜」の目標を立てるよりも
「これならちょうど達成できそう」レベルを
目標にするのが自分には合ってるのだろうと感じました。
ブログ執筆の第1の目標は文章を書くことでしたが、
裏目標として「立てた目標を達成する」もあったので、
今回失敗してしまったことが正直少し悲しいです。
目標達成してきたことがなさすぎる人生を生きてきたので
少しくらいは達成した経験を積みたいですね。
来年の目標は#60で発表しようと思います。
皆様、1年間ありがとうございました。
今年ラストのブログまで見ていただけたら幸いです。



記念すべき第59回目のブログテーマは
ランダムガチャNo.1794「ハッピーバースデー」です。

突然なんですが、この歳になって
ハッピーバースデー、お誕生日おめでとうって
すごくいい言葉だなあと気づきました。

もちろん「お祝いの気持ちが嬉しい」
という意味でも素敵な言葉だと思うのですが、
「ハッピーバースデー」って
2つの意味で自分を再肯定してくれる
言葉だなあと思うんです。

1つ目は「自分が生まれたこと」への再肯定です。
ハッピーバースデー、お誕生日おめでとうって
「今日はあなたが誕生した特別な日だね、おめでとう」
の意味を含んでると思うんですが、
「あなたが生まれたことが特別だから
その日も特別だね、おめでとう!」って
めちゃくちゃ誕生を肯定されてると思いませんか?
私が生まれた日を特別って言ってくれてるの、
本当にそう思ってるかは分からなくとも
ただただ嬉しいです。

2つ目は「今ここにいること」への再肯定です。
ハッピーバースデーやお誕生日おめでとうには
「あなたが誕生した日を、
今年も迎えることができたね、おめでとう」
も先の意味に加えてあると思ってるのですが、
今日、いま、ここで、再び誕生した日を
迎えられたことをお祝いしてもらうというのは
「まさに今ここで私が存在していること」を
祝福・再肯定してくれていると言っても
過言じゃないのではないでしょうか?
だって私がいまここであなたの目の前に
生きて存在していなければ、「ハッピーバースデー」を
言ってもらえることはなかったわけですし…。
「お誕生日おめでとう」は間違いなく
「今私がここで生きてること」の再肯定です。はい。

ちなみに、ただの肯定ではなく
再肯定という言葉を用いている理由は
そもそも今生きていること、生まれたことは
前提として肯定されているものだと認識しているからです。
このへんの細かい話は話すと長いので
今回は省略させてください。

とまあそんな感じで、
「お誕生日おめでとう」って
実はめちゃくちゃいい言葉なので、
仲が良いとか悪いとかに関係なく
「ハッピーバースデー」は色んな人に
言っていくべき言葉だなあ、と思っています。
みなさんも気づいたら積極的に言っていきましょう。
みんなで互いを祝い、肯定していきましょう!
私も皆さんに言いますので。

今日もきっと誕生日の人がいますね。
今日がお誕生日の方、お誕生日おめでとうございます!
素敵な1年にして、来年も誕生日を迎えましょうね。

それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?