辻村美月『傲慢と善良』を読んで②~親の存在と子の自立を考える際の「傲慢」という視点~

 改めまして、『傲慢と善良』についての感想を、②母と娘の関係(+姉)について、書いていこうと思います。前回の記事をまだ読まれていない方は、そちらも確認していただけると嬉しいです。
善良についてでも書いたように、ヒロインである真実は誰かに決めてもらうことが多すぎて、自分がない状態(善良)になっています。その原因は、母である陽子との関係にある、というのが、今回のテーマです。真実のパートナーである架は、陽子と会話していく中で、母娘の関係性や陽子の態度について、苛立ちを持っていきます。以下は、真実について話す母の陽子、姉の希美の言葉になります。
 陽子に連れられて結婚相談所へと入会し、母が選んだ相手とお見合いをした真実は、その後、陽子に対し泣きながら「ごめんなさい、お母さん。私、断ってもいいかな?」と言っていたと、陽子は架に話します。「私が気にいっていた相手だから、親の期待を裏切るようでつらかったんでしょうね。…だから、次の相手は自分で選んでみたらって言って、自分で選ばせたの」と陽子は話しますが、陽子の旦那である正治が「それで、その次の相手のことを、お前が身の上書見て文句つけたんだよな」と続けます。これに対し、陽子はむきになって反論しますが、架は「自分で選ばせる、と言いながら、いざそうなると言いたいことが出てくる。そしてそれを言わずにはおれない」のが陽子なんだろうと感じます。真実は30代で上京し、架と出会っているのですが、陽子は「結婚するまでは、真実のことは私が責任もってこの家で見るって決めていたのに」と、上京そのものに賛成ではなかったかのように話します。架はこの時、陽子と正治に対して、「この人たちは——、傲慢なのではないか」、「あなたたちは、娘に自立してほしくないのか」と感じます。その後陽子は、真実の高校が地元では名のある女子高であること、真実が卒業後も県庁で臨時職員という「ちゃんとした職場」で働いていたことを根拠に、「だから、真実に最初、好意を持ってくれたの?」と架に尋ねます。架は「この人たちは——世界が完結しているのだ。」「自分の目に見える範囲にある情報がすべてで、その情報同士をつなぎあわせることには一生懸命だけど、そこの外に別の価値観や世界があることには気づかないし、興味もない」ことを痛感します。
 架はその後、真実の姉である希美とも話します。陽子について希美は、「私は母のそういうところに早いうちから嫌気がさして、高校生くらいからは、あまり口出しさせなかったからね。だけど、その分、真実への干渉がさらに激しくなったところはあったかも。──本人たち(母と真実)は干渉だとかって思ってなかったかもしれないけど」「親の心配っていうのは理屈じゃないらしいよ。できることは何でもやってあげて当然だって思うらしい」ことを話します。また、「親なんだから心配して当然だし、それが愛情であり、親の使命だって本気で信じてる。あんたも親になればわかるって言われた」上に、「しなくていい苦労ならしない方がいいに決まってる。あんたも親になればわかる」とも言われています。その一方で希美自身は「苦労くらいしてもいいと思ったんだけどね」と話します。架は希美の話を聞き、陽子に対して抱えていた思いを強くします。「苦労がないよう、よりよい道を…良かれと思っていたとしても──それは、支配ではないか。」「しかし、そう指摘されたところで陽子は無自覚なのだろう。彼女に悪意はない。ただ無神経なのだ」。
 物語の後半では、真実から見た母の描写がなされます。珍しく0時を過ぎて帰ってきた三十一歳の真実に対し、陽子は「家の鍵を返しなさい。これからはお母さんたち、真実が返ってくるまでずっと起きて待ってるから」「お母さんが起きていられるのは、十一時くらいまでが限度。自分が帰ってくるまで、みんな眠れないんだって思って、それを意識して生活しなさい。」「あと、飲み会に行ったりするくらいなら、もっと家のこともやってほしいの。…お手伝いしてよ。ルールを決めよう」と話します。真実は「──この家に、このままだと組み込まれてしまうのだ」「外に出なければ、ここでずっと母のルールに吞み込まれたまま、『自分の家』が作れない」「結婚して夫がいる姉には『向こうの家』があるから遠慮されることが、私には、このままじゃ、ない」ことを感じます。その後真実は架と出会い、婚約しますが、陽子に「真実ちゃんは世間知らずだから」「向こうの家にそういうところが付け込まれちゃうんじゃないかってことも、お母さんは心配なの」「だって、そうでしょ。これまでは、なんだってお母さんたちに頼ってきて」と、「自分たちがそうしてほしそうだったことなんて、まるで自覚がなさそうに」話され、「全部『心配』という言葉で縛り、無言で不機嫌になって…お母さんとお父さんを不安にも、不機嫌にもさせたくないから、全部、あきらめたのに」と感じます。加えて、架の親族に離婚している人がいるかどうかを、乏しい経験則と伝聞した内容からの思い込みで話す陽子に対し、「世間知らずは、母の方なのだ」ということを、真実は理解します。「こんな人に、私の子ども時代は──学生時代は──十代は──二十代は、ずっと支配されてきたのか」。
 陽子と真実の場合、母と娘の関係は一見すると仲の良い親子だけれども、そこには当事者が意識していない形での支配—被支配の関係が存在しており、その原因は母である陽子の傲慢にあるように見えます。しかし、母の傲慢は母自身が世間知らずであることから生まれており、世間知らずという意味では母も“善良”なのかもしれません(前回のNoteで善良について書いたので、よければお読みいただければ幸いです)。
 その一方で、真実自身も、エピローグにて、「母にとっては、私は一生自分の一部のようなもので、他人になることがないのだと思ったけれど、もっと絶望するのは、自分にだった。」「思えば東京に出る決意ができたのも、だめだったら、親元に戻ればいいと思っていたからこそ。帰れる場所が、頼れる場所があったからこそだったんだと、今なら、認められる。」「親に代わる依存先を私は探していたのかもしれない。」「一人じゃ生きられないと思っていたのは、親もだけど、私もだったから。」と回想します。これは、母の支配は娘が作り出してしまっていた側面もあったという反省なのではないかと思います。真実とは対照的に描かれている希美に対して陽子が殆ど干渉しない形で描かれているのも、その証左のように思われます。余談ですが、物語としては、真実はその後「けれど、今は、こうも思う。」「それの何がいけないのか、と開き直れるくらいには、気持ちが強くなった。」「間違っていると言われてもいい」という形で、成長を遂げています。
 真実と陽子を見ていると、近年話題に上がる教育虐待の構図にも非常に近いと感じます。教育虐待の場合は、親が過剰に干渉し、学歴主義の価値観を植え付け、子の成功を親の成功と同一視することが問題の根源にあると思います。そこでは親と子の人格は切り離されて認識されていません。当然、子は精神的にも自立へ向かっていくので、いずれは親の態度に違和感を覚えることになります。教育虐待の問題点として、競争社会の中に強制的に放り込まれる、ということがあるようで、必ず勝者と敗者が生まれ、勝者になれば善い、敗者になれば悪い、という価値判断が子に悪影響を及ぼすとのことです(NHKで少し見ただけなので浅い理解ですが)。要するに、受験に失敗したかどうかのような学歴至上主義ではなく、子に愛情をもって接することが必要で、そのためには多様な価値観を受け止めることが必要である、と説いているのだと思います。結婚の場合も、それが起こっていると思います。陽子は当初、娘である真実のお見合い相手を選ぶのですが、そこには真実自身の思いではなく、陽子が思う真実という存在につり合うかどうかが判断基準となります。また、そもそも親に勧められて結婚をする、という行為自体が、学歴主義の価値観を子に与える親とやっていることが同じです(結婚主義とでもいうのでしょうか)。
 現代の若者は結婚をしないとか晩婚化が進んでいるとか言われている一方で、マッチングアプリの利用者はものすごい勢いで増加しました。学歴主義に苦しんでいる人が非常に多いことはかなり周知されてきたのではないかと思いますが、結婚主義に苦しんでいる人も相当数いるのではないでしょうか。もしくは、結婚主義ではなく恋愛主義に苦しんでいるのかもしれません。『傲慢と善良』では、恋愛と結婚の違いについても非常に高い解像度で描かれていると思います(恋愛と結婚の違いについては、次のNoteで考えたいと思います)。今回も思った以上の文字数になってしまったので、回を改めて、次のNoteで③婚活について、の感想を書いていきたいと思います。

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